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姫街道

あの狭い谷をすり抜けるように流れてきた木曽川、こんなに大きな川に成長しました!なんだか感慨深いですねぇ。このカバー画像は橋の上から撮影したものです。これこそ中山道最大の渡し場「太田の渡し」です。

中山道は、江戸時代には東海道の裏街道として大変栄えた街道です。東海道に比べ約40km長く、宿場も16宿も多いのですが、非常に人気のある道でした。特に別名「姫街道」とも言われ、皇女和宮がよく知られていますが、京都から将軍家に嫁ぐ姫行列が通ったことでも知られています。

その大きな理由は東海道に比べて渡し場が少ないことが挙げられます。海沿いをゆく東海道は川の河口部を越えて行く必要があります。つまり、ひとたび雨が降って大水が出てしまうとその影響をもろに受け、水が引くまで数日の単位で足止めをくってしまいます。一方、中山道は山あいをゆく道なので大きな渡しは数えるほどしかなく、旅程も立てやすかったと考えられます。ちなみに、皇女和宮の行列は警備や人足も含めるとなんと数万人の大行列で先頭が次の宿場に到着しても、後方はまだ前の宿場にも到達していないということが起こっていたそうです。

そして私のこの2005年の旅は25日間の旅程ですが、当時の人はどれくらいの日程で歩いていたのでしょうか。皇女和宮の大行列も実は同じ日数で江戸に到着したと記録が残っています!!その大行列で1日22kmも歩いていたとは驚きです。私は物見遊山もしながらの旅だったので、わりとゆったりとした旅程でしたが、彦根藩は参勤交代で江戸に行くのに10泊11日で到達したと記録があります。彦根からはあと2日ほどなので約2週間で京都と江戸を歩いて移動したということ。たまには地図はっておきましょうか。

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中山道音速スライド旅行マップ

そしてこの日、到達した太田宿の写真をご紹介。

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太田宿には、とても熱心な酒屋のご主人さんがいらしてその方をはじめ地元の皆さんの働きかけで、この時はまだなかったのだけれど、翌2006年の春に太田宿中山道会館という博物館施設ができています。

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