麻雀と自分 part2

雀荘に行く機会が増えるといろんなことが分かってくる。
実は部活に来ている将棋講師の方が同じ雀荘によく来ていること、打ち始めて8時間ぐらい経つと目のあたりがショボショボしてきてきついこと、おいしい出前の料理の種類や伝票やチップの置いてある位置などのどうでもいいことがほとんどだったが。
そのうちメンバー(店員)から名前を覚えられ、なんで将棋部がこんなに来るんだと笑われた事もあった。週に4日40時間もいれば覚えられるのは当たり前だが常連になったんだとその時は誇らしい気持ちになっていた。

そのうち脳汁を求め祝儀を導入することになった。
祝儀とは上がった時に一発赤ドラ裏ドラのいずれかが役に入っていると入っている枚数分だけ振り込んだ人からチップ(お金)をもらえるという制度だ。
例を挙げるとリーチタンヤオ赤赤裏をロン上がりすると8000点の他にチップ3枚もらえるといった感じだ。ツモ上がりすると全員から貰えチップ6枚をツモ上がりなんかすると脳汁がプシャーと出るのを実感できるようになる。
最初は1枚50円程度だったがすぐに100円になりそのうち始める前にだいたい100円~300円のいずれかをランダムに決めるようになっていった。
当たり前だがこんな学生にしては高レートな麻雀を打っていると金がなくなっていく。先輩二人はバイトをしていて金があったが自分とKはバイトをしていなかった。
そのうち二人とも金が尽き金がないのでとお誘いのlineを断るとU先輩が俺が貸すからやらないかと言ってきた。悪魔の誘い第二弾である。
そこから4人の中で仮想通貨(借金)が横行するようになった。
金がなくても打てるとなると自分とKは数千円だけ持って雀荘に行き、勝つと借金返済に充て、負けると更に借金が嵩んでいくという言い方は悪いがゴミのような日々を過ごしていった。

転機はKの借金が10万円を超えたころだったと思う。自分の借金も3万を超えていた。
Kが借金に耐えかねバイトを始めたのだ。彼が始めたバイトは時給はいいが夜から始まり深夜に終わるといったものだった。その影響で徹麻の始まりが授業終わりから深夜1時からになる事が多くなった。
常人なら気が狂っていると感じるだろうが当時の僕ら
はまあしゃあないなぐらいで対応していた。ギャンブル依存症はこういう事から始まるんだなと今になって切に感じる。

話は変わるがこんなに同じメンツで打っているとさすがにメンツの打つ筋の特徴が分かってくる。
引っ掛けをするのか、遠い仕掛けはするのか、愚形でも即リーするのかなどだ。これらのするかしないかというのはかなり成績に及ぼすと思う。
自分はそういうので見破られるのが嫌だったので何でもやる方だった。
また同じメンツで何回も打ったことがある人ならわかると思うがメンツ内で言葉では言わないが格付けがされる。意識せずともだ。
そうなると格下の相手にはどんと構えられるが格上の相手には委縮して押せなくなったりする。自分の場合どうしても萎縮してしまう時があった。そういう時は如実に結果に表れることが多かった。

3年生になると先輩方は就職活動や卒業研究などがありセットは月に2〜3回程度しか打たなくなった。
その代わり部室にいる時間が増え、新入生がたくさん入ったこともあり部室で麻雀をやる機会が増えた。
入部初日に麻雀を打たせるなどの草の根?活動もあり6月頃にはほぼ全ての1年生部員が麻雀を打つようになっていた。
将棋を指して飽きたら麻雀、そんなパターンが前よりかなり増えていた。

今でも不思議に思うがこの四人のメンツは麻雀以外で関わることが少なかった。
もちろん将棋部員なので将棋をしたり何回か先輩の家で宅飲みをしたりカラオケに行ったりしたが会っている時間の殆どは麻雀を打っていた。
寝る時間よりも四人で会う時間のほうが長ければ親密にはなるがあくまで金を取る取られるという敵という感じで一定以上は仲良くならなかった。
一度ぐらい旅行に誘えばよかったと今では後悔している。今度誘ってみたいが多どうせ旅行先の雀荘で麻雀を打つから意味がないと断られそうだが。

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