日記2021/8/27
週2の在宅勤務が減らされ、週1になる模様。このご時世にこの変更。無茶苦茶。
会社へ向かう足が重い。始業時間の30分前に会社近くのカフェに着き、本を読んだり、snsに集中する時間を取ってから出社すると、気分が比較的前向きになることを発見する。何が何でも試行錯誤してワークライフバランスを整えてやるんだ。できればライフの方に比重多めで。
最近、読む本はもっぱら友達の一年間の日記をまとめた一冊。
「何かはあるけど、何も起きない。」著者:針山
日常の描写がとにかく素敵。ユーモラスで、正直で、リズミカルで、日常の酸いも甘いも包み込む。わたしも、彼女のこの日記本に影響を受けて、日記を書き始めたいと思っている(備忘録でも良い)。私は全くゲームをしないので、日記本の中に出てくるゲーム用語が全く分からなくて、いちいちググり、ほほう。とうなずいたり、○○の本が良かったと書かれていたら私もamazonの欲しいものリストに放りこんだりしてる。すっかり、作家:針山さんの大ファンになってしまった。
面白い本は、癖で早読みをしてしまうけれど、どうしてもこの本だけは読み終わりたくなくて(最終日が早く読みたいんだけど、でも終わって欲しくなくてどうしようもう1月に入ってしまったという気持ち)、ゆっくり読み進めている。
彼女の旦那は4年前、癌との闘病生活の末亡くなっている。亡くなった彼女の旦那は、家族ぐるみで付き合っていた私の友人でもあったので、「亡き旦那の夢をみた」とか、「思い出されて胸がざわざわする」とか、「いつもニコニコしていて友達が多かった」など、日記内で彼が登場すると、それだけで自然と口角が上がった。加えて、みぞおち当たりがギュッとする。闘病生活の末、玉のような娘二人と愛妻を残していかなくてはいけなかった友人の無念が蘇るからだ。
彼女の「主張してもしかたがない」と言わんばかりの、亡くなった友人がさらりと淡々と登場する日記に、彼女の腹のすわった深くて強い愛情が見え隠れする。その文を、指で辿ったりしながら読んでいる。気持ち悪いかな。二人のことが好きなんです。
当時、その後の彼女たちの生活を思い、家族で話をし、涙を流すことしかできなかった。しかし、実際に彼女の傍にいて、寄り添っていたのは、この日記に出てくる彼女の友人たちだったから、私が泣くことは自己浄化や自己満足でしかない。それでも、それでよかったんだと、今は思う。何かもっとできるのではないかと、悶々としたけど、それぞれ役割があるんだと今は思える。息を引き取り、自宅に戻って静かに横たわる友人に、挨拶をする時間をもらえて、家族全員でお家に向かった。その時も、泣くしかできなかった。悲しんで忍ぶ時間をもらえた。忘れることはないです。あの時の小さな娘ちゃん2人は、日記の中で、のびのびと真っすぐに力強く生きて、生きて、生きていて、ほれぼれした。この日記本を、もし亡くなった友達が読んだなら、と、そういうこと考えずにはいられない。何にでも誉めることを躊躇しなかった友達だから、「針山ってすごいんだよ~、読んでみてよ~」と言って目をキラキラさせていたと思う。あなたの自慢の娘二人は、相も変わらず愛の塊で、純粋で、ママのことを感嘆させて、時には困らせて、安心させて、そして守っているよって伝えたい。
そういえば、友人が亡くなる3日前。私の長男がホスピスまで会いに行き、意識が混濁している友人と何分か話をした。こういう話はあまりしないから、ちゃんと書きとめておこうと思う。
「自分は今、向うの世界に行く人たちの列に並んでいるけれど、もう少しで順番がくるから、時々、こっちの世界と向うの世界との境目がわからなくなる。変なことをしゃべっていたらごめんね。」
「死ぬことは全く怖くないけど、死んだあと、空に上がって、身体がばらばらになって地上に落ちていくから、その時、あまりにもばらばらに小さくなりすぎて、妻や娘が俺のことを探せなかったらどうしようってそれが心配なんだ」
こういうことを話したと聞いたよ、と彼女に伝えると、その現場にいた彼女は正確に話覚えてるんだね!すごいね!と長男のことを誉めてくれた。
日記本はもう2月まで進んでしまった。
読み終わったら、また彼女に連絡したい。