舞台版『魍魎の匣』を配信で観た話


きっかけ

 まさに「縁ができたな」(Ⓒ桃井太郎)としか言いようのないいきさつで入会したU-NEXT。映画やドラマ、アニメだけでなく、スポーツ中継やコンサート、演劇の配信も行っている。

 入会後のある日。
 演劇、何を配信しているんだろうとのぞいてみたら……。

 な、何だって?舞台版『魍魎の匣』だって?

 マンガ版、アニメ版、実写映画版があることは知っていた(何なら見た)が、舞台版があったことはつゆ知らず。

 誰が出てるんだ?(キャスト名全表示)知らぬ……知らぬ……(←超失礼)

 ……!? 平川結月!?……リタ様!?
 えーと、『王様戦隊キングオージャー』が2023年放送で、コレの上演が2019年……ということは、年齢から考えるに配役的にはどっちかだな……。

 よし、観よう!仕事の休憩時間中に!!!!

 ダウンロード!!!!(某教育テレビの体育系番組風に)

 あ、ミステリーなのでネタバレしないように書いてますよ。
 ご了承ください。

作品紹介とあらすじ

 言わずと知れた京極夏彦氏著作『魍魎の匣』が原作の演劇。紙媒体は新書ノベルスであれ文庫本であれ、レンガに例えられるほどの分厚さを誇る。その大量のページに同時多発的に発生する事件や事案と、うんちくと緻密なロジックが正に箱詰めされている。

 時は太平洋戦争終戦から少し経った、昭和20年代後半の東京。
 小金井の駅で、終電に乗っていた刑事の木場修太郎は、電車の人身事故に巻き込まれる。被害者も唯一の目撃者も女子中学生で、彼女たちは深夜に相模湖に行こうとしていたという。
 被害者の女子中学生=柚木加菜子の姉と名乗る女性がかけつける。元女優の美波絹子、本名・柚木陽子は、実は木場の憧れの人でもあった。
 加菜子のケガが生死を左右するほどのものだと聞かされた陽子は、とある医療研究機関の名を挙げる……。

 売れない小説家の関口巽は、出入りの出版社の記者である中禅寺敦子、さらに別の出版社の記者兼編集兼etcの鳥口とともに、連続バラバラ死体遺棄事件の調査をしていた。第一のバラバラ死体が発見された相模湖の近くで道に迷い、たまたま異様に四角い建物の近くにたどり着く。
 山の中の巨大人工建造物に驚いていた時、何と刑事の木場修太郎が現れた。関口と敦子は木場とは旧知の仲であったが、問答無用で追い払われてしまう……。

 鳥口守彦は、連続バラバラ死体遺棄事件の次に、最近流行の『御筥様』なる霊能者について調べていて、関口に助言をもらおうとする。しかし、関口はもっと適任がいると言い、かねてからの友人である中禅寺秋彦の元へと連れて行く。
 連れて行かれた古本屋『京極堂』の主・中禅寺秋彦は黙っていればこれ以上ないほどの仏頂面、しゃべり出せばこれ以上ないほど雄弁かつ博識で、さらにはすぐそばにある神社の神主でもあると言う。
 鳥口の話を聞いた中禅寺は、さらに情報を集めるようにと鳥口たちに指示を出す……。

 探偵・榎津礼次郎は、日本でも指折りの大財閥・柴田グループの顧問弁護団の一人である増岡に、人探しを依頼される。
 榎木津には、他者が見たモノや風景が見えるという一風変わった能力があり、それを生まれ持った回転が速すぎる頭脳と組み合わせて活用している。
 尋ね人は、過日に列車事故に遭った柚木加奈子。加菜子は実は柴田グループ総裁の唯一の血縁であり、遺産相続人であると明かされる。
 先だって総裁が亡くなったのだが、加奈子の生死、死亡したならその日付を知りたいと依頼される。

 大ケガをした加菜子の生死及び死亡日を知りたいとはどういうことか?
 柚木加菜子は姉の陽子の伝手で、美馬坂近代医学研究所なる場所に運ばれ、大手術を経てかろうじて生き延びた。
 しかし、担当医である美馬坂、助手の須崎、姉の陽子、同居人の雨宮、何かと陽子の様子を見にやってくる木場、見舞いに訪れた加菜子の友人であり目撃者でもある楠本頼子などといった衆人環視の中、加奈子は姿を消してしまった。その直後には須崎が殺され、雨宮も行方知れずになってしまった……。

 関口、鳥口、榎木津に木場が全く別々と思われた事案について京極堂に立ち寄り、中禅寺に事情を説明する。すると、意外な接点が次々と判明し、さながら魍魎のごとき、もやもやとした薄気味悪い正体不明の何かが立ち昇ってくる。
 そして事態は悪化の一途をたどり、一刻の猶予もならなくなった時。

 中禅寺秋彦が『憑き物落とし』として、魍魎退治に立ち上がる……。

お気に入りポイント

 第一に、箱や枠を多用した演出。箱型の枠を出入りすることによって、時間と空間の飛躍や跳躍をスムーズに行い、細かく場面転換をしなくても、誰に何があったのかが非常に分かりやすい。
 舞台ならではの省略表現も、見る側の想像力を信頼するが故なので、一切気にならない。それにより、相当にグロテスクな場面もほのめかす程度に抑えられ、その手のジャンルが苦手な人でも見やすいし、作品全体の完成度のクオリティを高く保つことに成功している。
 映像表現だと、話の内容に対して不必要なほどにグロテスクさにこだわった結果、かえって興が削がれてしまうことがあるので、何でも見せれば良いというものでもないのである。

 ただ、原作をまるで知らないままこれを見たら、色んな意味で脳みそがパンクすると思うので、脳みその限界に挑む覚悟で原作に目を通すことをオススメする。
 もっと言うなら、京極夏彦氏のデビュー作であり、百鬼夜行シリーズ第一作でもある『姑獲鳥の夏』から読んでほしい。舞台版ではその辺は上手く処理してあるが、『魍魎の匣』には『姑獲鳥の夏』の影響が現れているからである。

 第二に、ストーリーのまとめ方。
 恐らく原作の全ての場面をやり遂げようとしたら、到底2時間ほどでは済まない。原作では、何人かの登場人物の視点によって物語を進めていたり、テーマに沿ったうんちくが語られていたりする。小説としては一文字たりとも欠かせないが、時間の制約がある舞台では、誰を出し、どれを見せ、何を語るかなどの取捨選択をしなければならない。

 しかし、先ほどにも上げた箱型の枠や、キャラの名前や耳で聞いただけでは分からない言葉などをステージに投影することなど、様々な視覚効果も上手く使って、見る側の引っ掛かりを取り除いている。

 登場人物にしても、本筋に絶対必要なキャラクターだけを選び、選に漏れたキャラのセリフや役割をうまく割り振っている。

 頼子や加奈子についてもっと掘り下げても良かったかなと思わないでもないが、中途半端にやるとかえって話の筋がブレてしまうので、このくらいがいい塩梅かもしれない。

 終盤は私の記憶する限り原作の通りに展開していくので、楽しくて仕方ない。
 原作の骨格を保ちつつも上演時間内に収まるようにまとめたことに、最大の賛辞を送りたい(偉そう)。

 第三にキャストの皆さん。
 当たり前だけど上手い。全員が「この人がこの役でなくてはならない」という説得力があった。
 京極堂はそもそものセリフ量が膨大だし、その膨大なセリフを場面に応じて様々に語り分けないといけないので、かなり大変だったと思う。
 うっかりすると、皮肉屋で上から目線で嫌味な人間に仕上がってしまいがちな京極堂の、他者への優しさや人間らしさがちゃんと汲まれていて、キャラクター造形もちゃんとしている。

 この作品においては、木場が非常に重要なキャラであるが、こちらも相当に良い。原作よりはるかにイケメンでスタイルが良い(足が長い!)と思われるが、木場の一度暴走すると止まれないところや、不器用でめんどくさくて優しいところなど、こちらも原作からのイメージ通りであった。

 重要なキャラと言えば、加菜子と頼子の二人。
 加菜子はその外見から言動から思考から、どこをとっても頼子から見て憧れの存在である。加菜子には加菜子の事情があり、そのせいかどうか、浮世離れしている。
 頼子は己の境遇と環境に居心地の悪さを感じていたが、加菜子と親しくなるに従い、様子が変わっていく。頼子の母は、そんな娘に不安と恐怖を抱き、やがて御筥様を信じるようになり、しかしそのせいで娘との関係が悪化していく。

 加菜子と頼子について、微妙で複雑で喜劇的でさえあるほどに悲劇的な関係性であり、原作ではこの辺りについて、角度を変えつつ、大変な分量の文章を用いて濃やかかつ細やかに触れている。
 舞台ではそれを的確かつ端的に伝えなければならないため、演じる側にも相当の力量が必要と思われる。

 加菜子は特に前半でインパクトを残さなければならないし、頼子は変貌していく姿を見せなければならない。

 どちらも中学生であるため、若手の役者さんが演じることになるが、どちらも素晴らしかった。
 ちなみに、平川結月さんは頼子を演じていた。デビューして数年とは思えないほど、セリフ回しも演技もとても自然で上手かった。

 柚木陽子役に紫吹淳さん、美間坂医師役に西岡徳馬さんと、これも実にぴったりな配役で、存在感と演技によって舞台の重心が安定していた。

 個人的に主張したいのは、中禅寺敦子、通称:敦っちゃんがすごく賢くてカワイイ。とにかくカワイイ。榎木津礼二郎ではないが、カワイイと言わずにいられないほどカワイイ。
 全編を通して重苦しく妖しい空気の中、彼女が登場すると、事件について話していても、明るく爽やかになる。

終わりに

 コミック版をちゃんと読んでないのでアレなのだけど(評判が良いことは知っている)、この舞台版は原作に対して相当に良く出来ていると思う。

 深夜にやっていたアニメ版は結局最終回しか見られなかったけど、その最終回のまとめ方がイマイチ気に入らなかったし、キャラデザをCLAMPさんに依頼した割にはその効果がイマイチ見えなかった。

 もっとヒドイのは実写映画版で、TSUTAYAで100円でレンタルしたにも関わらず、途中で「100円返せ!」と叫んだほどの出来栄えだった。たとえ(小説と映像は別物であり、最高評価は70点、最低評価も70点という水木しげる御大の教えを守っている)京極夏彦氏が許しても、私が許さない。映画館で観なくて良かったと心から思っている。

 どうヒドイのかは別の話になるし、某原田〇人監督の名誉に関わることなので触れずにおきたい。

 こういうわけで映像化が大変な(それでも百鬼夜行シリーズにおいてはまだ可能性は高い)作品である『魍魎の匣』を、舞台としてもミステリーとしてもクオリティの高いものとして作り上げられたことが奇跡的である。

 つまり、大変面白かったです!

 そして、ミュージカル版が存在したことを知る。ミュ、ミュージカルだと!?
 こちらの評判も相当に高かったようで、何と同じスタッフとメインキャストで『鉄鼠の檻』のミュージカル版が2024年6月に上演予定だという。

 ミュージカル版『鉄鼠の檻』については、ざっと記事を見て、雑な記憶で書いているので、興味がある方はきちんと検索されることをオススメします。


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