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知られざる太平洋戦争のドラマ⑥

潜水艦「伊19」による空母ワスプ撃沈の舞台裏

一進一退だったガダルカナル戦

1942年夏から約半年間続いたガダルカナルの戦いは、アメリカ軍の勝利で終わった。しかし、アメリカ軍も決して楽勝だったわけではない。
初期の守備隊は補給の遅れで食糧不足に悩まされ、海上でも日本海軍とアメリカ海軍の間で、幾度も熾烈な戦いが起きた。このことで1943年までは、一進一退の攻防をつづけていたからだ。
とくに42年9月から11月にかけては米主力空母が次々と沈み、太平洋方面の主要艦がほとんど使用不能となるほど追い詰められたのだ。
その壊滅的被害の一因となったのが、日本海軍の木梨鷹一少佐だ。
彼は潜水艦長への登竜門だった水雷学校ではなく、航海学の学校から潜水学校に進んだ異色の人物で、日米が開戦すると「伊号潜水艦」の艦長として、おもに南方で活躍。最も有名なエピソードは、ガダルカナル戦での米軍空母「ワスプ」撃沈だろう。

接近してきた空母「ワスプ」

1942年秋ごろの日米両海軍は、まだ拮抗状態にあり、日本の潜水艦隊もガダルカナル島を海上封鎖するため哨戒任務に就いていた。この封鎖を任された9隻の中に、木梨の指揮する「伊19」潜水艦もふくまれていた。
同年9月15日、サンクリストバル島沖合を航行していた「伊19」に、司令部から重要な報告が届けられる。それは、基地索敵機による敵艦隊発見の報である。
進撃命令を受けた「伊19」は、敵艦隊が発見された三百度方向の海域に進出。そこで東方に航行する音源を察知する。そして音源を追跡すると、約1時間後にアメリカの空母艦隊を発見した。
この艦隊こそが、輸送船団の護衛に就いていた空母「ワスプ」を旗艦とする第十八任務部隊である。
すでに索敵機を撃墜していた「ワスプ」は日本艦隊の接近を警戒して輸送船団から離れ、艦内では艦載機への燃料補給と兵装搭載作業の真っ最中だった。敵駆逐艦を避けつつ30分ほど追跡していた木梨は、空母と潜水艦の速力差をかんがみ、遠距離からの雷撃を試みようとした。
ところがここで幸運が起こる。なんと「ワスプ」が「伊19」の方へと転舵。速度も16ノットにまで落ち、転舵から約10分後に「伊19」は、「ワスプ」の約900メートルまで近づけたのである。

潜水艦1隻であげた大戦果

この絶好のチャンスを木梨は見逃さなかった。
艦内にはすぐさま攻撃命令が下され、6本もの酸素魚雷が「ワスプ」に発射された。そのうち3本が命中し、爆発によって「ワスプ」の格納庫内の機体や爆弾が次々に誘爆。さらには艦内に漏れ出した燃料への引火によって、たちまちのうちに消火不能の大火災に包まれた。
艦長のフォレスト・シャーマン大佐は、艦の維持が不可能と判断し、命中から約40分後に総員退艦を命じた。そして放棄されたワスプは駆逐艦「ランズダウン」の魚雷で処分されたのだった。
しかも、被害は「ワスプ」だけで終わることはなかった。
「ワスプ」の近辺では空母「ホーネット」を主力とする第十七任務部隊もいたのだが、なんと外れた3本のうち2本がこの艦隊に命中。ラッキーヒットではあったが、その被害は極めて甚大だった。
駆逐艦「オブライエン」は魚雷の直撃で右舷艦首部が大破し、本土への航行中に沈没した。側面部に命中した戦艦「ノースカロライナ」は沈没こそしなかったが、使用不能となった第一砲塔などの修理のため3ヵ月も戦線を離れてしまったのである。
木梨がこの攻撃であげた戦果は空母1隻撃沈、駆逐艦1隻撃沈、戦艦1隻大破。まさに潜水艦1隻で出したとは考えられないほどの大戦果であった。

慎重を期して逃した奪還のチャンス

木梨は活躍を称えられて中佐に昇進したが、「伊19」が与えた被害は日本海軍が想像した以上のショックをアメリカにあたえていた。なぜなら、このときアメリカ太平洋艦隊は4隻しかない正規空母のうち2隻が修理ドッグに入っていて、さらに「ワスプ」が沈んだことによりガダルカナル方面で使用可能な空母が「ホーネット」のみとなったからだ。そのため、アメリカ海軍は空母戦力が充実するまで反撃ができなくなった。
とはいえ、日本海軍がそうした敵の事情を知るわけはない。慎重を期した海軍は主力艦隊を動かすことなく、島奪還のチャンスを逃してしまったのだ。
ガダルカナル戦後、「伊19」は1943年11月25日にマキン島沖で沈没。木梨は43年末から物資交換のためドイツへ派遣されたが、帰還途中の1944年7月25日に台湾南方でアメリカ潜水艦の待ち伏せを受けて戦死する。
「ワスプ」撃沈の立役者は、こうしてすべて姿を消したのだった。


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