太平洋戦争はこうしてはじまった61

軍と政府が一体となった開戦準備


 1941年後半の日本陸海軍は、資源不足による交戦力の低下という「ジリ貧論」をくり返して開戦準備を進めていた。11月5日の御前会議で新帝国国防要領が承認されると、その同日に作戦計画を昭和天皇に上奏。天皇裁可のもとで戦争準備はより本格化していく。
 陸軍参謀本部は南方各軍に臨時編成を発令し、6日には戦闘序列が各部隊に命令される。戦闘序列とは、戦時を想定した作戦部隊の編制令だ。また満州方面などの各航空隊にも南方転用が命じられ、戦時体制の構築は着々と進められた。
 一方の海軍では、9月時点で艦隊の戦時編成を発令済みだった。連合艦隊司令長官山本五十六の発案したハワイ真珠湾作戦が、軍令部に承認されたのは10月19日である。11月5日には、連合艦隊などに作戦準備の実施に関する大海令が発令される。そして11月8日の作戦命令第一号・二号によって武力発動は12月8日と定められた。この時点では予令だったが、実質的な動令だ。
 11月15日になると、陸軍は陸軍省令の改正を即日実施。対象となったのは、兵役法施行令、武官服役令の勅令、陸軍省集規則などの5令だ。これによって、体力が劣るなどの理由で除外されていた第二国民兵の招集も可能となり、従来以上の大規模動員が実現できた。
 さらにこの日より、マレー半島に向け第五師団が早くも上海を出港している。対米開戦後、この部隊は海軍南遣艦隊護衛のもとに上陸作戦を決行し、シンガポール攻略に進軍する予定となっていた。海軍艦隊も11日の第三潜水部隊のハワイを皮切りに、予定戦場に向けての出撃が随時行われる。海軍機動部隊に出撃命令が発令されたのは23日。26日は択捉島単冠湾に集結中の第一航空艦隊がハワイに向け出港する。この艦隊が、ハワイ真珠湾奇襲を決行することになる。
 こうした軍部の準備の裏で、増税案が11月13日に閣議決定される。「未曽有の大増税」と報道された増税額は初年度約1億7300万円、翌年度以降は平年6億3500万円が予定された。翌日の定例会議では一般会計算出として約5億1000万円、臨時軍事費として本費・予備費合計38億円の追加が決定する。
 外務省も対米交渉を進める一方、遂行要領に基づき独伊との不単独講和条約の締結および対米宣戦の同意を目指し、南方侵攻に際するタイとの領土通過交渉を進めていた。まさに日本全体が、戦争を前提として進んでいたのである。

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