さよなら My Star
小説投稿サイトエブリスタに載せている私の自作小説を転載しています。
但し、エブリスタ内のコンテストで賞を頂いている作品もいくつかあり、
それらはエブリスタ以外で公開することができませんので、
もし興味ある方がいましたら本家のサイトでどうぞご覧ください。
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「依田君、結婚するらしいよ」
目を丸くして、そうなの!?と大げさにはしゃぐ私は、はたして自然な演技をできていただろうか。
同期の依田智樹が結婚する――。それをどこか他人事のようにぼうっとした頭で聞いていた。
相手は同じ部署の後輩である、小野田美樹だ。私は依田君とも美樹ちゃんとも仲が良い。2人が付き合っていたなんて知らなかったけれど。どちらかというと彼らはそれほど仲が良かったわけではなかったから、まさかそういうことになるなんて思ってもみなかったけれど。でも、喜ぶべきだと思う。
私は、依田君のことが好きだった。
同期入社で同じ部署に配属された彼は、内定者時代からカッコいいともてはやされ、入社後は先輩から後輩までたくさんの女性にモテた。私はそういう華やかな人は昔から苦手で、彼とは積極的に話すこともなかったが、同じ取引先を担当する営業マンとアシスタントという立場になり、潮目が変わった。
「依田君、さっき電話くれた契約書の件、先方には先にPDFでサインもらったから。サプライヤーにも商談がまとまったこと報告しといたよ」
「三田ちゃんありがとう!仕事が早いから本当助かるよ。今回の商談も三田ちゃんがサポートしてくれなかったら無理だった」
自分で言うのもナンだが、私は仕事ができる方だった。依田君も私には全幅の信頼を寄せてくれていた。いわゆるイケメンと呼ばれる人種には興味がなかったけど、笑うとタレ目になる依田君の人懐っこい笑顔が大好きで、私は彼の笑った顔を見たいがために、仕事をさらに頑張るという不純な動機で、社内の評価をあげていった。依田君と一緒に取引先に同行させてもらう機会も増え、アシスタントの職域を越えた仕事をする頃には、彼とはニコイチと呼ばれるまでの間柄になっていた。仕事で経験した嬉しいことも辛いことも、依田君とは全て共有してきた。あの頃、依田君と一番仲の良かった女子は私だったと自信を持って言える。私と彼は、確実に深い絆で結ばれていたのだ。上司からは付き合えとけしかけられ、部署の飲み会では、私の席は必ず依田君の隣にされる。もちろん内心では嬉しかったけど、あくまで公には友達であり仕事のパートナーの立場だ。だから、そういう時にはちょっと迷惑そうに顔をしかめるのが、私のお決まりの行動だった。
依田君のシンガポール駐在が決まった時、いよいよ覚悟を決めなければと思った。実は、ずっと待っていた。依田君の方から何らかのアクションを起こしてくれることを。そう期待してしまうくらい、彼も私を意識してくれていたと思うのだ。
「三田ちゃん、今日誕生日だったよね。これ……」
25歳の誕生日、そう言って依田君が恥ずかしそうに差し出したのは、百貨店の包装がされた小さな包み。開けてみれば、ヴィヴィアンウエストウッドのタオルハンカチだった。どうしてヴィヴィアン!?と思ったけれど、女性の好みやプレゼント事情に全く疎い依田君が一生懸命考えてくれたんだと思うと、嬉しくて嬉しくて。決して好みではないそのハンカチを、今でも私は大事に持っている。2人で飲みにも行った。休日に遊びに行ったこともある。そういう時に感じる依田君の優しさやちょっとした雰囲気の中に、少し特別なものが混じっていたのを私は敏感に感じ取っていた。でも、彼が私に欲しい言葉をくれたことはなかった。だから、覚悟を決めて私が一歩踏み出さなければいけないと思ったのだ。
「依田君、もう引っ越し準備済んだの?」
部署での依田君の送別会のあと、私達はどちらからともなく二件目に誘い、雑居ビルの地下のひっそりとしたバーで飲み直した。
「全然。引継ぎで連日残業だし、引っ越し準備する暇もないよ。さすがに疲れたな」
「でも、シンガポール楽しみだね?」
「そりゃもう。念願の海外駐在だから。ずっと希望だしてたからさ」
依田君は、疲れた顔も見せずキラキラとした笑顔を見せる。この海外駐在は、彼にとっては喜びでしかなかった。私は少し寂しく思った。
「依田君、あのさ。私ね、依田君のこと……」
「三田ちゃん」
私の緊張した雰囲気を感じ取ったか、依田君が言葉を遮る。
「俺、今は仕事に100%集中したいんだ。だから、いつになるか分からないけど、駐在終わったらその時は……」
依田君はその先の言葉は言わなかった。でも、私はうなづいた。
「うん、帰ってくるの待ってるね」
本当は、不安だった。でも、はっきりさせようとして逃げられたらと思うと怖くて、わざと曖昧にした。大丈夫、大丈夫。私達は強い絆で結ばれているんだから。そう言い聞かせて、私は依田君を送り出した。
初めのうちは、仕事上のやりとりもあって、頻繁に連絡を取り合っていた。現地での仕事は大変そうだったけど、依田君はとにかく毎日充実しているようで、私の入り込む隙はなかった。連絡はいつも私からになり、依田君はそれに対する返事すらしないことも増えてきた。そのうち1年が過ぎ、2年が過ぎ、私もその頃部署を異動して、お互いに連絡も間遠になり、とうとう彼氏もできてしまった。決して依田君を忘れたわけではなかったけど、半分は諦めていたのかもしれない。ただ、頭の片隅にはいつも依田君専用のスペースがあったものだから、イマイチその彼氏ともうまくいかず、結局1年も続かずに破局を迎えた。
そして駐在生活が丸3年経った頃、依田君は帰任した。私は心のどこかで期待に胸を踊らせていた。でも、自分から彼にあの時の答えを迫ることは決してしなかった。それどころか、おかえりの一言すらかけなかったような気がする。なぜかと言われれば、意地としか言いようがない。私は依田君が旅立つ前に思いを打ち明けた。完全に打ち明けられたわけではなかったけど、確実に伝わっていた。それに対して彼は、駐在が終わったら、と言った。まだ私のことを少なからず思っているなら、依田君の方から来てほしい――そう思ってしまったのだ。
私は待っていた。いつまでもいつまでも待って、そのうち彼が以前のように気安く話しかけてくるようになってまた期待した。それでも彼は私の欲しい言葉を何も言ってくれなくて、そのうちそんな約束はなかったかのように、また私を蚊帳の外に置いて仕事に打ち込み始めた。気付けば、依田君が帰ってきてから1年が経過していた。同期数人で飲むことはあっても、もう2人でどこかに行くこともなくなっていた。さすがに気付き始めていた。あんな、口約束とも言えない酒の席でのリップサービスは、もう忘れるべきなのだと。
依田君の結婚の話を聞いたのは、ちょうどそんな時だったのだ――。
同期からその噂を聞いてまもなく、小野田美樹からランチに誘われた。
「美樹ちゃん、依田君と結婚するんだって?」
「はい…。直接ご報告するのが遅くなってすみません。三田さん、びっくりですよね? 私もいまだに信じられなくて」
美樹ちゃんは恥ずかしそうに俯いてはにかむ。美樹ちゃんはとても可愛い。大きな瞳に背中まで伸びたフワフワの髪の毛。依田君の隣に並んでも全く見劣りしない。容姿だけなら、私よりもよっぽど依田君にお似合いだ。でも、私が知る限り、2人は犬猿の仲だった。2つ後輩の美樹ちゃんは、仕事の要領が良くないタイプだった。私に慣れていた依田君にとって、美樹ちゃんの仕事のやり方はまどろっこしく思えるらしく、よく彼女を叱っているのを見かけた。美樹ちゃんも美樹ちゃんで、甘い外見に似合わず気が強いので、2人はよく言い合いをしていたのだった。その反面、きっと依田君は美樹ちゃんみたいな人を好きだろうとも思っていた。美樹ちゃんは、仕事の出来はそれほどだったけれど、努力家で、依田君のハイレベルな要求にも必死に食らいつくほどのド根性ガールだったのだ。彼らが結婚するなんて露ほども想像していなかったけど、そうなってしまえば納得がいく。
「うん、びっくりした。私が異動する前は、美樹ちゃん達よくケンカしてたよね」
「ですよね。さすがにここ数年はそんなこともしなくなりましたけど、その記憶だけは強烈でしたから、依田さんから告白された時はとっさにムリムリって言ってました」
美樹ちゃんはカラカラと笑いながら、私の胸を残酷な言葉のナイフで突き刺す。依田君が美樹ちゃんに告白をした。依田君が美樹ちゃんを好きになった。依田君が私よりも美樹ちゃんを選んだ。血の気が引くように、目の前でしゃべる美樹ちゃんの声が遠くなる。
ひどい。ひどいよ依田君。確かに私達は何の約束も交わしていなかったけど。ほとんど諦めてだっていたけど。私は――。
「依田美樹さんになるんだね」
「はい。変な感じですよね」
依田ゆかりの方が、断然語呂はいいと思う。いつかそう名乗ることを想像していた。でも、もう永遠に叶うことはない。この苗字は、今はもう美樹ちゃんのものだ。
翌日、私は出社するなり依田君の元へ向かった。一刻も早くおめでとうと言ってしまって、一刻も早くこの気持ちにケリをつけたかった。私は、依田君との仕事の思い出が詰まった前の部署へ久しぶりに足を運ぶ。私の席だったところにはもう、知らない人が座っている。依田君は、一番窓際の席で既にパソコンに向かっていた。
「依田君。おはよ」
「おお、三田ちゃん。おはよ」
依田君は少しびっくりしたように、でもすぐにあの人懐こい笑顔を私に見せる。
「昨日、美樹ちゃんとランチしたの。……結婚、するんでしょ?」
私は、あえてすぐにおめでとうと言わなかった。結婚するんでしょ?と聞いたあと、依田君がどんな反応をするのか見たかったのだ。嫌な女だと思う。悲しそうにする? 気まずそうにする?
――否、そのどちらでもなかった。
「あ、聞いた? 実は、そうなんだ。今朝から色んな人から聞かれるし、照れるな」
依田君は美樹ちゃんと同じ、恥ずかしそうなはにかみ笑顔で頭を掻く。少しも罪悪感など感じていないその顔に、私は心の底から打ちのめされた。
――どうして? どうしてあなたは笑っているの? あなたはシンガポールで、私のことなんてすっかり忘れてしまったの?ただの少しも思い出さなかった? 私はずっと待っていたよ。そりゃ、一途にとは言えなかったけど、それでも私は、またあなたの隣に並んで歩けるとずっと思っていたよ。2人で仕事に明け暮れた日々や、夜更けまで語り合った記憶が、急に色を失っていくようだった。
「……おめでとう。 良かったね」
私は最後の力を振り絞るように、かすれた声で、やっとそれだけ言えた。
「ありがとう!」
依田君は、心から幸せそうに笑った。たくさんの彼の表情を知っている私ですら、見たことのない笑顔だった。
やっと理解した。依田君と結ばれるべき人間は、私ではなかったのだ。
その日から私は依田君と会っていない。どうやら、結婚式の準備も順調に進んでいるらしい。どうにもならない気持ちを抱えてぐずぐずしている私をよそに、依田君と美樹ちゃんは輝かしい未来に向けて進んでいる。きっと、このままいけば私は2人の結婚式か、その二次会には呼ばれるだろう。どういうつもりで彼は私を自分の式に呼ぶのか、などとまたやり場のない憤りがこみ上げそうになるけど、そんな不毛な問答を彼にしたところで、彼にしてみれば、私がなぜこんな気持ちでいるのかきっと分からないのだろう。理不尽だと思うけど、それが依田君だ。
でも、どうかこれだけは教えて欲しいと思う。私たちが心を通わせていたあの日々は、ただの私の幻覚だった?それとも、あなたもあの時は本当にそう思ってくれていた?
私は、とうとう彼に面と向かって言うことのできなかった言葉を、祈りの言葉を口にするように呟く。
「あなたのことが好きだったよ、依田君」
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