タケダ@文学批評サイト「本と所感」運営中

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Twitterや、文学批評サイト「本と所感」(hontoshokan.com)には載せていない、本にまつわったりまつわらなかったりするエッセイを公表しています。つまり雑文帳。

最近の記事

すべての道は老婆に通ず!?:荒井文雄「呪い」

神話以来、特に日本では父性の強権的支配に比べた、母性の持つあたたかな包容力について多く語られ、信じられてきたが、個人主義が主流となった現在に至ってある問題が浮上してきた。それは、母性を持つ主体、すなわち母がその包容の環から締め出されているという問題である。 母性神話を信じる限り、母はその特異な位置づけによって静かな犠牲者とならざるを得ないわけだが、母をその位置から救い出すことは可能なのだろうか。そしてこの問いに対し、母にもまた包容される母がいるのだから、実際的にはその問題は

    • あるいはひとつの被虐趣味:鮎川信夫「いまが苦しいなら」,萩原朔太郎「天上縊死」

      天を仰ぎ、眞實に地面(じべた)に生きてゐるものは悲しい                 ―北原白秋 鮎川信夫による「いまが苦しいなら」は理解の困難な箇所は最後の数行を除いて一つとしてなく、ほとんど直接的でさえあるが、問題は本詩に描かれる癖の強い哲学的宗教観にある。 本詩は2段下げられた箇所を別にすれば、内容から判断するに「それがこの世の習慣である」の前後2つに分けることができる。 前半部はごくありふれた理想混じりの一般論で、他人から赦されたいのならば、まず自分が他人を赦

      • 無関係の無い話——詩の鑑賞 石田京「遠い雷」——

        さいきん、人間は古代から現代に近づくにつれて頭がよくなってきている、と言われている。ことの当否はともかくとして、まちがいなく言えることは、人間は集団になるとー各人の知性の入り込む余地など全くなくー極端に単純になるということである。 * 「私」の捉えた岨道を進む一群の人たち。彼らは顔を汗に濡らしながらも、いっさい音を立てることなく静かに、そして休まずに行進している。彼らは究極の奥義を修めんとする霊感に捕らえられた修行者なのかもしれないが、しかし、「私」の眼にはそう単純に映ら

        • foolの正体—断想—

          ⭐︎ 嘘を言うのは嘘つきだが、嘘を広めるのは正直者たちである。 ⭐︎ 沈黙への恐れ、話題の不足、下手な冗談……からはろくな言葉は生まれない。 ⭐︎ 社会で大切なのは社交性であり、そのため、しばしば社交的な悪は許容され、賞賛を浴びる。 ⭐︎ 群衆の誤謬を解くのは理性ではなく時間である。 ⭐︎ 他人から称賛を得るために独自の道を行くこと、それは最も安易で最も偶然性の強い方法である。 ⭐︎ 言葉は——身体行為に影響を与えながら——無言に何の変容も与えなかった。

        すべての道は老婆に通ず!?:荒井文雄「呪い」

          開かれた形而上的口―石垣りん「シジミ」を解説―

          この詩は石垣りんによる「シジミ」という作品で、『表札などー石垣りん詩集』(2000年3月童話屋)に収録されている。一見すると、特に難しいということもない詩である。 「口をあけて」ということばがシジミと私を繋ぎ、明日になれば食べられてしまうということも知らずに口をあけて今を生きているシジミのように、私もまた明日になれば不意に食べられてしまいかねない運命をもった存在にすぎない。 このように読み解くのは簡単だが、しかし、大意は詩を殺す。詩を味わうには言葉を尽くすか、あるいは、沈

          開かれた形而上的口―石垣りん「シジミ」を解説―

          私性の物語~宝石から小銭へ~―久生十蘭『虹の橋』を読む―

          今日ほど個性(あるいはじぶんらしさ)ということに自意識的である時代はないのではないかというほど、個性は現代を彩る重要なテーマの1つである。個性の問題がどのような経緯でわれわれの内に生じたのかは分からないが、各人の個性は当然の権利として大切にされるべきものだと考えられていることは確かだといってよいだろう。 しかし、もし人が何の理由もなく尊重されるべき存在だと考えているならば、それは単なる高慢ではないのか。たしかに、簡単に理由をあげつらうことは剣呑だが、無条件にそれを受け入れて

          私性の物語~宝石から小銭へ~―久生十蘭『虹の橋』を読む―

          眠気をさそう、そんなworry―後藤明生『書かれない報告』を読む

           今日でこそ、劇詩人ウィリアム・シェイクスピアは歴史的に見て最高の作家の1人に数え上げられるほどの評価を得ているが、しかし、彼の生きた時代では必ずしも評価されているわけではなかったという。哲学者であり文芸批評家である柄谷行人は、シェイクスピアの評価の変遷についてこう書いている。 このようなことは特にシェイクスピアに限った話ではなく、元来われわれと同時代の文学の評価をするのは難しいものである。というのも、そういったものをわれわれは自身の時代感覚によって簡単に判断してしまう傾向

          眠気をさそう、そんなworry―後藤明生『書かれない報告』を読む

          ことわざ3つ―津村記久子『うどん屋のジェンダー、またはコルネさん』を読む

           最近は小説や漫画、映画などに変わったタイトルを付ける傾向が顕著に見られる。簡単に例を挙げてみると、 詩的なナンセンスさを感じさせる『君の膵臓をたべたい』や、 格言調の『逃げるは恥だが役に立つ』、 七五調の『ブキーポップは笑わない』、 タイトルが文章になっている『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』、 海外に目を向けるとサリンジャーの『マヨネーズぬきのサンドイッチ』(『This Sandwich Has No Mayonnaise』)…… このような一風変わっ

          ことわざ3つ―津村記久子『うどん屋のジェンダー、またはコルネさん』を読む