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03.マヤ 都市国家の興亡:特別展「古代メキシコ―マヤ、アステカ、テオティワカン」見聞録 その03

2024年03月20日、私は国立国際美術館を訪れ、一般客として、特別展「古代メキシコ―マヤ、アステカ、テオティワカン」(以下同展)に参加した([1][2])。

 

同展「3 マヤ 都市国家の興亡」での展示物を紹介する。

 

マヤは前1200年頃から後16世紀までメソアメリカ一帯で栄えた文明であり、後1世紀頃には王朝が成立した。都市間の交易や交流、時には戦争を通じて大きなネットワーク社会を形成した。王や貴族はピラミッドなどの公共建築や集団祭祀、精緻な暦などに特徴をもつ力強い世界観を有する王朝文化を発展させた([3][4]のp.92)。

 

夜空を描いた土器と星の記号の土器から、天体の動きは地上の出来事と密接に関わっていると考えられていたこと、および、金星は太陽と月と並ぶ重要な星として崇められ、観測対象とされたことがよく分かる(図03.01,図03.02,4のp.94,96)。

図03.01.夜空を描いた土器。
図03.02.星の記号の土器。


金星周期と太陽暦を表わす石彫は、584日の金星の周期5回分が、365日の太陽暦の8年に当たることを示すものと考えられる(365×8=2,920=584×5,図03.03,4のp.98)。

図03.03.金星周期と太陽暦を表わす石彫。


ハイナでは、支配者層などの土偶が出土している(図03.04,4のp.102,103)。

図03.04.支配者層の土偶。


大型獣が少ないマヤ地域では、鹿が最も重要な狩猟対象で、動物性タンパク源であることを鹿狩りの皿は示している(図03.05,4のp.108)。

図03.05.鹿狩りの皿。


円筒形土器はカカオの飲料用に使われたものと思われる(図03.06,4のp.110-111)。

図03.06.円筒形土器。


道標は、パレンケの中心部と周辺の町をつなぐ道の開設を記念して建てられた石彫と思われる(図03.07,4のp.112)。

図03.07.道標。


金属をもたなかった古典期のマヤ人は、黒曜石やチャートなどを使ってナイフなどの道具を作ったが、英語でエキセントリックと呼ばれる様々な形の祭紀具も制作した。

チャート製芸術品の最高峰である神の顔形エキセントリック(両面加工石器)は、711年の日付をもつエル・パルマール石碑10の建立の際に埋納物として納められたものである。4つの角にみえる人の顔のようなものは、世界の四隅を守る神を表わしているのかもしれない(図03.08,4のp.113)。

図03.08.神の顔形エキセントリック(両面加工石器)。


炭酸カルシウムが層状に堆積した半透明のアラバスターで作られた容器は、メソアメリカ各地で珍重された(図03.09,4のp.114)。

図03.09.アラバスター容器。


猿の神とカカオの土器蓋は、カカオの果実を首飾りとして着けた猿の神が描かれている。猿はカカオの果実を好んで食べるため、カカオと結び付けられることが多かった。現代のチョコレートと同様、カカオの飲料には果実の種子であるカカオ豆が使われた(図03.10,4のp.115)。

図03.10.猿の神とカカオの土器蓋。


トニナ石彫153に刻まれた捕虜は、トニナの王4(名の読み方は不明)に捕らえられたアフ・チーク・ナフブ(カラクルムの人を意味する)である(図03.11,4のp.118)。

図03.11.トニナ石彫153。


マヤ人にとって球技、スポーツや娯楽であると共に、宗教的な儀礼でもあった。球技をする王の姿を示す石彫には、現実の球技を表わすもののほか、神話的な出来事と結びつけて表わすものもある。トニナ石彫171も、現実には存在し得ない球技の様子を表わしている(図03.12,4のp.116-117)。

図03.12.トニナ石彫171。


96文字の石板は783年にキニチ・クック・パフラムの即位20周年を記念して彫られたものである(図03.13,4のp.124-125)。

(a)石板。
(b)解読文字。
図03.13.96文字の石板。
マヤ文明783年。パレンケ、王宮の塔付近出土。石灰岩。高さ59cm、幅135cm。
アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館10-335186。


パカル王とみられる男性頭像(複製)の原品は、碑文の神殿のパカル王墓内で見つかった。誰を表しているのかを明確に示すものはないが、パカル王であるという説が強い(図03.14,4のp.122-123)。

図03.14.パカル王とみられる男性頭像(複製)。


デュペの石板は、パレンケの王宮のうち、最初に建てられた部分である南部の「地下の建物」にあった6つの石板の1つである(図03.15,4のp.128)。

図03.15.デュペの石板。


マヤの儀式では、コーパルという木の樹脂から作った香がさかんに焚かれたが、そのために石や土器で作られた香炉が、神殿や住居の内部や周りに置かれた。キニチ・カン・バフラムの代に作られるようになった、この壮麗な土器の香炉代はパレンケ特有のものである。この上に椀形の土器が置かれ、その中で香が焚かれた(図03.16,4のp.134-135)。

図03.16.香炉台。


レイナ・ロハ(赤の女王)は、パカル王の妃であると指摘されているイシュ・ツァクブ・アハウ(「王朝の後継者」の意)王妃である。彼女は、その地位に相応しく、これから始まる長旅に備え、一連の副葬品や豪華な装飾品と共に、盛大な儀式により石棺の中に葬られた(図03.17,4のp.137-149)。

(a)マスクなど。
(b)解説。
図03.17.赤の女王のマスクなど。


ユカタン半島北部には、石灰岩が地下水に侵食され陥没してできた丸い穴(シンク ホール)に、地下水系とつながった水がたたえられているものが多数あり、マヤ語でセノーテと呼ばれている。マヤ低地のなかで最も降雨量の少ないこの地域では、貴重な水源であり、信仰の対象でもあった。そのなかでも、チチェン・イツァにあるグラン・セノーテ(大きなセノーテ)と呼ばれるものは特に重要であり、人身供犠を含む多くの供物が投げ込まれた。チチェン・イツアの住人だけでなく、遠隔地からの巡礼者も訪れ、供物を捧げていったことがわかる。ヒスイでできたイクの文字のペンダントは、その中央にイクの文字であるT字形の切り込みがある。「イク」とはマヤ語で風を意味するが、人の息、生命力、風の神、雨の神なども象徴し、マヤの王侯貴族が儀礼の際にイクのペンダントを着けた図像が多数ある(図03.18,4のp.155)。

図03.18.イクの文字のペンダント。


モザイク円盤(図03.19)はエル・カスティーヨ(図03.20)で見つかった(4のp.160)。

図03.19.モザイク円盤。
図03.20.エル・カスティーヨ。


チャクモール像はマヤ地域北部のチチェン・イツアとメキシコ中央部のトゥーラから多く見つかっており、両都市の関係を示すものと考えられる(図03.21,4のp.152-153)。

図03.21.チャクモール像。


アトランティス像は王座の下に複数置かれ、両手で王座と王を支える人を表わす。メソアメリカ各地にみられる、世界の四隅で天を支える神が、この意匠のもとになっていると考えられる。チチェン・イツァでは、アトランティス像に支えられた台座はチャクモール神殿やジャガー神殿などで見つかっている。

トゥーラ出土のアトランティス像も、チチェン・イツァのものと同様に王座を支えていたものと考えられる(図03.22,図03.23,4のp.158-159)。

図03.22.チチェン・イツァのアトランティス像。
図03.23.トゥーラのアトランティス像。


いずれの出土品も、マヤ文明の歴史や素晴らしさを感じさせるものである。特に、赤の女王は私に畏敬の念を抱かせた。



参考文献

[1] 株式会社 朝日新聞社,特殊法人 日本放送協会(NHK),株式会社 NHKプロモーション.“特別展「古代メキシコ―マヤ、アステカ、テオティワカン」 ホームページ”.https://mexico2023.exhibit.jp/,(参照2024年07月18日).

[2] 株式会社 NHKエンタープライズ.“特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」見どころからグッズまで徹底レポート!”.NHKグループ モール ホームページ.読みもの.2023年07月21日.https://nhk-groupmall.jp/blogs/read/ancient-mexico-report,(参照2024年07月18日).

[3] 独立行政法人 国立文化財機構 東京国立博物館.“特別展「古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン」”.東京国立博物館 トップページ.展示・催し物.展示.平成館(日本の考古・特別展).https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2565,(参照2024年07月18日).

[4] 特別展「古代メキシコ―マヤ、アステカ、テオティワカン」公式図録,216 p.

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