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透明にした生き物を見てみよう!:理化学研究所 大阪地区 一般公開2019から学んだこと その06

PDF版は「透明にした生き物を見てみよう!」を参照。

2019年11月23日、私は理化学研究所 大阪地区(以下大阪地区)を訪れ、一般客として理化学研究所大阪地区一般公開2019(以下同一般公開)に参加した([1])。

「21.透明にした生き物を見てみよう!」(図01)で、生命機能科学研究センター(以下同センター)合成生物学研究チーム(以下同チーム,チームリーダー (以下敬称略),[2],[3])はCUBIC(キュービック:Clear, Unobstructed Brain Imaging Cocktails and Computational analysis)試薬(透明化試薬「Scale(スケール)」([4])の改良試薬)で透明化したマウスの脳(図02,[5])と生後1日のマウス(図03,[6])を展示した。

こうして透明化した臓器や個体試料をシート照明型蛍光顕微鏡で観察することで、臓器丸ごと・個体丸ごとにおける1細胞解像度の三次元イメージングデータを1時間程で取得できた。これは、遺伝学的に組み込んだ蛍光タンパク質だけでなく、臓器や個体の解剖学的な構造を取得するための核染色剤も可視化できることを示す。

CUBICの三次元病理解析への応用の一例として、膵臓に島状に散在する内分泌機能を有する細胞群「ランゲルハンス島」の体積と総数を統計解析する手法が作成され、健常マウスと糖尿病モデルマウスが比較された。その結果、糖尿病モデルマウスにおいてランゲルハンス島の総数が大きく減少し、特に体積の大きなランゲルハンス島が減少していることが確認された。

また、三次元解剖学への応用例として、イメージング データの画像解析による、各臓器の解剖学的に重要な構造の抽出が成功した。具体的には、心臓における心室や心房、肺における気管支樹、腎臓における皮質・髄質・腎盂(じんう)、ならびに、肝臓における脈管構造などが可視化された。さらに、CUBICと免疫染色法とを組み合わせた臓器丸ごと免疫染色法が確立され、免疫組織化学的な解析にも適用できることが示された(6)。

CUBICにより、個体レベルの生命現象とその動作原理を対象とする「個体レベルのシステム生物学」の実現に1歩近づき、生物学のみならず、医学分野においても大きな貢献をもたらすと期待できる。

図01.組織透明化の原理。
図02.CUBIC試薬処理済マウス脳。
CUBIC試薬で透明化後、染色液で染色。
図03.マウス 生後1日。向かって左から、生理食塩水溶液処理済とCUBIC試薬処理済。

2016年03月18日、上田らはコンピュータ シミュレーションを用いた睡眠時間制御因子の絞り込みを行った後、ノックアウト マウスを用いて睡眠時間制御因子を同定した。そして、コンピュータ シミュレーションで予測されたカルシウム イオンの流入に必要なN-メチル-D-アスパラギン酸(N-Methyl-D-aspartic Acid:NMDA)型グルタミン酸受容体を薬理学的に阻害することで、詳細な解析を行った。その結果、マウスの睡眠時間が減少することを明らかにした。さらにCUBICを用いて、睡眠が減少したマウスの脳を透明化し、一細胞解像度で観察した。その結果、NMDA受容体の阻害(すなわちカルシウム イオンの流入阻害)によって、大脳皮質の神経細胞の興奮性が上昇することを示した。

以上より、カルシウム イオンの流入に伴う神経細胞の過分極が睡眠を誘導することを世界で初めて明らかにした。

上田らは、単一の遺伝子(Kcnn2、Kcnn3、Cacna1h、Cacna1g、Atp2b3、Camk2a、および、Camk2b)をノックアウトすることで、安定した表現型を示す睡眠障害モデルマウスを作製することに成功した。さらに睡眠障害と精神疾患、神経変性疾患との密接な関係から、今後、これらの睡眠障害マウスをより深く研究していくことで、精神疾患や神経変性疾患の原因解明や治療薬探索への貢献が期待される([7],[8],[9])。

なお、同チームによる研究などを以下に示す。

1.国立研究開発法人 理化学研究所.“臓器内の全細胞を調べる革新技術-高速イメージングと高速解析で生物学・医学研究を次世代化-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2019.2019年12月13日.https://www.riken.jp/press/2019/20191213_1/index.html,(参照2023年02月28日).

同チームら共同研究グループは、透明化された試料の3次元撮影を高速化するために、MOVIE-scan、MOVIE-skip、および、MOVIE-focusからなる高速イメージング技術「MOVIE」を開発し、これらを用いた高速かつ高解像な「光シート蛍光顕微鏡(MOVIE顕微鏡)」を作製した。その結果、透明化されたマウス全脳を従来の5分の1以下にあたる5~12時間で高解像に撮影できるようになった。さらに、取得した画像データに対してCPUとGPUの並列計算に最適化したアルゴリズムを開発し、2~8時間での全細胞の検出・解析を可能にした。


2.国立研究開発法人 理化学研究所.“3次元組織学による全臓器・全身の観察技術を確立-組織の物理化学的性質に基づき理想的なプロトコルを設計-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2020.2020年04月27日.https://www.riken.jp/press/2020/20200427_2/index.html,(参照2023年02月28日).

同チームら共同研究グループは、生体組織の物理化学的物性を詳細に調べた結果、生体組織(特に透明化処理を行なった組織)が、主にタンパク質によって構成される「電解質ゲル」の一種であることを再発見した。この物性から組織を模倣できる人工ゲルを選別し、組織3次元染色の必須条件を探索するスクリーニング系を構築した。さらに収集した必須条件を組み合わせることで、理想的な3次元染色プロトコルをボトムアップにデザインすることに成功した。開発したCUBIC-HV法(CUBICに基づく3次元組織学・3次元イメージング)は、CUBIC透明化法や高速ライトシート顕微鏡との組み合わせにより、マウスの全脳、マーモセットの半脳、および、ヒト脳組織ブロック等を均一に染色し、3次元的な全臓器組織観察を可能にした。

 

3.国立研究開発法人 理化学研究所.“ES細胞塊を簡単に単離できるデバイス-遺伝子改変マウスの作製を加速する-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2020.2020年10月05日.https://www.riken.jp/press/2020/20201005_1/index.html,(参照2023年02月28日).

同チームら研究チームは、コロニーを線状に並べて見つけやすく、また採取しやすくするための細い溝と、採取したコロニーを入れて培養するくぼみ(ウェル)を近接させたデバイスを新たに作製し、このデバイスを使用することで胚性幹細胞(embryonic stem cell:ESC)コロニーの単離・回収速度が熟練者の場合は1.5倍、初心者の場合は2.3倍程度向上することを実証した。


4.国立研究開発法人 理化学研究所.“脳の全細胞を解析するクラウド システムの開発-日本発の全脳全細胞データ解析プラットフォーム-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2021.2021年06月22日.https://www.riken.jp/press/2021/20210622_1/index.html,(参照2023年02月28日).

同チームら共同研究グループは、全脳全細胞解析を可能にするプラットフォームであるクラウド システム「CUBIC-Cloud」を開発した。

CUBIC-Cloudは、組織透明化技術であるCUBICで得られた全脳全細胞データを取り込み、複数の脳画像の位置合わせ(レジストレーション)、定量解析、および、可視化などの機能をグラフィカル ユーザー インターフェースとともに提供するものである。全ての計算はクラウドで実行されるため、強力な計算機環境を持たない研究者でも使用可能である。また、CUBIC-Cloudで実行した解析結果はクラウドを通じて世界の研究者に共有・公開することができ、将来的には多数の全脳データを用いたデータマイニングの可能性を提供している。


5.国立研究開発法人 理化学研究所.“日本全国の子ども(小中高生)を対象とした「子ども睡眠健診」プロジェクトを開始”.理化学研究所 ホームページ.広報活動.お知らせ.お知らせ 2022.2022年09月12日.https://www.riken.jp/pr/news/2022/20220912_1/index.html,(参照2023年02月28日).

同チームは全国の子ども(主に小中高生)を対象として、ウェアラブル デバイスを用いた児童・生徒の睡眠測定を実施し、日本の子どもの睡眠実態の把握と、子ども・保護者に対して睡眠衛生に関する理解増進を推進する「子ども睡眠健診」プロジェクトを開始した。


6.国立研究開発法人 科学技術振興機構.“睡眠に関わるたんぱく質リン酸化酵素の働きを解明~入眠の促進と目覚めの抑制を異なる状態で制御~”.科学技術振興機構 トップページ.プレス一覧.共同発表.2022年10月05日.https://www.jst.go.jp/pr/announce/20221005-2/index.html,(参照2023年02月28日).

上田らはCaMKIIβが睡眠時間の延長に働くことを発見していたが、その詳しい仕組みは不明であった。CaMKIIβには複数のリン酸化部位があり、自身のリン酸化状態によって機能が変化することがよく知られている。そこで、上田らは、リン酸化され得る部位1ヵ所ずつに疑似的にリン酸化状態を模した変異を導入したCaMKIIβ変異体シリーズを作製し、マウスを用いて、CaMKIIβのリン酸化状態と睡眠制御の関係を網羅的に調べた。その結果、CaMKIIβが特定のリン酸化状態では、覚醒状態から睡眠状態への移行を促進する(睡眠を誘導する)ことが分かった。さらに、このリン酸化状態にあるCaMKIIβに、追加で2ヵ所目あるいは3ヵ所目と、疑似リン酸化変異を導入したところ、睡眠状態から覚醒状態への移行を抑制する(睡眠を維持する)という働きを持つことが明らかになった。

今回の研究で、CaMKIIβがリン酸化状態に応じて、睡眠時間を延長する複数のステップ(睡眠の誘導と維持)にそれぞれ働くことが分かった。多くの既存の睡眠薬は基本的には睡眠の誘導のステップに作用するものです。今回、睡眠の誘導と維持を行う機構の一端を明らかにしたことで、これまで難しかった睡眠の維持のステップに作用する方法の開発の手掛かりとなるかもしれない。


「21.透明にした生き物を見てみよう!」から、私はCUBICを用いる研究の最前線を知るだけでなく、睡眠自体が生物の生存にとって必須であることを改めて知ることができた。同チームには、非常に感謝している。



参考文献

[1] 国立研究開発法人 理化学研究所 大阪地区.“大阪地区一般公開2019 開催報告”.理化学研究所 大阪地区 ホームページ.お知らせ.2019年12月25日.https://osaka.riken.jp/open2019/report.html,(参照2023年02月07日).

[2] 国立研究開発法人 理化学研究所 生命機能科学研究センター.“チームリーダー 上田泰己 M.D., Ph.D. 合成生物学研究チーム”.理化学研究所 生命機能科学研究センター ホームページ.研究.研究室.https://www.bdr.riken.jp/ja/research/labs/ueda-h/index.html,(参照2023年02月07日).

[3] 国立研究開発法人 理化学研究所 生命機能科学研究センター 合成生物学研究チーム.“合成生物学研究チーム ホームページ”.http://www.qbic.riken.jp/syn-bio/jpn/index.html,(参照2023年02月07日).

[4] 国立研究開発法人 理化学研究所.“生体をゼリーのように透明化する水溶性試薬「Scale」を開発 -固定した生体組織を傷つけることなく、数ミリの深部を詳細に蛍光観察-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2011.2011年08月30日.https://www.riken.jp/press/2011/20110830_3/,(参照2023年02月07日).

[5] 国立研究開発法人 理化学研究所.“成体の脳を透明化し1細胞解像度で観察する新技術を開発 -アミノアルコールを含む化合物カクテルと画像解析に基づく「CUBIC」技術を実現-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2014.2014年04月18日.https://www.riken.jp/press/2014/20140418_1/,(参照2023年02月26日).

[6] 国立研究開発法人 理化学研究所.“マウスを丸ごと透明化し1細胞解像度で観察する新技術 -血液色素成分を多く含む臓器なども脱色して全身を透明化-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2014.2014年11月07日.https://www.riken.jp/press/2014/20141107_1/,(参照2023年02月26日).

[7] 国立研究開発法人 科学技術振興機構.“なぜ私たちは眠るか~眠りの素は細胞内カルシウム?~”.科学技術振興機構 トップページ.プレス一覧.共同発表.2016年03月18日.https://www.jst.go.jp/pr/announce/20160318/,(参照2023年02月27日).

[8] 国立大学法人 東京大学.“疲れるとどうして眠たくなるの?→上田泰己|素朴な疑問vs東大”.東京大学 ホームページ.UTokyo FOCUS.FEATURES.2022年09月20日.https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z1304_00189.html,(参照2023年02月27日).

[9] 一般財団法人 鹿島平和研究所.“「全身透明化の先に見えるもの」”.鹿島平和研究所 ホームページ.研究会.外交研究会.2020年01月17日.http://www.kiip.or.jp/societystudy/doc/2019/20200117_gaikoushiryo-UedaHiroki.pdf,(参照2023年02月27日).


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