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「庵野秀明展」鑑賞記01:第1章 原点、或いは呪縛

本記事は『「庵野秀明展」鑑賞記00:序章』の続編である。

2022年05月04日、私は「庵野秀明展」(以下同展、あべのハルカス美術館にて、2022年04月16日~6月19日に開催)に一般客として参加した。

同展「第1章 原点、或いは呪縛」(図01.01)では、庵野秀明(以下敬称略)が幼少期から大学時代まで傾倒し、現在でも敬愛しているアニメ、特撮、および、漫画が紹介された(図01.02,01.03)。

図01.01.「第1章 原点、或いは呪縛」。
図01.02.庵野秀明が観ていた作品群。
図01.03.庵野秀明が観ていた作品群の年表(一部)。

上記のアニメ、特撮、および、漫画の造形物やポスターなどが展示された(図01.04,図01.05)。

図01.04.向かって左から、『帰ってきたウルトラマン』ウルトラマン スーツ(1971)と『ウルトラマン』ウルトラマン スーツ(1966)。
図01.05.『機動戦士ガンダム 劇場版三部作』のポスター群。

庵野の両親が愛用していた足踏みミシンが展示された。このミシンは洋裁業を営んでいた両親が使用したもので、この人力で作動する複雑で精緻なメカニズムが、子供時代の庵野がメカ好きになる切っ掛けの1つになった(図01.06)。

図01.06.庵野の両親が愛用していた足踏みミシン。

庵野が中学・高校生時代に描いた油彩画が展示された(図01.07)。

図01.07.高校生時代の油彩画。1976年06月05日。

また、山口県立宇部高等学校 地学部 回報『月刊UCC』(図01.08)などの庵野の実家に残っていた私物も展示された。

図01.08.山口県立宇部高等学校 地学部 回報『月刊UCC』。

そして、庵野の故郷である山口県宇部市の風景写真も公開された(図01.09)。

(a)解説。
(b)時計回りに、宇部港引き込み線 1965(昭和40)年頃、宇部(現.宇部新川)駅前 1964(昭和39)年頃、宇部大和観光タワー 1974(昭和49)年頃、庵野秀明、および、宇部新川駅 1965(昭和40)年頃。
図01.09.庵野秀明の故郷・宇部。

庵野の生育環境(例.家庭環境、視聴してきたアニメ・特撮)と才能が、彼をトップ クリエイターに変えたことを改めて痛感した。

『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野が監督を務めた)と『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(庵野が総監督を務めた)で、特務機関NERV葛城ミサト作戦部長が「ヤシマ作戦」を遂行したが、その一環として日本全国から電力を集めることになった。私にはこのシーンが非常に現実的に思えた。
庵野は地方出身者ゆえ、地方から都市への人口や物資の集中を体感しているので、このシーンを巧みに描写できた。
一方、出渕裕(東京都出身)が監督を務めた『ラーゼフォン』では、TOKYO JUPITER内の住民はその発生以前と同様の生活を送っている。
このことから、地方出身者である庵野と都市出身者である出渕の間の、クリエイターとしての、むしろ、生活者としての、地域間格差も痛感した。

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