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動物愛護 vs 人権擁護

震災関連のツイートを眺めていた時、とあるツイートが目についた。
それは震災で避難する際に置き去りにされたペットを保護する活動をしている方を紹介する映像と共に、置き去りにした飼い主を責めるような文章が添えられていた。

避難住民が生活の立て直しが出来た後
置き去りにしたペットを探した人は
何人いただろうか?

保護されてる自分のペットを
引き取った人は何人いただろうか?

私はこれを被災した飼い主への批難と捉えた。同じように感じたであろう方が、「被災者を責めないでほしい」とリプライしていたのだが、ツイ主はこう答えた。

すみません、もういい加減うんざりなんですけど、東日本大震災を風化させないようにツイートをしたら被災者を責めるなと抗議されなきゃダメなんですか?

その後、他者も加えてのやり取りが続く。最初にリプした方も、他の方も、けしてツイ主の活動(この方も保護活動をしておられる)を批難している訳ではなく、あくまでも被災者の現実が厳しいことを説明し、ツイ主の言葉では責めているように聞こえてしまう点を伝えていた。しかしツイ主は最後までそれを聞き入れることはなかった。
おそらくツイ主は今までの保護活動の中で、イヤと言うほど人間のエゴを見てこられたのだろう。そのせいなのか、こうしたリプはすべて敵認定してしまうようになったものと邪推する。

ちなみに、ではあるが、ペット同行避難に理解が進むキッカケになったのが東日本大震災である。当時はペットを同行することに理解はなく、また受け入れも難しかった。
この一連のツイートは主に福島の原発事故地域のことを指している。ご存知のように、事故発生から急ぎ避難が行われ、住民の皆様はバスに乗せられた。もちろん、ペットを同行させることはできず、その後、探しに行ったり迎えに行ったりすることも不可能だった。立ち入り禁止区域だったからだ。
そして今も帰還することができない住民の方が大勢おられるのは周知のことと思う。
解除、または一時帰還が許された際に、世話をすることができずに亡くなってしまったペットや家畜に涙する住民の方の姿をテレビで観たことがある。どの方も望んで置き去りにした訳ではないのだ。

こうした事情をツイ主の方も知っておられたのかどうかは定かではない。だが、もし知っておられたのなら、こういう言葉を発することはないだろうと思いたい。

今回はたまたま目についたのでこちらの例を挙げたが、一部の動物愛護団体の過度な活動は時々目にする。よく日本が槍玉に挙がるのはクジラやイルカだろうか。
動物を愛するがあまり、人間を蔑ろにする…そういう風に見えてしまう。故に批判の対象となる。
行き過ぎた保護活動は、一種のテロ行為と変わらない。批判されるのは当然だろう。人間ならば、ルールの中で活動してほしいものだ。

が、それはそれとして、気持ちはものすごくわかる。
極論だが、人間以外の動物のことを思えば、人間など滅んでしまえば良いと思うことがある。自然を破壊し、地球環境を変えるのは人間だけである。自然のままにしたいのであれば、人間こそ害されるべき存在であろう。
だが、現実として人間は存在し、それを含め、すべて自然の流れなのだ。今更なかったことにはできない。
このような悲劇が繰り返されないよう、社会全体で動物愛護の精神を共有し、万が一に備えて人間と動物とが護られるシステムを構築することが重要である。

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