社会は「変わる」のか

トレンドに「夫婦別姓」が上がっていたので覗いてみる。
何か新しい動きがあったのかと思いきや、何も変わらない首相の答弁が批判されてるいつもの流れだった。
夫婦別姓と共に同性婚の話もされていたが、それもまたいつも通りの流れ。まったくもって成長がない。

私個人は選択的夫婦別姓も同性婚も賛成である。
反対する理由がない。
何がそんなに不都合なのだろうか。

いくつかの意見や記事を見てみたが、反対する理由の意味がわからない。どの意見を見ても、時代遅れだな、という感想しかない。
強いて言うなら、選択的夫婦別姓で別姓を選んだ際に、産まれてくるお子さんの姓がどうなるのか、兄弟姉妹で別の姓を名乗ることにもなりうる、という意見には、なるほど、と思ったくらい。それはそれで面倒臭そうだな、と。

戸籍がどうとか家族の在り方がどうとか、そういう意見には、「だから?」としか思えない。戸籍なんかぶち壊しても構わないし、家族の在り方は姓くらいでどうにかなる問題だろうか、違うだろう。
戸籍に関しては、マイナンバーを推進していく上でどうにでもなりそうだし、別になくても構わないのでは。推進してるのはアンタらだろう。
既に世の中は個人主義だと思っているが、違うだろうか。

同性婚に関しては、本当にもう早く認めてやってくれよ、としか思わない。
同性婚を認めることで少子化が加速する、という意見をよく見かけるが、「は?」である。同性愛者は本来の愛情を捻じ曲げて異性と結婚し、子供を産まなければならないのか?それこそ人権侵害も甚だしい。
というか、そんなん強制されたところで無理である。ヘテロ(異性愛者)の方が「同性と結婚しなさい」って言われたら無理でしょ?それと同じことなのだ。
同性婚を認めることで同性愛者が増える訳ではない。まあ、潜在的同棲愛者が「隠さなくて良いんだ!」とオープンに出来るようにはなるので、見た目としては増えるようになるかもしれないが。それは今まで隠れていただけであって、実質変わらない。

と、まあ、社会は既に変わっている訳である。
首相が仰るように、「法制化することで社会が変わってしまう」訳ではなく、既に変わっている社会でより個人が生きていきやすいように、法制化していただけませんか、という話なのだ。

選択的夫婦別姓を求めて活動しておられる方がコメントしていたが、同姓を否定している訳ではなく、別姓を選択出来るようにして欲しいだけ。選択肢を増やして欲しいだけなのだ。
同性婚にしても同様である。異性婚を否定している訳ではない。
それぞれ、現存の形に選択肢を増やして欲しい、というだけの話なのだが、それは「社会を変えてしまう」ものだろうか。そう見えているのは、政治家の驕りなのではないだろうか。

社会というのは個人の集まりである。時代と共に移りゆくものだ。政治家が社会を作っている訳ではない。
政治家の仕事とは、社会を形成することではなく、形成された社会ですべての国民が安心して暮らせるよう、法の下で治めていくことだ。
それが嫌なら、どうぞ政治家だけの国家を形成して暮らせば良い。そこは国家ではなく、ただの傲慢なサルが集まったサル山なのだけれど。

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