佐野元春 ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 Part 1
Dear Mr.Songwriter Vol.19
僕がなぜロンドンに行って彼らと一緒にやったかっていうと、彼らに本場仕込みのロックンロールを演奏してもらいたかったから行ったわけじゃない。僕は彼れらの、70年代初頭から現在まで生きのびてきた、そのサバイバルの意識が欲しかったんです。
ROCKIN'ON JAPAN Vol.25 1989
UKプロジェクトに向けて動き出して、初めにやったのは、『VISITORS』のレコーディングで知り合ったニューヨークの音楽関係者への接触だった。
そこでUKのキーパーソンを5人紹介してもらう事になる。その中にコリン•フェアリーの名前があった。
コリン•フェアリーはエルヴィス•コステロの『パンチ•ザ•クロック』1983年『ブラッド&チョコレート』1986年 を手がけている。元春は特に『ブラッド&チョコレート』で聴こえる生のバンド•サウンドの音作りが好きだったという。
決め手になったのは元春のフェイバリットであるスコットランドのバンド、ブルーベルズを手がけていたこと。彼らの「ヤング•アット•ハート」が大好きだったみたいだね。
そして、8月に制作の現場をロンドンに移しアパート〈エデン•スタジオ•フラット〉を借り生活しながらソングライティングをして、メンバーと入念にセッションを行い、10月からレコーディングが始まることになります。
ここでのセッティングも元春が所属していた〈エピック〉では海外のプロデューサーを立ててアルバムを作るという前例がなく、元春自身がプロデューサーとレーベルの橋渡しの役目をしたという。コリン•フェアリーに一度日本に来てもらい、予算や内容を話し合い、スケジュールを決めて、その上でロンドン•セッションがスタートする形になった。
ここに集められたメンバーはそうそうたる顔ぶれになってます。
写真の左から
ギター:ブリンズリー•シュウォーツ
※日本語表記にすると色々あるので今回はこの表記にします。
ニック•ロウが在籍していたことでも有名なパブ•ロック•バンド、自らの名前を冠したBrinsley Schwarz を1969年に結成。アルバム6枚をリリースして1975年に解散している。
解散後の1975年からはグレアム•パーカーのバンド、ルーモアのメンバー。
キーボード:ボブ•アンドリュース
ギターのブリンズリー•シュウォーツと同じくBrinsley Schwarz、ルーモアの一員。
ドラムス:ピート•トーマス
エルヴィス•コステロのバンド、ジ•アトラクションズのメンバー。現在もインポスターズの一員としてコステロと音楽を共にしている。
パーカッション: ペドロ•オルテス
すみません。詳細は不明です。
ベース:キース•ファーガソン
スティーヴィ•レイ•ヴォーンの兄、ジミー•ヴォーンが在籍しているファビュラス•サンダーバーズのメンバー。1982年リリースの『T-Bone Rythm』はコリン•フェアリーがエンジニアをしている。
ベース:ブルース•トーマス
ジ•アトラクションズのメンバー。アルバムでは「愛のシステム」でプレイしている。
この写真の右下にある排気口がU.F.O.(フライング•ソーサー)に見えたことから、バンド名は〈Moto and The British Flying Saucers〉とボブ•アンドリュースがジョークまじりに命名した。
レコーディングの模様はどんな感じだったのだろう。
このロンドン•レコーディングの様子はコロナ禍の2020年8月26日に『佐野元春40周年記念フィルムフェスティバル』として一日限定で公開されました。
この映像の14秒くらいのところで元春がギターを弾いていて笑っているシーンはそのバディ•ホリーを歌った時ですね。
これは是非もう一度観てみたい映像作品です。
リリックの面でも大きな変化を感じます。
この1989年という時期は日本と世界の状況はどのようなものだったのか。
プロデューサーのコリン•フェアリーはどのような印象を持ったのだろうか。
1988年の10月から1989年の2月まで行われたロンドンでのレコーディングとミックス作業。
どのような作品になったのか。
今回はここで終わりです。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次回!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?