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ショートショート アタオカな彼女

毎年日記を買っていた。
小学校高学年くらいから、ずっと日記を書くことが楽しみだった。

大体日常生活の中の出来事を覚え書きのように記していた。
遊んだこと、けがをしたこと、うれしかったことなどとりとめのない出来事を書いていたのだが、中学生になると内容も変わっていったような記憶。

そういえばあの日記帳はどうなったんだろう。
実家の私の部屋のものは、大学進学の時に処分したものも多かったし、結婚の時は部屋を明け渡してしまったので、きっと処分したのだろう。
それはそれでいいし、もしかしたら数年たまったら捨てていたのかもしれない。

10年くらい前から、SNSは日記のようなものになっている。
Facebookが流行った頃は、友人たちも日々のことを書き記していて、それを読むのも楽しみだった。
今は(友だち)という100人を超える登録者もFacebookをアップしている人は数少ない。

知らない人もいつの間にか(友だち)になっているおかげで、なんだかリアルな知り合いのように、日々の生活を記している人がいる。
どんな人なんだろうと気になる。
どこで暮らしていて、何歳で、女性で、とざっくりとしたプロフィールを知っているだけで、(彼女)の事は何一つ知らないのだが、前に書いたようにこのところ(友だち)がアップデートしないものだから、いつも彼女の投稿を目にすることになる。

とても綺麗な風景と共に明るく楽しい日常を記している事が多いので、写真と共に見入ってしまう、文章は上手とはいえないが心から発信しているような感じがしている。
かれこれ2〜3年ほとんど毎日彼女の投稿を見ている。

不思議な人だ。
最近特に不思議だ。
こんなに人の感情って統一性のないものなのか。
それにしては淡々と文字にして、しかも長文のことが多い。

気持ちが悪い。
最近、そう思わせる彼女の投稿を読んだ。
この人、執念深い人なんじゃないのかな
呪われそうな、鳥肌が立つような投稿が目立ち始め、、、、、
いつか私の前に現れるんじゃないか、文章の中に怨念のような気持ちの悪さを感じ始めた。

私は、日記をつけるように今日もFacebookを開いた。

一番上の投稿が彼女だった。
長い髪はぐちゃぐちゃ、初めてみる顔だった。

(私の本性を見たものは、皆病院送りにしてやる)
そう書かれていた。
やはりこの人はアタオカだったのだ。

それからも、私は日記のようにFacebookを続けている。
毎日の彼女の投稿はますますエスカレートしているようで、少し笑えることもある。
見届けてあげましょう。
アタオカの知らない人が、これからどうなるのか。

浮いたり沈んだり、人の浮き沈みが不思議。怖いもの見たさも手伝って私の「悪趣味日記」は続く。
自分のことは淡々と、そのスタンスを保ちながら、頭がおかしくなっている人の生活が映画を見ているようで面白い。

END

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