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美作八十八ヶ所霊場めぐり 84番札所 新善光寺

8月1日
津山市中村(勝北地域)の新善光寺さまにおまいりしました。

ご本尊は阿弥陀如来。
御詠歌は、ぜんこうじ あらたにうつす かなもりの やまにかがやく みだのみょうじょう。

津山から鳥取に向かう、国道53号のつるや、シャトレーゼ、反対側には城山、岡山ダイハツがある、勝北地域随一のお店はいっぱいあるところを、津山方面から行くと右に曲がって割とすぐにありました。丘の中腹に別世界。

地面には砂ではなく芝生。
広い。

ここまで整備されて広いのは初めて見るかも知れない。

山門を入る

お堂などの基調は
赤というかえんじ色といいか、今まで黒と思っていた事がくつがえされる。

きれいだ。
これだけ整備し続けるのは大変だろうな。


手水舎は龍でした

圧倒されるくらいのお寺。

入って芝生を踏みしめながら奥に行くのだが、芝生もふかふか。
芝生ってこんなに気持ちよくてふかふかだったのかというくらいふかふか。
これは、多くにほとに味わってもらいたい感触。

お大師堂

南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛

快晴の空にふかふかの芝生、整備されたお大師堂は本当に見事。

隣には水子地蔵さま

水子だけではなく
子育地蔵尊。
孫たちの健やかな健康をお祈りする。
私の孫は3人、三者三様可愛いし、色々心配なこともある、そして孫がいる喜びに感謝。
お地蔵さまの前で手を合わせている小さなお地蔵さまの愛らしく健気な事。


お大師堂の横の廊下には祠が。

四国霊場の再現らしい。
多いなあこういうの。

ただ
ここ、新善光寺さまの八十八ヶ所の広さと来たら、境内だけではなく、裏山や集落にまでおよんでいる。
こんなに広いのは初めて見た、もし回ってみるのなら体力が必要だ。

お大師堂などの上の段には、石の階段で行けるのだが、そこには鐘楼堂がある、鐘は現存している。

近くには蓮池があった。

弁財天の前の蓮池で、この時期に色々お寺を回らせていただき、蓮の花を見るのは、嬉しい。
きれいだし、風情がある、青空の強い太陽の日差しのもとでは力強くもある。

私は
ここで先日詠んだ自分の俳句を思い出した。

「けんかなら売って売られて芒種かな」
下手だけど、結構気に入っている。

今までの私は、だれかれ構わず、食ってかかった、自分の意見をゴリ押ししたこともあるし、自分が一番正しいという傲慢な考えを持っていた。
けんかは自分からも売ってきたし、売られたけんかは買ってきた。若かったなぁ。
迷いなどなく一直線に自分の言っている事を正論として言葉で態度で押し通そうとしていた。

でも、
最近の私は違う。

どうでもいい事はどうでも良くなった。
あえてくちばしを突っ込まないという方策を取る方が、本当は正しいのかもしれない。
誰も、私のゴリ押しの正論など求めていないのだ。

家族以外のことは、火の中に飛び込まない方が本当は正しいのかもしれない。

「けんかなら売って売られて芒種かな」
この俳句は、その思いが固まりかけてきた頃に作った。

季語の芒種とは種を蒔くのにとても良い時期のこと。
売ったけんかも売られたけんかも必ず原因となる種があるものだ、ということなんだけど、最近はあえてその種を作らなくてもいいんじゃないかなと考え始めたのだ。

私も以前ほど強くない。

いやいや
気は強いのだが、それを出さない方が楽なのかもしれない、気持ちよく生活できるのではないかと思い始めたのだ。

広い芝生で、空蝉と蝉の亡骸を見つけた。

一生懸命に生きた証拠のような気がした、うまく言えないけど。

けんかを売らない私もいいものだな、毎日気楽に過ごせてるんだな。

ご朱印をいただきました。

上手におせたな、って思うし、とてもきれいなご朱印でした。

八十八ヶ所のお遍路さんもどき、初心者?のおかげ?

画像の処理をしていたら、お大師堂の画像の上の方に百日紅が写っていた。
ありがとう。

金森山 新善光寺
津山市中村393。

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