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12 Mar 2021 この10年

10年前の3月11日は、たしか金曜日だった。

明日は週末。私は都内のオフィスにいて、打ち合わせが終わり席に戻った直後だった。各自の携帯からけたたましくアラームが鳴り響き、皆、また?という雰囲気になった。2日前にも大きな地震があったので胸騒ぎはしたものの、各自机の下に潜って揺れが収まるのを待つ。

・・いや、待っても待っても収まらない・・ 
これはよくある普段の地震じゃない、死ぬかもしれないと思うほどの強い揺れだった。
後で聞くと数分程度だったらしいが、恐怖のせいかものすごく長く感じたのを覚えている。

その日は食料と、電車が止まっていたため寝袋が会社から支給され、
全ての会議室を解放し、皆で雑魚寝状態。お子さんを保育園へ迎えに行くため8時間かけて徒歩で帰った同僚もいた。

翌日、骨が折れるんじゃないかと思うくらいのぎゅうぎゅう詰めの電車に乗ってやっとの思いで帰宅。
揺れで物が散乱した部屋を片付け、早々にお風呂に入ろうとして、ガスが停止していることに気づいた。
えーん、寒い・・・でも今ガス会社に連絡しても繋がらないだろうなあ。。と思いながらスマホをいじっていると、ツイッターに、ガスが停止した際の応急処置法が出回っているのを発見した。試してみると無事に復活してお湯が出た。ヨカッタ..(´;ω;`)

ツイッターやSNSの威力をガチで感じ始めたのはちょうどこの頃からだ。
お世辞にも好感度が高いとは言えない某インフルエンサーが、「家族を探しています、リツイートしてください。」という悲痛なリクエストに応え続け、24時間リツイートしまくっていたのもすごく印象的だった。

"今日で〇年" なんて、区切りがきたみたいに言うのはなんだか変だけど、
あの日を境に私の人生は大きく変わったので、つい、数えてしまう。

この10年の間に、私の価値観も、居場所も、すっかり変わってしまった。

マスコミが発表する内容とツイッターから発信される専門家の情報の違いとか、着の身着のまま翌日には日本を出た外国人同僚の行動力とか、生きるか死ぬかの状況でいつ電車が止まるかを気にしながら仕事している自分や、行政の指示に従った避難場所で津波に飲まれて亡くなってしまった人の話とか。なんなのかな。何なんだろう。これまでごく当たり前に信じていたものたちがよくわからなくなった。

うまく表現できないモヤモヤを抱えつつ、震災の影響でさらに忙しくなった仕事に追われ、あっという間に2年が経過。

そしてある時から、不定期で関節が痛むようになる。
ひどいときは足の指が腫れて、歩くのも苦痛だった。
病院を転々とした結果、免疫不全の一種である膠原病と診断された。
薬は処方されたものの、完全な治療法は見つかっておらず、様子を見て付き合っていくしかないと医者に言われた時は、ショックすぎて目の前が真っ暗になった。
ただ、その後仕事がひと段落したタイミングで異動が叶い、奇跡的に病気は寛解した。
やっぱりというか、ストレスが原因だったんだろうな。

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この頃にはもうそれまでぼんやりと信じていたもの、価値観がすっかり変わってしまっていた。病気になるほど何をそんなに頑張っていたんだっけ?

そして転職やら付き合ってた人との別れやらすったもんだを経て、その後まったく予想していなかったタイに移住することになる。

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昨日見たニュースで、被災地の仮設住宅からはこの10年でほぼ全員退去、家を失った人が入居できる災害公営住宅も計画中のものは建設が完了したと聞いた。
もちろんそれで終わったわけではない。引っ越した先でも生活はずっと続いていく。

コロナで安易に帰国できなくなった今、住む場所を追われた人の気持がほんの少しだけ理解できたような気になっている今日この頃。

被災した方の気持に寄り添いきれるとは到底おもえないけど、
安心して暮らしてもらいたいし、生きててよかったと思える瞬間にできるだけたくさん出会えるようにと願ってやみません。

私は次の10年、どこで何をしているか全くわからない。
それは皆同じだと思う。
ひょっとしたら読んでくれた人とどこかで出会えるかもしれないし。
どこにいても常に柔軟で、穏やかに暮らしたいなあ。


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