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Forgiveness 2


気がついたら40うん年も生きていました。
朝からインスタやラインにメッセージが届いて、そっか今日なんだと実感する。
ハッピーバースデイ私。


お誕生日に対する感覚って人それぞれで、
お祝いしてほしいと期待した人は特に誕生日を気にしていなかったり、男の人ってそういう人もいるみたい。女性は気にするよねーやっぱり。

ということで、女子会にてささやかに祝っていただきました。
ありがとう。

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先月ちょうど40になった友達が、まさに不惑だわーもう全然心が安定しちゃってさ。とのたまっていたせいか、最近「不惑」と言う言葉が頭から離れない。

昔中国の偉人、孔子が人の成長についてこのように言っていたらしいです。

子曰はく、「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ(したがふ)。七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰えず(こえず)」と。

「私は40歳になって人生の方向性が定まり迷いもなくなった」んですって。
すごいな。私はまだ物事や人に惑わされながら生きているというのに、頭いい人はやっぱ違う。

本当に頭のいい人は、他人の経験からも学べる。普通の人は自分で経験してみて、そこから学ぶ。
私はというと、経験からすら学んでいないのかもしれない。
明らかに良い結果が出ないとか、損をするだろうと思っていても、好きなことに突っ走ってしまうことがある。案の定ズタボロになって、その時に後悔するんだけど、やった後悔のほうがマシだと思ってるのでそこがまたバカなんだと思う。

夕方、珍しく父と母両方から電話があった。
誕生日おめでとう。元気?体に気をつけてね、のあと、珍しく父親が
「何かあっても駆けつけてあげられる距離じゃないから、心身に気をつけて」と優しい言葉をかけてくれた。え、大丈夫かこの人もうすぐ死ぬんじゃ?!ってのはもちろん口にしないでおいた。
電話を切った後で少し涙が出た。
ありがとう。
心身、みたいに私の心に目を向けてくれる人じゃなかった。少なくとも私の幼少期は。怒るとすぐ手が出るから嫌いだった。男性には頼りたくないけど本当は甘えたいみたいな歪んだ欲求を持つようになったのも父のせいだとずっと思っていた。

不惑ね。惑わなくなったとすると、両親を許そうと思えるようになったことかな。
何かがうまくいかないのは自分の自己肯定感が低いせいで、それは父母の育て方が悪かったせいだと思ってたよ、正直に言うと。
けど、40歳前くらいから、もうそれ、やめようと思えた。
理由は、人生の残り時間が少なくなってきて人を恨んでる時間がもったいないなと思ったのと、親も一人の人間で試行錯誤しながら生きてたことに気づいたから。

お母さんは私を、中秋の名月に生まれたかぐや姫だと思って大切に育てたと言っていた。うけるんだけど。
父親は気が短くて怖かったけど、案外誠実で約束は守る人だ。

たくさんの愛情をありがとう。
「あんたは結婚も出産もないから祝金が余ってる」といっていまだにお小遣いをくれるのも申し訳ない。もっと安心させてあげたいな。

44年目の人生へ続く。
Life goes on.



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