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人間は「ヒト」に回帰する

最近なんとなく考えていることがあります。

なんか概念的な話になるので、うまくまとまらない可能性が高いのですが、書き始めてしまったので書きます。

それは「人間」が「ヒト」に回帰していくんじゃないか、ということです。

これは日々生活していて感じることですし、世の中の空気的にも社会的な「人間」という存在が、生物としての「ヒト」に近づいていっているような気がします。

命の大切さに気づいた2020年

やっぱり大きなきっかけは、このパンデミックです。

ウイルスの脅威にさらされて、人間はあらためて「命の大切さ」に気づきました。日に日に増える死亡者数を見て、嫌でも「生きる」ということについて考えざるをえなくなりました。

リモートワークが増えたことで、ヒトとのつながりの大切さを思い知らされました。コミュニティを断絶され、孤独を感じることで、「つながりというものがどれほど心の支えになっていたのか」に気づかされました。

家族と過ごす時間が増えたことで、家族のありがたさを感じた人も多いでしょう。仕事一辺倒だった人も、家族というつながりの大切さにあらためて気づいた人は多いと思います。

なんとなくそうやって、社会的な存在としての「人間」というよりも、生物としての「ヒト」という意識が強まってきているように思います。

生物としての「ヒト」という面が色濃く出る。この傾向は今後も続くような気がしています。

社員ではなく「ヒト」、仕事ではなく「人生」

そういう目で見ていくと、ビジネスの世界も違って見えてきます。

これまで、大学生はみんな一斉に就活をして、新卒一括採用をされ、会社に入れば全員で研修を受け、部署に配属されていく、というのがあたりまえの光景でした。

でも、こういう状況になって、いろんなものが変わりました。

会社が新卒採用を控えたり、そもそも今後存続できるかどうかすら危うい状況の会社もあるでしょう。

あたりまえのように、みんなで就職して、みんなで研修を受け、みんなで仕事をして、みんなハッピーになるという時代ではなくなってしまったわけです。終身雇用も保障されなくなりつつあります。

会社にすべてを捧げていればちゃんとリターンがある、という時代ではなくなりつつある。「会社」という箱の中で「社員」として生きることで「出世」でき「いい老後」を迎えることができ「いい人生」になる。

そういうストーリーは破綻しつつあります。

ぼくが言うまでもなく、そういう戦後に作られたストーリーは成り立たなくなりつつあるわけです。

ここまで煽っておきながら、別に解決策みたいなものを提示できるわけではないのですが、まずはこれまでの「あたりまえ」から脱却して、一度「ヒト」に回帰して、ゼロベースで考えてみる必要はありそうです。

「人間ではなくヒト」というレンズを通して見れば、「社員」といえども「ヒト」です。「会社」といえども「人の集まり」です。「経営者」といえども「ヒト」です。

であれば、ビジネスというのは「ヒトが集まって何か価値を生み出して、みんなで糧を得て、生きていこう」という活動なのかもしれません。

「仕事の時間」というものも「人生の時間」であることに気づきます。

これまで9時5時は「会社人間」として働き、その間は「仕事」をするのがあたりまえでした。でもそれはあたりまえじゃなくなりつつある。

リモートワークということもありますし、ずっとその会社で働くということもあたりまえではなくなってきたからです。

ぼくはこれから、そういう戦後に生まれたストーリー、ビジネスのカタチというものが、どんどん生物的になっていくんだろうな、と思っています。より「人間」から「ヒト」へシフトしていくような気がしています。

そういう世界の中で、どうやって日々の糧を得ればいいのか? どうやって生きていくことが幸せなのか? そこをあらためて考えたいなと思っているところです。

「経営者」ではなく「ヒト」に寄り添う存在でありたい

ここからは「蛇足だな」と思いつつも、せっかくなので、ついでに書いてしまいます。

ぼくは「顧問編集者」という肩書きで、経営者の思考のサポート、コンテンツ制作のお手伝いをしていますが、心がけていることがひとつあります。

それはビジネス文脈での「経営者」というよりも、経営者という「ヒト」にフォーカスするということです。あくまで経営者という役割を与えられている「ヒト」にフォーカスするということです。

なので取材をするときも「企業の事業内容」や「経営理念」といった話よりも、どういう子ども時代だったのか? どういう価値観で、どのような人生を歩んできたのか? どんな思いで会社を立ち上げ、何を願いながら経営をしているのか? を伺うようにしています。

これまで世の中に出ていた「経営者の言葉」というものは、なにか「きれいすぎた」気がします。あたりさわりがなく、耳障りのいいものばかりだった。「批判されないように」「なるべく個性が出ないように」語られてきたものも多かった気がします。

でもいまは、それでは届きませんし、そういう言葉は求められていないように思います。

ちょっとぼくなんかが偉そうで恐縮なのですが、みんなが行き先を迷っている今こそ、経営者の「血の通った力強い言葉」が求められていると思うんです。

結局、ビジネスといえど「ヒトの営み」です。就活生だって「ヒト」。会社といえども「ヒトの集まり」。経営者だって「ヒト」だし、そこで働いてる社員だって「ヒト」である。

結局、「ヒト対ヒト」というところに立ち戻っていく。だから、経営者も「ヒト」としての発信が必要なのではないか? そう思うのです。

ぼくは「顧問編集者」という活動を通して、経営者という「ヒト」にフォーカスして、会社や経営者ではなく「ヒト」に寄り添っていきたいと考えています。


また生煮えの感じで文章を綴ってしまいましたが、もう少し整理できたら、また書きたいと思います。ここまでお読みいただきありがとうございました。

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