見出し画像

オッペンハイマー(JTC経理DX課長の映画メモ)_#38

はじめに

映画「オッペンハイマー」を見ました。

YouTubeの解説動画、Podcast、noteで予習をしてから臨んだので、非常に満足度が高い映画でした。

原爆のことは、子どもの頃に受けた平和教育もあったからか、実際どんなものだったのだろう、と想像します。原爆で亡くなったがゆえに自分が出会うことができなかった親戚(祖母の妹)や、友人たちに思いを馳せます。一方で、自分自身も、祖母が生き残らなかったら今ここに存在していませんので、自分が今生きていること自体が奇跡に思えてきますし、何だか変な感じがします。

映画の中で、原爆を落とす場所を決めるシーンがありますが、感情が揺さぶられ、思わず涙が出てきました。私は被爆三世ですので、被爆者の苦しみを思うとつらい気持ちになりました。

でもこのシーン、全然ハイライトではないんですよね。何ともなしに、決まっていく。ドイツが負けて原爆を落とす候補ではなくなり、日本が強く抵抗しているから日本へ落とそう、ではどの都市へ?京都は新婚旅行で行ったから落としたくないな~ハハハ・・・と、トップ達の和やかな談笑の中で決まっていくのが逆に残酷なシーンでした。

映画「オッペンハイマー」の構造の面白さ


この映画の時間軸は、1954年のオッペンハイマーの情報アクセス権に関する公聴会と、1959年のストラウス長官の就任前の出来事がメインとなっています。オッペンハイマーの視点はカラーで描かれ、ストラウスの視点はモノクロで描かれるため、その切り替えが非常にわかりやすいですが、事前に映画の構成に関する情報をインプットしておかないと、(そういった解説は映画内で一切ないため)理解が難しいと思います。ついでに書くと、視点はモノクロ・カラーで分かれていますが、かといって画角はそれぞれの目線ではないです。オッペンハイマー視点でも、オッペンハイマー自身は映る。気を付けて観ないと混乱します。

原爆投下前の最終試験である、トリニティ実験については、ロスアラモス研究所近くで行われた1945年7月15日の原爆実験が描かれています。その後、1ヵ月もたたないうちに、8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が落とされました。

トリニティ実験の前には、新しい組織を作り、ロスアラモス研究所自体も一つの街を作り上げるような高揚感に満ちた時間が描かれています。若いメンバーが集まり、色々と話し合いながら新しいものを作り出すシーンが続きます。

トリニティ実験が成功した後、オッペンハイマー自身は作ったものの、後は政治家が決めることだと言って、原爆を使用しないでほしいという動きを見せますが、どっちつかずの態度も見え隠れします。

原爆が落とされた後、大統領との会談で自分の手が血にまみれていると表現するシーンがあります。大統領はその表現に対して、「原爆を作ったのは君だが、落としたのは君じゃない。君が気にすることじゃない」と軽く言い、「二度とこの泣き虫を連れてくるな」と言い放ちます。

ストラウス役はロバート・ダウニーJr.が演じています。オッペンハイマーが原爆を落とした後、原子力委員会の委員長になるという設定です。映画の中で、ストラウスが原子力関係の物質の輸出に関する議論をしているシーンでは、彼の性格についてやゆする場面があります。さらに、息子の結婚式でのエピソードも描かれていますが、その中で2人の間の関係が悪化し、緊張感が高まるシーンが含まれています。

6月の公聴会は、映画の中で少しずつ進行していき、クライマックスを迎えます。最初は厳しい意見や証言がありましたが、公聴会自体がストラウスに仕組まれたものであり、結果としてオッペンハイマーの情報アクセス権は剥奪されてしまいます。映画の構成は非常に巧みだと思いました。

オッペンハイマーとアインシュタインの湖畔での会話、これが特に印象的でした。最初は白黒(ストラウス視点)で描かれ、ストラウスが遠くから二人を見つめています。アインシュタインがオッペンハイマーとの会話を終えて歩いてくると、ストラウスの挨拶を無視して(いるように見える。実際は呆然とし、気づかなかっただけ)通り過ぎてしまいます。これを見たストラウスは、二人が自分の悪口を言っていたと誤解します。この誤解が、オッペンハイマーを追い詰める一因となります。

映画最後のシーンで、再度この湖畔でのシーンがカラー(オッペンハイマー視点)で描かれます。オッペンハイマーがアインシュタインに「これから君は賞賛され、その後批判され、最終的には許されるだろう、ポテトサラダを供されるだろう」(ポテトサラダ=報われる?ことかなと個人的に読み取りました)と言われます。

この同じシーンを白黒とカラーで分けて切り取ることで、同じ出来事を経験していても、人によって受け取り方が全く異なることがあることを鮮やかに映していると感じました。今自分に見えている景色と、隣にいる人に見えている景色は全く違うものかもしれません。

さいごに


この映画では、原爆の持つ破壊力や、その瞬間の恐ろしさが描かれていますが、その後の影響についてはほとんど触れられていません。しかし実際には、(私の祖母含め)原爆の被害はその後も続き、多くの人が苦しみ、原爆手帳と共に余生を過ごしています(過ごされました)。

自分自身が被爆三世として幼少期から原爆に関する教育を受け、生き字引の方々のお話を聞いていた、というのもあるんだろうと思いますが、感情が揺さぶられました。

全体的に良い映画であることは間違いないのですが、原爆に関する目線が日本から見たものと(当然に)異なるので、モヤモヤする部分もある作品でした。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?