山田太一さん「人間の弱さ、その弱さがもつ美しさ、運命や宿命への畏怖、社会の理不尽に対する怒り」

「日本の社会はある時期から、木下作品を自然に受けとめることができにくい世界に入ってしまったのではないでしょうか。しかし、人間の弱さ、その弱さがもつ美しさ、運命や宿命への畏怖、社会の理不尽に対する怒り、そうしたものにいつまでも日本人が無関心でいられるはずがありません。ある時、木下作品の一作一作がみるみる燦然と輝き始め、今まで目を向けなかったことをいぶかしむような時代がきっとまた来ると思います」

山田太一さんが師匠・木下恵介監督の葬儀で述べた、有名な弔辞の一節です。自分は木下恵介作品を数えるほどしか見ていません。でも山田さんのドラマに対しては、まったく同じことを感じます。どの作品を思い出しても、「人間の弱さ、その弱さがもつ美しさ、運命や宿命への畏怖、社会の理不尽に対する怒り」が凝縮されたシーン、台詞が浮かんでくる。そういう人はきっと少なくない気がします。

2007年、TBSで単発ドラマ「遠い国から来た男」が放送された際に、雑誌の取材でお話をうかがう機会がありました。さまざまな著名人に、見開きで半生を語ってもらう連載企画。気負ったわりに大した記事は書けませんでしたが、丁寧でやわらかい(でもどこかピリッとした)山田さんのたたずまいは、深く記憶に残っています。

忘れられないやりとりが、3つありました。1つはテレビ界の現状について「制作者は書き手をもっと守らないといけない」と強い口調でおっしゃったことです。とりわけドラマ脚本を志した新人ライターがいかに弱く、心細い立場に置かれているのか。手探りでやっと歩きはじめた彼/彼女たちに対し、テレビ局のプロデューサーやディレクターがどれほど強い権力を持っているのか。その不均衡に対して、もっと想像力を働かせるべきだと。「でないと若い世代が、本当に書きたいテーマを追求できなくなります。それでは、いいドラマなど生まれない」。

2つめは、放送されたドラマ内容について。「遠い国から来た男」では、現在進行系のパートと数十年前の過去パートが混在しています。面白かったのは、メインキャストがその両方に出ていたことです。当時75歳の杉浦さんが青年期を演じるというのは正直、違和感もありましたが、山田さんにはこう話された。「最近のワイドショーで、よく再現ドラマをやるでしょう。僕はあれが大嫌いなんです。人には誰でも生まれ持っての骨格、顔つき、声がある。そうやって生きてきた結果として、今のその人がある。それをぜんぶ無視して、便宜的に別の俳優で置き換えてしまう発想が、自分はどうしても許せない。だから無理を言って2つの時制を演じてもらいました」。演出の技法として、それがうまく機能していたかどうかはわかりません。ですが山田さんがこだわった「決して置き換えのきかない生」はそれ以降、自分がドラマや映画を見る際の大事な視点になりました。

最後は、ご自身の少年時代を振り返って「戦争は人の生活を根こそぎ壊してしまう。それを忘れてはいけません」とおっしゃったことです。シンプルですが、とても重みのある言葉でした。特に「生活」という響きが耳に残っています。

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