自伝”光の啓示”「第3章 岡山・備前へ」
こんにちは、現在は世界初の新技法「ホログラムズコラージュ」のパイオニアとして活動しているTakayuki Hibinoと申します。
定期購読マガジン「光の啓示」では、1989年の夏、私がアート活動を始めたきっかけになった光の啓示から現在に至るまでの経験や出来事を記憶にある限り綴っていく実話です。
世界情勢が急激に変化していく中で、16歳からきびしい世の中をサバイバルしてきた私の経験が少しでもあなたにお役に立てれば幸いです。
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第3章 帰路は長い道のり。のつづき 岡山・備前へ。
アメリカ→ドイツ→UK→インド→日本と
1週間かけてなんとか無事に帰ることができた。
この3カ月間の経験は、
すべてにおいて今後のアート活動の自信につながった。
帰国して間もなく、
備前焼・六姓窯元 桃蹊堂 26代目 陶芸家 木村英昭氏から
コラボレーションの連絡があり、さっそく備前に向かった。
木村英昭氏とは1995年の岐阜市のコンペで出会い、
その後、彼はスペイン・バルセロナに2年間芸術留学していたが
帰国し陶芸家として活動をスタートしていた。
そんな彼に、岡山駅までわざわざ迎えに来ていただき、
岡山駅から車で桃蹊堂へむかった。
桃蹊堂は、赤穂線伊部駅の正面通りの左側にドーンと建っていた。
ここで備前焼について少し説明します。
さっそく備前焼をみながら説明をきいたが、
そこで疑問がわいた、
備前焼は、赤松の薪を燃料に登り窯で、窯たきをするのだが、
その薪の灰が作品の表面について、
その灰が溶けて胡麻(ごま)とか窯変(ようへん)という焼けになるが、
この「灰が溶ける」ということが理解できなかった。
さらに、「桟切(さんぎり)」は、
炎が通った跡が表面に景色として残っているものがある。
「緋襷(ひだすき)」は藁(わら)巻いた跡が
襷(たすき)のように残る景色だ。
窯焚きも10日から14日行うとのことで、
その間は薪をくべるために交代制で
24日間登り窯の番をするということだった。
備前焼は、釉薬を使わない。
土と会話し、炎をあやつる、
土と炎だけの陶芸ということだ。
さて、コラボレーションの話だが、
備前焼・陶心会の企画で、
BIZEN1999という企画展が岡山高島屋で
開催されることになり、
その中で現代アートとのコラボレーションして
新たな備前焼を試みるために、
私が木村 英昭氏とコラボレーション作品を発表することだった。
素材としての備前焼。
なかなか面白い、あらたな発見もあるかもしれない。
とはいえ轆轤(ロクロ)をやったことはない。
そこで、ロクロは木村氏が担当して、
私は手びねりや他の方法で表現することになった。
今日から2週間程度備前に滞在して、
まずは土との会話だが、
この制作が伝統工芸の奥深さをおもい知ることになった。
つづく
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