自#345「小5、6の頃、将来のこととか、まったく考えてませんでした。その状態は、大学3、4年の頃も、基本、まったく同じでした」

          「たかやん自由ノート345」

 小5、6年の頃、大人になって、なりたいものとかを考えたことは、なかったと思います。漁師町の小学校ですから、大半は、漁師の子供です。が、漁師の跡を継ぎたいという息子は、我々の学年には、もう一人もいませんでした。漁は、基本、夜の仕事です。真夜中に出かけて行って、朝方、帰って来ます。自分が船に乗って夜の海に出なくても、漁師の仕事が、どれだけhardで過酷であるのかということは、小5、6なら、はっきりと認識しています。私の母親は、子供の私に「オマエには、根性がない」と、よく言ってました。私は、同世代の中では、根性はある方だと自負していますが、母や母の世代の人たちには太刀打ちできません。私には父親はいませんが、父親が普通にいる漁師の息子たちは、父親や父親の世代には、やはり太刀打ちできないし、自分たちは、上の世代ほど、根性はないと自覚していたと思います。将来、何になりたいといった風な話は、誰からも聞いたことはありませんが、漁師にはなりたくないと、同級生は言ってました。実際、私の学年では、漁師になった同級生は一人もいません(一個上の学年までは、毎年、少数ですが漁師になった先輩がいました)。

 日生や第一生命のおばちゃんが、家に乗り込んで来て「将来なりたいものを、このアンケート用紙に記入して。書いてくれたらワタナベのジュースの素をプレゼントするから」みたいなイベントは、ありませんでした。第一生命保険の「小学生の将来なりたいもの」調査が始まったのは、たかだか32年前です。66歳の私にとって、32年前なんて、ついちょっと前って感じです。高度経済成長を達成し、最後の締めとしてのバブリーな経済が佳境に入っている頃、アンケートはスタートしたんです。私は、まだそれなりに貧しい時代の子供でした。小5、6の子供が、将来の夢を考えることができるような、社会のゆとりと言うか、ゆたかさには、まだ恵まれてませんでした。

 将来の夢などは、誰にも聞かれませんでしたが、小6の担任のT先生が、「尊敬している人は誰だ?」とクラスの生徒に聞いたことがあります。「はい。親です」と答えるのが、模範解答なのかもしれませんが、四国のど田舎の漁師町の小学校には、模範解答をsakuっと言える賢い子はいませんでした。シュヴァイツァー、ケネディ、リンカーン、ガガーリンなど、次々とありがちな有名人の名前が挙がりました。私と仲のよかった、ひでちゃんは冷めた感じで、腕を組んで黙っていました。T先生が「Y(ひでちゃんの苗字)オマエの尊敬する人は?」と指名すると、ひでちゃんは「オレは、力石だ」と、きっぱりと言い放ちました。うわぁ、ひでちゃん、カッケーっと感動しました。シュヴァイツァーとかケネディ、リンカーン、ガガーリンなどと、口走っていた同級生は「しゅん」としました。ちなみに、シュヴァイツァーと口走ったのは私です。担任は「力石、誰?」と聞き返しました。「力石を知らねぇーのかよ」と、無言の反発が起こりました。とにかく、シュヴァイツァーなどと、つい調子に乗って言ってしまった自分が、プチ恥ずかしいです。シュヴァイツァーは、アフリカで活躍した宣教師&医師です。が、が、宣教師&医師に憧れたわけではありません。シュヴァイツァーは、アフリカのサバンナで、パイプオルガンを弾いていたんです。サバンナでパイプオルガンを弾く姿に憧れました。どんな音色なんだろうと興味を持ちました。

 小5、6の頃、放送委員でした。夕方5時の下校の時、「アニーローリ」or「家路」を流します。それを流すために、放課後、放送室に一人で残って、モニターを使って、放送室にある78回転のレコードを聴いていました。放送室のミキサー卓の前に座って、一人でレコードを回して過ごすと言う空気感が好きでした。この流れで、将来、仕事ができれば申し分ないと、潜在意識の中では、考えていたのかもしれません。そうすると、将来は、音楽関係ってことになります。

 中学生になって、音楽の幅が、一気に広がりました。小5、6の時は、ビートルズとマージービート、あとモータウン系のR&Bくらいしか聞いてなかったんですが、中学生になると、クリーム、ジミヘン、キンクス、ジャニス、ドアーズ、オーティスレディング、レイチャールズ・・・等々が、怒濤の如く押し寄せて来ました。のどかで牧歌的な小学生時代が終わり、疾風怒濤の中学時代が始まったと感じました。モータウン系のR&Bを歌いたいと思ったことはありませんが、アトランタ系のオーティスレディングは、歌ってみたくなりました。で、アカペラでchallengeしました。「The Dock of the bay」とか「Amen」は、何とかカツカツで、歌えるんですが、オーティスレディングの曲の中で一番好きな、「Try a little tenderness」は、歌えません。Keyが合わないわけではありません。音程は取れます。リズムがズレるんです。自分には、リズム感がないと、この時、自覚しました。13歳の夏です。私は、だいたいの事柄において、根拠のない自信を持っていますが、リズム感に関しては、自信は持ってません。13歳の頃から、今に至るまで、リズム感はたいしてないと思い続けて来ました。リズム感がないので、音楽方面の進路が消えたってとこも、多分、あると思います。が、リズム感はたいしてないんですが、音楽は判ります。音楽は判るか判らないかです。判る人間は、100%、判ります。中途半端な判り方とか、あり得ません。All or Nothingの世界です。音楽は判りますから、今、冷静に考えると、音楽方面の進路もありだったなと思います。ミキサー室でレコードを回すくらいの仕事は、少々、リズム感がなくても、普通にできます。完璧である必要はないんです。が、中1の男の子は、そういうcleverな知恵を、残念ながらまだ身につけてません。

 中学、高校、大学生になってからも、将来はバーテンかなと、漠然と考えていました。バーテンですからカクテルは作ります。当然です。が、レコードも流します。カクテル&ミュージック、それが私のバーテンのイメージでした。仕事が軌道に乗って、大きな店を持てたら、「カサブランカ」に登場するリックの店のように、生ピアノを置くのもありだろうと考えていました。基本は、レコード。sometimes、生演奏。教員を退職したら、アコースティックの店をopenしたいと思っていました。資金500万円くらいで店をopenする・・・みたいな指南本も、何冊か読みました。が、女房に相談したら「絶対にダメ」と、きっぱりと反対されました。まあ、もし、これを実現していたら、コロナ禍で潰れていただろうとは、思います。

 今、私は毎日、古典を読んでいます。古典がメインで、音楽がサブです。老後は古典を読むと決めていたので、これはこれで、満足しているんですが、もしお金があったら、レコードを買い集めて、音楽メイン、古典サブの生活に多分、なっていました。幸いなことにと言うべきか、残念なことになのか、お金はたいして持ってません。が、幸せの総量は、どっちに転んでも、たいして変わらないと思います。一茶風に言えば「幸せもちゅうくらいなり老いの春」って感じです。

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