自#472「22歳の茶髪の兄ちゃんが、大袈裟なガッツポーズとか見せず、淡々としたクールな姿勢で、スケボーで優勝して、確かに、これが今の若者だなと納得しました」

         「たかやん自由ノート472」

 テレビのスポーツ番組を見ることは、老人の精神衛生のために、良い影響を与えるという記事を、少し前に読みました。オリンピックの開催を「是」とするための、「よいしょ」的な記事だろうと推定しましたが、スポーツ中継を見ることは、別段、害悪にはならないと客観的に判断できます。逆に言うと、多くのテレビ番組は、貴重な時間を浪費させ、尚かつ、たいして必要でもない商品を、広告のpowerで購入させ、内容的にも、害悪をばらまいているような、俗悪なものが多いと考えられます。新聞には、休刊日が毎月、一回はありますが、テレビこそ、休放映日が、sometimes、あってしかるべきだと言う気がします。
 が、まあ、今の時代ですと、テレビに休日があったとしても、その時間を、スポーツや散策、読書、美術館巡り、映画鑑賞などの有意義なイベントには、決して使用せず、ただネットに人が流れて行ってしまうだけってことに、多分、なるんだろうと想像できます。ネットは、編集・監修なしの玉石混淆です。テレビは、原則、編集・監修されて、ある程度、客観的に価値判断された後、放映されています。どっちがより害悪を与えるかというと、それはやっぱりネットの方です。リテラシー能力のない、小中学生が、ネットに自由にアクセスするのは、リスクが高すぎると、Windows 95の頃から、ずっと言われて来ました。が、どこの国も、デジタル教育を推進しています(イギリスの名門パブリックスクールや、アメリカの名門プレッピースクールでは、やってないと思いますが)。ネット=善、という大前提で、今にいたるまでずっと推移して来ています。
 いろいろ、勘案してみると、スポーツ番組の中継を見るのは、確かに精神衛生的に悪くはないし、緊急事態宣言が発令されて、不要不急の外出は、原則NGですから、自宅でオリンピックを見ながら、この危険な時期を、無事通過することは、国民にもっと推奨されてしかるべきかもと思います。
 オリンピックが始まる前に、「こうなったのは、運命だった」と、水泳の池江璃花子さんが、言ってました。こうなったというのは、白血病になって、長い間、入院治療し、その後、オリンピックに出場できる状態にまで、復活されたということです。まだ、お若いですが、運命だと、淡々と受け止めることができる度量の大きさを、お持ちになれるのは、アスリートとして、自己の身体、精神を、鍛え抜いて来たからだろうと、想像できます。オリンピックの試合は、他人との競争ですから、勝ち負けは、時の運ってとこもあります。こっちのコンディションが悪く、ライバルのコンディションが良ければ、負けますし、逆なら勝ちます。が、自分自身との闘いということに限定すれば、オリンピックに出場できる状態にまで、回復された時点で、池江さんは、自分自身にお勝ちになったんだろうと想像できます。
 体操の王者、内村航平さんが、今回、唯一出場した鉄棒で、予選敗退しました。テレビでは、内村さんの予選敗退は、アナウンスされませんでした。多分、そっとしておかれたんだろうと推定できます。朝日新聞は、翌日の一面のトップ記事で、予選敗退について紹介していました。そっとしておくより、こっちの方が、内村さんに対して、より思いやりの溢れた姿勢だと理解しました。演技開始30秒、バーの上で身体をひねる簡単な技で、片手が外れ、マットに転げ落ちました。過去の大会で、一度も犯したことがない凡ミスだそうです。内村さんは、北京では個人総合の銀メダル、ロンドンとリオデジャネイロでは、個人総合で、どちらも金メダル、まさに体操界の王者、レジェンドです。が、これは、あくまでも、過去の偉大な栄光です。
 第二次世界大戦を連合軍の勝利に導いた、英国の首相、ウィンストンチャーチルは、偉大な戦争指導者でした。が、戦争終了後、チャーチルの率いる保守党は、選挙で惨敗します。偉大な戦争指導者という過去の栄光、レジェンドでは、戦後の政治運営はできないと、有権者は冷静に判断したわけです。
 今まで、当たり前にできていたことが、ある日、突然、できなくなります。これを率直、素直に認め、受け止めることができないと、恨み、つらみ、ひがみの塊のような、残念な年寄りになります。ところで、内村さんは、32歳です。スポーツの世界には不案内ですが、20代の前半が、やはり体力、気力ともに充実している、アスリートの黄金時代なんじゃないかと想像しています。
 昨日、少しだけスケボーの競技を見ました。私が自ら、積極的に見たいと思っているのは、サーフィンとスケボーとボルダリングの三つです。サーフィンは、著名なサーフィン映画は全部見ています。ハワイのノースショアーで、サーフィンを見たこともあります。ある程度、知識のある唯一のスポーツかもしれません。スケボーは、スケボー以外には興味がないという高校生に、これまで結構、出逢っています。K高校時代、スケボーの同好会を作りたいと生徒に言われて、ダメ元で、努力したこともあります(無論、生徒部で即座に却下されました)。K高校では、ダンス部の顧問をしていたんですが、たった一人でブレイクダンスをやっていたAくんに、「合宿にスケボー、持って行ってもいいですか?」と聞かれて「別にいいよ」と返事をして、Aくんは、ダンスの練習の合間に、せっせとスケボーをやっていたんですが、山の上の民宿から、坂を下ってカーブを曲がる、そのカーブが曲がれなくて、血だらけになって、宿に帰って来たことがありました。宿の軽四を借りて、病院に直行しました。まあ、そんな思い出もあって、スケボーには、多少、思い入れがあります。ボルダリングは、小2の頃、高知城の石垣を登っていましたから、小2病の頃の自分を、多少、回顧できるかもという皮算用をしてたりもします。
 ついついヴァラィティ番組を見てしまって(本気で見たりはしませんが、食事中についつい見てしまいます)テレビを見ていた時間が、ちょっともったいなかった、古典芸能のCDを図書館で借りて来て、それを流して聞いてた方が、はるかに健全でタメになると、思ったりしてしまいます。スポーツの場合だと、アスリートの超人的な努力が、垣間見れたりして、お得感があるような気がします。歳を取っても、いや歳を取ったからこそ、身体を鍛える努力が必要だと教えてくれるだけでも、スポーツ中継を見る意義は、あると思います。

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