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自#004|「Stay Gold」な時代(自由note)

 自由note②で、卒業式の呼名のBGMで、グレイを聞いたと書きました。が、グレイではなくXJapanでした。うわぁ、邦楽、たいして知らない、自分の弱点が、directに出てしまったと、反省しました。邦楽も含めた、音楽検定のようなものがあったら、私はビギナーのクラスも、clearできないと自覚しています。

 90’sの後半は、邦楽的にはバブリーな時代でした。CDは、もうとんでもなく、売れに売れていた筈です。一番、人気があったのは、私の感触ですと、浜崎さん。次が安室さん。そして、実に多くの生徒が、ミスチルを聞いていました。アコースティック弾き語りの生徒は、ゆずを歌っていました。ラルク、グレイ、ルナシー、あとXも、区別つかなかったです。ジャニーズや、AKB48(45かも)が区別つかないように、ヴィジュアル系も漠然としています。その頃、自分が、何を聞いていたのかも、明確には覚えてません。オフスプリングやランシドは、聞いていました。まあ、グリーンディも。オアシスやブラーも、ウチにはCDがいっぱいありますから、聞いていた筈です。9・11の前だと、コールドプレイの一枚目。その頃は、ダンス部の顧問だったので、東海岸のノーティバイネイチャーとかバスタライムズ、西だとクーリオとか。BEPは、9・11以後だったかもしれません。

 たいして、音楽を知らないのに、にわかで知ったかを書んじゃねぇと、炎上するのかもしれません。炎上なんて、結構、普通にしますからと、ITのベテランの方に、忠告されています。が、炎上して、やっとネットの住人としてのプチ市民権が得られるのかなと云う気はしています。

 ところで、卒業式で聞いたスティービーワンダーは、担任のリクエストだと言ってました。「えっ?」って感じです。イニシャルは変えますが、仮にMさん。
「Mさん、ほんまにスティービーワンダー、聞くがかえ、げに?」と、やっぱり「?」がついてしまいます。人を外見で判断しちゃいけないってことです。

 スティービーワンダーは、まあ割りと聞きました。卒業式で聞いた「心の愛」は、コマーシャルで聞いて、CDを買って、歌詞を訳しました。気に入った曲は、自分で歌詞を訳します。ですから、歌詞のついてない輸入盤は、原則、買いません。

 No New Year’s Day
 No chocolate covered candy
 No first of spring
 No April rain
 No wedding Saturday with the month of june

まだ、いっぱいありますが、ごちゃごちゃするので、端折ります(これは、紫式部が源氏物語の中で、頻繁に使っている定番のskillです)。

 もうすぐやって来る新年にわくわく チョコレートキャンディ、春のはじめの息吹、卯月の雨、ジューンブライド(えっ、土曜が定番?)、そんなものが、なくても「I just called to say I love You」と、電話で伝えるだけで、人はhappyになれる、そんな歌です。

 スティービーワンダーは、ミシガン州のサギノー生まれ。モータウンのお膝元っちゃ、お膝元です。モータウンは、会社創設以来、ずっと「愛」を貫いて来たレコード会社です。

 受験勉強をしている頃、スティービーワンダーは、よく聞きました。アルバム名で云うと「Talking Book」「Innervisions」「First Finale」。この3つは、私の高1、高2、高3と被っています。

 受験勉強が、楽しいなんてことは、まず絶対にないです。受験勉強が楽しかったとかって、合格体験記に書いてあったら
「そんな、嘘を言うたら、いかんぜよ」と、即座にクレームをつけたくなります。私は、メンタルは強い方ですが、いくらメンタルが強くても、受験勉強は、やはり容赦なく辛いものなんです。深夜放送で、スティービーワンダーが流れると、普通に癒されました。私は、オーティスレディングが好きで、アトランタ系のR&Bを中学時代は聞いていたんですが、受験生の頃は、モータウンの方が、聞き易かったです。

 スティービーワンダーは、「The Key of Life」まで、聞きました。もう大学生になっていて、吉祥寺のJazz喫茶に入りびたっていた頃ですが、スティービーワンダーには、お世話になったなと、受験時代を懐かしく思い起こして、2枚組のアルバムを買いました。

 四万十川の河口の小さな町で、お茶の先生の姪御さんのK子ちゃんに、セックスピストルズの「Anarchy in the UK」を聞かせてもらったことは、書きました。今、ブレイディみかこさんの「ぼくイエ」を読んでいますが、K子ちゃんは、みかこさんに少し似ています(年齢もほとんど同じです)。私は、大学受験のために、K子ちゃんに英語を教えていたんですが、ある日、K子ちゃんは

「あたしは、大学に行かんけん」と、カミングアウトしました。今から、37、8年前です。みんなが、みんな大学に進学すると云う時代でもなかったんですが、経済的に余裕のない家庭でもないし、大学に行かなくても、京都や大阪の短大くらいには行くのが、まあ当時の普通でした。
「大学に行かんぜ、どうするがでよ」と、聞くと
「お金貯めて、ロンドンに行くけん」と、答えました。イギリスの大学に留学することは、経済的な負担が大きすぎて無理です。せいぜい、語学学校に行くくらいです。彼女は、どうしても高校卒業後の19歳で行きたい。二十歳を過ぎると、sceneが違うと言ってました。二十歳を過ぎたらsceneが違う、まあそれは、確かにそうです。

 結局、親がお金を出して、K子ちゃんは、高校卒業後、ロンドンの語学学校に行きました。彼女の念願通り、19歳を、ロンドンで過ごした訳です。その後、妹さんのR子ちゃんが、東京の大学に進学しました。日本に戻って来た時は、R子ちゃんと一緒に住んで、東京でバイトをして、またロンドンに行ってと云った風な生活を、おそらくしていました。いつだったか忘れましたが、
「やっぱり、自分が高校時代に思っていた通り、19歳のロンドンが、生涯のかけがえのないpreciousな思い出になった」と言ってました。

 K子ちゃんは、高2の時
「ニシモリさん、アウトサイダーを、見ちょきや。絶対に見んといかんぜぇ」と、フランシスコッポラ監督の「The Outsiders」を見ることを、私に勧めてくれました。K子ちゃんは、その前の日曜日に、片道2時間半、往復5時間かけて、土讃線に乗って、四万十川の河口の小さな町から、県庁所在地の高知市まで行って、アウトサイダーを見て来たんです。私は、車を持っていました。車で行くと、片道、3時間くらいかかります。往復で6時間。が、「Anarchy in the UK」を聞かせてくれた、大恩あるK子ちゃんのアドバイスを素直に聞いて、高知市の映画館まで足を運びました。

 アウトサイダーは、B級映画です。「理由なき反抗」と比較するつもりもなく、B級映画として、楽しみました。フランシスコッポラは、その前の「地獄の黙示録」で、途方もなくエネルギーを使いましたから、こういう気楽な映画を撮ったんだろうと、こちらも気楽な気持ちで見ていました。最後のエンディングで「Stay Gold」が流れました。「うわぁー、スティービーワンダー、キター!!」と、一気に熱くなりました。受験生の頃に、嫌と云うほど、お世話になったあの大御所、スティービーワンダーです。「The Key of Life」以降、スティービーワンダーのことを忘れていました。「Stay Gold」、金色に輝かなきゃいけない時代が、誰にだってある筈です。K子ちゃんにとっては、19歳のロンドンが、「Stay Gold」な時代だったわけです。

 学校の教師になって、お前たち、自分をもっとhardに磨いて、Goldに輝けよと、切歯扼腕(せっしやくわん)したことは、嫌と云うほどあります。でも、「Stay Gold」だった、boy & girlも、まあ、いないわけでもなかったとフォローしておきます。


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