自#321「刑事ドラマを放映していると、どれも「科捜研」に見えてしまう。これって、スノーマンやストーンズの一人一人の顔の見分けがつかないのと、つまり同じってこと?」

         「たかやん自由ノート321」

 創刊99周年を迎えた週刊朝日が、過去に伝えた健康と美容の記事のいくつかを、紹介しています。99年前には若返りについて「酒色に耽溺し、贅沢と怠惰の擒(とりこ)となって、不規則な擒生活を続けるならば、生まれながらに得たる天然の尊い権利を、塵芥箱(ごみばこ)の裡(うち)に捨てるやうなものだ。朝起きたら伸びをし、深呼吸をする。過食はしない。頭と歯を清潔にする」と注意しています。99年前というと、大正11年。おしんが大根飯を食べていたような時代ですから、タンパク質や脂質の摂りすぎはなさそうですが、ごはんを腹いっぱい食べて、血糖値を上げまくり、糖尿病に向かってまっしぐらみたいなことは、あったのかもしれません。運動については、翌年、前屈や腹筋運動、腕立て、背中を反らすなどについて、言及しています。

 96年前には、痩せの勧めについて。「肥っていると、どうしても体を動かすのが、おっくうになる。通じが悪くなり、便秘が起こる。血の巡りが悪くなって、骨盤に充血を起こす」ので、「食後1時間に、レモン汁を搾って砂糖水に混ぜて飲む。一日、1個から始め、20個まで増やす。こうすると10~15キロ体重が減る」と記しています。うーん、これは、さすがにちょっと、エビデンスなさすぎかもと、思ってしまいました。

 日中戦争が始まって、1939年には、食料不足が深刻化し、食事は一日2食が推奨され、白米禁止令も出ました。そうすると、逆に食物の不足で、健康が向上と云った現象も起こったようです。過食が病気を生み、少食が健康に直結していると云うのは、充分、エビデンスのある意見です。

 1951年は、朝鮮戦争が起こって、日本は軍需景気で、復興し始めた頃です。この年にプチ断食(週に一度、日を決め断食)や納豆による腸活(腸内細菌を活性化する)が勧められています。たった一日であっても、断食は食のリズムを崩してしまうリスクがあります。戦争中、粗食に耐えていたので、一日くらいの断食は、まあ抵抗なく普通にできたんだろうと推定できます。納豆は現在も、健康食品として人気がありますが、アメリカ産の大豆は、遺伝子を組み換えています。「そのヘン、どうよ?」と思わなくもないです。私は、年寄りですから、全然、平気ですが(遺伝子組み換えも、汚染野菜も、何でもかかって来いやって感じです)子供たちには、積極的にはpushしたくないです(ウチの三人の子供は、納豆は誰も食べません)。

 翌年の1952年には「ホルモン美容法」が紹介されています。牛の脳下垂体の一部やホルモンの結晶を圧縮した錠剤を、お尻に埋め込むそうです。何か、気持ち的にちょっと引いてしまいそうな施術ですが、俳優も女優も、こぞって治療を受け、「皮膚に潤いが出て、身長が伸びた」「疲れがなくなった」「精力の調子が良く、この前も年甲斐もなく~」みたいな声が寄せられたようです。三つ目の「精力の調子が良く、この前も年甲斐もなく~」は、怪しい〇〇人参のCMみたいで、こんな記事を掲載してたなんて、週刊朝日的には、黒歴史なんじゃないかと、思ってしまいました。

 1955年にボディビルブームが、到来したそうです。健康法も欧米化って感じです。当時バーベルは1300円~1700円。ダンベル(20キロ)は4000円。週刊朝日は30円。現在、週刊朝日は430円。バーベルもダンベルも超高価です。三島由紀夫のような、お金のある選ばれた人のみが、ボディビルで鍛えていたんだと思われます。が、田舎の篤農の子弟も、バーベルやダンベルを購入して、もしかしたら筋トレをやっていたのかもしれません。「筋肉を付けるだけではダメで、柔軟性も必要。田植えをする場合、腰が充分に曲がらなければ、ちっとも能率は上がらない」と注意書きを添えています。田植え機やコンバイン、トラクターなどが揃ってないような時代の農村で、ボディビルとかは、さすがにないだろうと云う気はします。

 70'sに入るとエアロビスクブームが到来します。「酸素の摂取量が毎分35ミリリットルを超える運動を一週間で6日間、一定期間続けると、脂肪が燃焼して、筋肉が締まってくる」そうです。「これだけの酸素を摂取するには、一日15分の縄跳びを週に5回続け、加えて、ゴルフをワンラウンド、通勤時に心拍数が上がるほどの早歩きで歩く必要がある」と、具体的に方法も述べています。この記事は、1972年に出ています。オイルショック直前です。ゴルフをワンラウンド回れるのは、部長級以上。その部長級以上が、毎日15分縄跳びをやるとかって、ちょっと考えられないです。健康や美容の記事は、割合、いつの時代も、プチ荒唐無稽って感じがします。

 1年前の1971年に「OLは、ホットパンツをはく前に、野菜でやせたまえ」と云う記事が掲載されています。私は、1975年に早稲田に入学して、吉祥寺から早稲田まで、東西線で通っていました。朝イチの授業は、週に二回あって、その日は、大手町に向かうOLさんも電車の中に沢山いたんですが、ホットパンツ姿のOLさんを見かけたことは、一度もありません。大学のキャンパスでもホットパンツは皆無でした(当時はまだ伝統的なワセ女の時代です)。ホットパンツなんて、平凡パンチかプレイボーイの写真でしか見たことなかったです。まあ、電車の吊り革広告で、意表を突かなければ、読者は週刊誌を購入してくれませんから、エビデンス無関係に、ぶちかましていたと云うことだと推定できます。

 1967年に、「あなたも100歳まで生きられる」と云うタイトルで、長寿10原則を載せています。今から半世紀以上も前に、人生百年時代を予見していた週刊朝日の見識には、脱帽してしまいます。10原則は、①生まれつきの素質、②健康な食生活を送る、③働く、④睡眠や休息を取る、⑤適度に運動する、⑥円満な家庭、⑦清潔にする、⑧趣味を持つ⑨病気の早期診断を受ける、⑩生きる意思を持つ・・・です。

 医療業界が、誠意を持って、患者をケアしてくれているのであれば、⑨の病気の早期診断を受けるも、首肯できますが、患者の病気によって(時には患者を病気にすることによって)医療ビジネスが回っているってとこも、ありますし、⑨に関しては、私の意見は微妙です。早期診断を受けることには、メリットもデメリットも確実にあります。そこは、個人の価値観、考え方の問題です。

 1985年に「ボケ老人をさらにボケさせる人体実験をしてみました」と云う記事が掲載されています。入院患者をベッドに縛り付けるのと薬を使うの2本立てで自由を奪う病院を紹介しているそうです。この頃、私の母も、郷里の伯母も病院の付添婦をしていました。何かものを届けたりする時、母や伯母が仕事をしている病院には、かなり頻繁に行きましたが、現実、こういうことは、行われていました。介護保険制度以前の病院の介護の現場を、リアルで見てしまうと、医療に信頼を置くのは、正直、らくだが針の穴を通るより難しいと、言いたくはなります。

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