自#323「受験も仕事、まあ老後ライフも、根拠のない自信を持っている者勝ちって気はします」

         「たかやん自由ノート323」

 認知症に関する記事を読みました。危険信号checkの項目があったので、tryしてみました。ひとつ目は「何回も同じことを聞いたり、話したりする」。これは、ありそうです。女房に「それ、さっき言ってたわよ」と、時々、言われたりします。歳を取ると、おじさんたちは、同じ話を何回もします。飲んで酔ったら、定番のこの話みたいな十八番(オハコ)が語られたりします。「三十歳になる少し前に、人生これでいいのかと、誰しもが考える」と、繰り返していた先輩がいました。「先輩もそうだったんですか?」と聞くと「オレも考えた。が、ただ考えただけだった(現状を変える努力をしなかったと云う意味です)」と返事が戻って来ました。このQ&Aのセットを、12、3回はやったと思います。12、3回繰り返したQ&Aのお陰で、30歳でそう抵抗もなく、私はトラバーユできたと思っています。ですから、繰り返すことの意義も認めますが、自分が飲んで同じ話をするのは、嫌でした。これも、アルコールをやめた理由のひとつです。

 ふたつ目は「名前を混同する」。ストーンズもスノーマンも乃木坂46も、日向坂なんちゃらも、そもそも、メンバーの名前が、まったく覚えられません。同じ顔に見えます。前の学校で、後夜祭と卒業イベントの時、ダンス部の面倒を見ましたが、ダンス部のイケイケgirlたちは、みんな同じような顔に見えました。クラスの男子の場合は、ゲーム系オタクのキャラが被っていて、ぱっと見、区別がつきませんでした。名前も顔も解らないとかって、まあ、ちょっとくらいは危険信号なのかもしれません。

 三つ目は「趣味や好きだったことに、興味や関心を示さなくなった」。まあ、これは今のとこないです。音楽も本も映画もアニメもマンガも好きです。外出は基本、控えていますが、古本屋には行きます。古本屋で、一冊百円の安い本を買って、知的好奇心を満足させたいと云う欲はあります。小1の時、古本屋通いを始めて、66歳の今にいたるまで、古本屋通いが、生活のルーティーンに組み込まれています。土佐中村に住んでいた頃、近くに古本屋がなかったので、車で、一時間半or 四時間かけて、宇和島や松山の古本屋に行ってました。ですから、古本屋のない、自然に囲まれたどっかの牧歌的な田舎で、老後を過ごすと云う選択肢は、私には存在してません。古本屋に行くために、足腰を鍛え続ける必要もあります。ネット上に古本屋とかも存在すると推定できます。大手の信頼できる古書肆でしたら、ポチすれば、翌日には確実に自宅に届く筈です。が、そうすると、外に出かけなくてもいいので、立ちどころに足腰が弱ってしまいます。何しろ、私の左足は、すでにサルコペニア現象を呈しているんです。歩けなくなったら、「地獄の黙示録」のBGMのドアーズの「The End」が、即座に聞こえて来ると自覚しています。

 脳のトレーニングでリスクを減らすと云う項目もあります。エピソード記憶ジャンルのひとつ目は「一昨日の朝食のメニューを思い出す」。私は、長期間、連続で同じものを食べます。現在は、納豆と生卵と生姜と大根おろしをかき混ぜたものが、breakfastです。副菜として、ひじきや干し大根の煮物、わかめ酢などが、一品ずつ添えられたり、or notだったりです。ふたつ目は「二日前の日記をつける」。済んだことは、大部分、結構、すみやかに忘れて行くので、これはできないかもしれません。三つ目は「レシートを見ないで、家計簿をつける」。家計簿はつけないし、レシートも貰ったり、貰わなかったり。これも無理です。四つ目は「昨日見たテレビ番組の内容を思い出す」。テレビは見ないので、これも不可。が、映画でしたらできます。一昨年でしたが、「Once upon a time in the west」を見て、二週間後くらいに、感想文のようなノートを書いたことがあります。映画は、いくつかの印象的なsceneが、おそらくいきなり長期記憶に刷り込まれるので、かなり時間が経過しても、思い出せます。

 注意分割機能ジャンルのひとつ目は「歩きながら会話をする」。まあ、これは普通にできると思います。「料理をしながら鼻歌を歌う」。これも簡単です。「散歩をしながら引き算をする」。これは、百から七を引いて行くみたいな脳トレですが、これをやる意味が、自分としては、納得できないので、実行しません。意味があることは、理解できますが、納得できなければ、やっても効果は期待できません。こういう脳トレは、結構、いっぱいあります。「体操をしながら、しりとりする」。まあ、これはやってもいいかなと思います。身体を動かしていた方が、脳は活性化されます。

 計画力のジャンルは「新しい料理をレシピを見ながら作ってみる」。何年か前、女房が、母の介護をしてくれた時、私が調理を担当して、二週間分の主菜・副菜のメニューを考え出しました。時間があれば、四週間分、三ヶ月分と、メニューを豊富に考え出す自信はあります。「旅行の計画を立てる」。これは、若い頃、行き当たりばったり、出たとこ勝負みたいな一人旅を、よくしていたので、そもそも、計画を立てると云う行為に、なじめません。「効率よく買い物をするために、買う順序を考える」。調理を自分がやるとなると、安い物をどこで買うのか、考えなければいけないので、四つか五つのスーパーの回り方と買い方を、工夫することになります。すべて紀伊國屋とか三浦屋で購入すると云った買い物の仕方ですと、品質は保証されているのかもしれませんが、脳トレの訓練にはなりません。ボケをディフェンスするためには、ちらしを見比べて、複数の店で買い物をした方が、望ましいと言えます。「いつもとは違う店で買い物をする」。これも、少し離れたOKマートとか、業務用スーパーに行ってみるみたいな、アクションだと思います。いづれにしても、安くて、少しでも良いものを買うためには、数多くのパターンが、必要です。

 脳や神経組織は、一度失われると、再生できません。が、トレーニングをしていると、その失われた神経組織の働きを、ほかの領域が補完する「脳のバックアップ機能」が動き出すそうです。筋トレを続ければ、筋肉が太く強くなるように、刺激を与えると、脳は全体として活性化されて、脳の機能を維持できます。
「認知症にならない18の方法」をお書きになった新井平伊先生は「トレーニングといっても、特別なことはしなくてもいい。大切なのは楽しむことだ。意欲を司る脳の前頭葉は、真っ先に老化する部分で、だからこそ、好きなことを計画し、前向きに楽しむことが、脳全体への良い刺激に繋がる」と仰っています。

 散歩が趣味だとすると、自然に恵まれた遊歩道を歩くAコース、商店街を歩くBコース、アップダウンのある丘陵地を歩くCコース、野川公園のような大きな公園をほっつき歩くDコース・・・等々、いくつかコースを用意しておきます。新井先生は「その日の天気や体調によって、コースを選び、歩きながら足腰の動きも意識し、帰宅後は、散歩中のできごとを振り返り、それを受けて、明日はどこを歩こうかと考えを巡らせる。計画・実行・振り返りをすることで、散歩ひとつでも、脳を三倍動かせる」とも仰っています。これって、つまりPDCAサイクルを回すみたいな考え方です。

 後向きのネガティブな思考に陥らず、前向きにポジティブに、できることをして行けば、認知症を、そう恐れる必要はないと思います。そもそも、私には、認知症には絶対にならないと云う根拠のない自信があります。根拠をエビデンスと言ってもいいかもしれませんが、エビデンスなどなくても、自信なんて持ったもの勝ちです。

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