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自#201|大人になっても、人を信じられる人間(自由note)

コラムニストの清田隆之さんは、大学生の時、女友達の恋バナや愚痴を、男5、6人で聞いて、みんなで遊園地に行ったりする、チャラチャラしたサークルをやっていたそうです。大学のサークルと云うのは、基本、何でもありですから、こういうサークルが存在していても、問題ありません。部室や運営費などは、多分、貰えないでしょうし、公認もされないかもしれません。が、公認されなくても、ラウンジにサークルのノートを置いて、非公認サークルとして、活動すればいいだけのことです。どうでもいいような、不要不急の活動に、全力で打ち込めるのは、大学生の特権です。大学時代にしかできそうにない、面白ろそうなサークルです。ひどい彼氏の話とかを聞いて、ちょっと元気になってくれたらいいかなくらいの軽いノリで、始めたそうです。人の話を聞くためには、ノリが軽いってことも、大切な資質なのかもしれません。依頼は絶えなかったそうです。

 男同士、5、6人で、遊園地に行くことは、現実には普通にあります。TDL or TDSには、そこら中に、男子のグループがいます。男たちだけで、インディジョーンズやタワーオブテラーと云ったアトラクションを楽しむ、まあ、これはこれで、楽しそうですが、待ち時間とかに、失恋した女の子の愚痴を聞きながら、アトラクションを一緒にenjoyするのは、男たちにとっても、女の子にとっても、その日限りかもしれませんが、ハピネスをつかめそうなactivityです。

 話を聞く男たちが、遊園地の年パスを取得していれば、毎回の入園の費用はかかりません。普通、愚痴を聞くのは、居酒屋でホッピーなどを、ぐびくび飲みながらと云うイメージがあります。居酒屋でホッピーでしたら、費用は低価格ですが、ワインの専門店で、それなりにコクとキレのある(ワインを飲んだことがないので、形容の仕方が判りません)ワインを、こじゃれたフランス料理風のつまみを食べながら、愚痴をlisten to するとなると、費用は、かなりお高めです。今、流行のSDG'sではないですが、持続可能であることが、大切です。ワインの専門店では、費用的に行き詰まる筈ですし、居酒屋よりは、遊園地の方が、より健康的で持続可能です。

 ネットに行けば、愚痴のおしゃべりを聞いてくれそうな、イケメンがいそうです(ヤバいおっさんが、イケメンの写真を勝手に借用していると云うケースも、多分、あると思いますが)。「じゃあ、今度、会ってゆっくり話を聞きたい」とか言われて、歌舞伎町の純喫茶などを指定して来たら(歌舞伎町に純喫茶があるかどうか知りません。昔はありました)まあ、やっぱりプチ引いてしまいます。たとえ、ラウンジにノートを勝手においてある非公認のサークルであっても、大学のサークルとなると、信用度は一気に上昇します。

 ところで、最悪な彼氏の愚痴を聞いてあげたりするのは、本来、女友だちの役目だと思います。東京タラレバ娘だと、第3出動とやらで、仲間を集めて、白子ぽん酢などをつまみながら、ぐいぐい飲んで、管(くだ)を巻きます。が、ネット社会が大発展して、リアルの信頼感が、だんだん薄れて来ていますから、何でも話せて、お互い信じ合える友人と云うのは、限りなく少なくなって来ているんじゃないかと、推測できます。女友達同士のしっかりとしたコミュニティがあり、そのコミュニティが、メンバーの誰かが精神的危機に陥った時、セーフティネットになって、守ってあげられるのであれば、ちゃらいノリで、遊園地に行って、女の子の愚痴を聞くと云ったサークルの需要は、発生しなかったと推測できます。たとえ、薄い信頼関係であっても、取り敢えず、頼れる何かに寄っかかりたいと云う時代の風潮を、感じてしまいます。東京タラレバ娘の倫子、香、小雪は高校時代以来の親友で、彼女たちの友情は揺るぎないものです。お国柄の違いはありますが、Sex and the Cityの4人の友情も鉄壁です。たとえ、この4人の中に、イケメンの男が絡んで来て、引っ掻き回そうとしても(そういうことをしたい男の子も、まあやっぱりいるんです)、まず絶対に崩れないと安心できる、stabilityがあります。

 Sex and the Cityの4人は、ミランダの誕生日を祝うために、カフェに集まります。中流以上の家庭の子供でしたら、自宅でハデな誕生日パーティを実施します。4人の彼女たちも、おそらく子供の頃には、そういうバースディパーティを経験しています。が、30代半ばを過ぎた彼女たちは、ニューヨークでバリバリ仕事をしているキャリアウーマンです。自宅で、豪華なパーティを実施できる有閑マダムではありません。4人ともに、仕事や恋愛で多忙の筈ですが、時間のやり繰りをして集まります。この日は、予定が入っていて、絶対に無理だと思っても、そこは、むりくり時間を拵える必要があります。それが、親友と云うものです。カードだけ送って、「行けなくてゴメナンサイ」とかと言い訳をするのは、やっぱりNGです。ここ一番と云う時に、万障繰り合わせまくって、親友と会う時間を捻出する必要があります。

 私自身の苦い思い出があります。学生時代の友人のKくんが、郷里の岡山に帰って、10年ぶりくらいに東京に出て来た時がありました。学生時代の仲間たちが集まって、Kくんの歓迎会をすることになり、私も呼ばれたんですが、ライブの前日で、準備が忙しく、行けませんでした。後日、行けなくても申し訳なかったと、お詫びの手紙を書いたんですが、万障繰り合わせて、やっぱり出席するべきだったと反省しました。今、会っておかないと、もう一生会えない、そう云う日が、30代以降になると、結構、あります。今会って置かないと、一生会えないと云うことは、自分でも薄々、判っているんです。結局、Kくんとは縁が切れました。学生時代、あれだけ仲良くしていたのに、万障繰り合わせなかった、たった一日のために、大切にすべき友人を失ったと、多分、言えます。

 四万十川の河口の小さな町に住んでいた時、勉強を教えたりして仲良くしていた姉妹が、上京して日吉に住んでいました。横浜に行った帰りに、日吉の彼女たちの住まいを訪ねたことがあります。姉のKさんは、せっせとメッセージを書いて、妹のR子ちゃんは、何か小物を拵えています。何日後かのおばあちゃんの誕生日に、メッセージとプレゼントを贈るために準備していたんです。日吉(神奈川)と高知と、遠く離れていても、おばあちゃんは、多分、いつでも彼女たちの傍にいます。彼女たちが、おばあちゃんに、メッセージとプレゼントを贈らなかったことは、多分、ものごころついてからは、一度もなかった筈です。私も、彼女たちのおばあちゃんに、何度か会ったことがありますが、あったかくて、優しい、素敵なおばあちゃんでした。おばあちゃんをリスペクトして、誕生日をきちんとお祝いする、これは、つまり家庭のしつけです。子供の頃の家庭のしつけが、その後の行動のベーシックな部分を形作ると言えます。お互いを信頼できるような家庭で育った子弟は、大人になっても、人を信じられる人間に、おそらくなります。6歳までに、すべてが結締される的なフレーズが、ありますが、まあ、結構、これは真実だと言えると思います。が、6歳までに、ベーシックな部分が、構築できなかった人も、その後の努力次第で、up dateは可能です。そのup dateは、若ければ若いほど、効率的にup dateできるんですが、歳を取っても、向上は可能です。向上可能性を、多少なりとも見せることが、年寄りたちのひとつの役目だろうとも、思っています。

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