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自#100|何かやらなければ錆びる(自由note)

 落語家の春風亭一之輔さんのインタビュー記事を読みました。一之輔さんは、週刊朝日にコラムを連載しています。落語家らしい、独特の間とリズムのある文章をお書きになっています。斜に構えてなくて、at homeでフレンドリー、親しみ易い感じです。ネタがウケなくても気にせず、飄々(ひょうひょう)としてお帰りになる、そんな雰囲気をかもし出している洒脱なエッセーです。

 一之輔さんは、コロナ禍の前は、年間800席くらいの高座をこなしていた、超売れっ子の「チケットの取れない」落語家だそうです。
「挫折とか、つらかったことが、一回もないんですよね。落語家になってからは」と、修業の苦労は、一切、口にしません。

 中学校までは、普通の優等生だったようです。進学校の高校に入って、生活は一変します。成績は学年の最下位争い。部活はラグビー部を1年で辞めて、帰宅部。ふらふらしていた時、浅草で寄席に入って「同年代が来てない。サブカルな趣味。いいもん見つけた」と、通い始めます。

 大学受験に失敗して、落語家を目指そうとしますが、親に反対されて、浪人して大学へ。大学のサークルは、落語研究会。卒業時は、就職超氷河期だったので、春風亭一朝師匠に入門。11年目に真打ちに昇進します。大学に進学して、卒業しても、才能さえあれば、落語家としてプロになれるわけです。

 師匠には「芸は似なくていいんだ」と、言われたそうです。師匠の真似をしていたら、ただのコピーになってしまいます。コピーは所詮、コピーなんです。オリジナルなものには、太刀打ちできません。

 私は、高校のバンドの指導者でした。全国大会に行くような(いや、行かなくても全然構わないんですが)偉大なバンドが出現すると、その下の学年は、どうしてもその偉大なバンドの真似をしてしまうんです。コピーは、所詮、コピーだと云うことに、自らが気づかないと成長できません。

 一之輔さんは、よそに稽古に行って(他流試合のようなものだと推測できます)いろんな人のいいところを吸収して、creativeな自己のオリジナリティを作り上げた様子です。師匠は、家の仕事とか、一切、させなかったそうです。

 家の仕事と云うのは、掃除、洗濯、庭仕事、子守、買い物、運転手と云った、こまごました雑用ですが、そういう丁稚奉公は、経験せず、稽古をしたり、映画を観たり、歌舞伎に行ったりして、有意義に時間を使ったそうです。丁稚奉公をした方がいいのか、しない方がいいのか、それは、簡単には答えられない問題です。丁稚奉公で、まっすぐ、どんどん伸びて行く人もいますし、ゆがんでしまう人もいると思います。その人の性格、パーソナリティに、丁稚奉公がマッチングするか、しないかの問題です。ちなみに、私は、社会人の1年目に丁稚奉公を経験しています(まっすぐ伸びたのか、ゆがんだのかは、みなさんの想像にお任せします)。

 一之輔さんは、コロナ禍で高座がなくなったので、所属事務所の承諾を得て、YouTubeに自分のチャンネルを立ち上げて、本来は寄席でトリを務めていた筈の日時に合わせて、10日間、落語を無料でライブ配信します。
「のんきに構えてたんですけど、何かやんないとね、錆びて来ちゃう」と、語っています。

 ギターだって、そこらに放り出して弾かなくなれば、すぐに弾けなくなります。ぱっと見、弾けているように見えても、音色は出せてないんです。ブラス系だって、すぐに吹けなくなります。喋りだって、やっぱり、ずっと喋ってないと、錆びついてしまうんです。私も、YouTubeの収録をしています。正直、ある種の筋トレだと思っています。毎朝、6分前後、何やかや喋っています。喋ると云うことに、決めているから、どうにかこうにか、ネタを探し出そうとします。アンテナを張ってないと、ネタは見つかりません。今は、火・木・金曜日の3日間、授業で喋っています。つまり、週の4日は、喋ってないんです。喋らない日の方が、喋る日よりも多いと、どうしたって、錆びついて来ます。錆びつかないように、現状を何とかkeepするために、YouTubeの収録をしてるってとこも、少しはあります。

 落語家は、人気が出ると、儲かる独演会を増やすそうです。一之輔さんは
「独演会だけやってると僕は駄目。噺家は、いろんな人がいた方がいい」と、語っています。

 私は、そう多くはないんですが、何回か担任を経験しました。担任時代は、担任の仕事に邁進(まいしん)して、全力投球して来たと、自分では思っています。ただ、クラスの生徒にとって、担任は重要で、責任ある教員です。担任と合わない生徒だって、絶対にいます。部活の顧問でしたら、顧問と会わなければ、生徒は辞めて行きます。はなはだ気楽です。高校のクラス担任は、小学校のクラス担任に較べると、全然、軽いと思います。それでも、非担任で、教科だけを教えている先生と較べると、担任は圧倒的に責任のある重たい存在です。教科の担当だと、いろんな人がいて、その中のone of themです。まあ、精神衛生的にも、そっちの方が、はるかに気楽で、好き勝手にenjoyできてしまう感じがします。独演会=担任、寄席=one of themの教科担当、みたいなとこもあると、勝手に想像しています。

 YouTubeは当然ですが、目の前に観客はいません。一之輔さんは、YouTubeの収録には、すぐに慣れたそうです。
「完全にすべるってことが、ないからね。無観客なんで。ポジティブに捉えて、普段言わないこととか、何だこれって、アドリブとか、言ったりしてました」と、語っています。が、無観客の方が、お客さんがいる時よりも疲れるそうです。理由を聞かれて
「ちゃんと喋るからです。笑い声がないと、伝わっているかどうか、不安です。最後のセリフまで言って、目線の切り方もしっかりやります。芸人というよりスポーツをしてるアスリートみたいな感じがします。寄席は拍手があってやり易いし、寄席の高座は、声の響きとかしっかりしていて、喋り易くできています」と云った風なことを仰っています。
 一之輔さんの高座を、一度、生で見てみたくなりました。

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