自#「すかすかのアキレス腱でも、体力をつけるために、走らなきゃダメだと、8ヶ月半近く、一日も休まず走って、確信できた。これが、2020に得た、一番大きな教訓かも」

  「たかやん自由ノート254」

大ヒットドラマ「半沢直樹」の監督の福澤克雄さんのインタビュー記事を読みました。福澤さんは、福澤諭吉の孫の孫。幼稚舎(小学校)から慶応に通っていました。幼稚舎は、6年間、担任もクラスも変わりません。6年間、同じクラスにいて、その後も、普通部、高等部、大学と同じキャンパスで過ごします。小学校の時に培った人間関係が、生涯に渡って続いて行きます。同じ文化と思い出をshareしている仲間たちのコュニティが、常に自分の身近に存在しています。おそらく、これが幼稚舎から慶応に通う、最大のメリットじゃないかと想像できます。

 幼稚舎時代、6年間変わらない、担任の先生の教育方針に、人生は大きく左右されます。当たり外れは、無論、あるとは思いますが、複数の先生から、それぞれ中途半端な影響を受けるより、たった一人の(できれば強烈な)先生のカルチャーに染まった方が、その後の人生は、より面白くなって行くような気がします。私立ですから、そのヘンは、自由にやれます。嫌ならリタイアして、地元の公立小学校に通えばいいんです。

 福澤さんの担任の中川先生は「勉強しろ」とは、ほとんど言わなかったそうです。隣のクラスの担任は、勉強に厳しい先生です。「何故、ウチの担任は、子供に勉強をさせないんですか?」などと言った、そこらのモンスターママが言うようなクレームは、届かないか、届いても「じゃあ、お辞めになって、公立に通って下さい」と、あっさりスルーされてしまうのかもしれません。幼稚舎に子供を通わせている保護者は、経済的にゆたかな方たちばかりです(例外は、ほぼないと推定しています)。生活にゆとりのある方は、勉強が大切だと判断したら、家庭教師をつけるなり、塾に行かせるなりして、自己責任で対応すると思います。幼稚舎に入学させる以上、幼稚舎の教育方針に任せていると云う、信頼関係がおそらくあります。これまで培って来た長い歴史と伝統もあります。ブランド力は、絶大です。

 中川先生は、運動とチームワークを重視しました。6年間、ガチの体育会部活のような雰囲気で、福澤さんたちは、お過ごしになったのかもしれません。大学の体育系部活の学生は、勉強など、ほとんどしません。したくても、そんなヒマはありません。文武両道は、アメリカの名門大学なら、ある程度、成り立っていますが、日本では成立してません。真の文武両道の高校もなければ、文武両道を実践している大学生もいません。文も武も、どちらも中途半端な姿勢では極められません。福澤さんは、スポーツを通して、チームメンバーの役割分担を学びます。つまり、各人がきちんと仕事をすると云うことの大切さを、小学校時代に学習します。
「人間、仕事がないと自暴自棄になる。仕事があれば、あの人に迷惑がかかる、この仕事が中途半端になると考えることで、道を踏み外さずに済む。人間は弱いものだが、一生打ち込める仕事を見つけられたら、弱い人間も生きていける」と、福澤さんは仰っています。この仕事観の基礎・基本にあたる部分を、幼稚舎時代に、きっちりと習得されたんだろうと想像しています。

 福澤さんは、小学校5年生の時から、ラグビーを始めます。体育の先生に勧められたんですが「ラグビーを一生懸命やりさえすれば、二回や三回、落第しても大丈夫だ」と、教えてもらったそうです。慶応幼稚舎の同窓生のコミュニティと、ラグビーの世界のコミュニティの両方があれば、よほどの性格破綻者じゃない限り、そのゆたかな人脈で、人生はどうにかなって行きそうです。

 幼稚舎と違って、普通部(中学校)、高等部は勉強が厳しく、成績が悪いと、容赦なく留年させられます。大学も2年から3年への進級は、それなりに大変です。普通に勉強してないと落第します。早稲田は、8年生まで、順調(?)に進級できます。早稲田には、ノー勉に近いような学生が、そこらに普通にいます。石を投げれば、ノー勉に当たると云っていいくらい、沢山います(実際はまったくのノー勉ではありませんが、ノー勉と言ってしまいたくなるほど、勉強量が少ないんです。もっとも、国際教養学部と理工学部は、それなりに勉強しています)。慶応の学生も、大学受験生ほど、勉強をしているわけではありませんが、まあ普通に勉強しています。つまり、勉強量は、早稲田の方が、圧倒的に少ないんです。早稲田は、基本、自由です(勉強をしない自由もあります)。慶応は、最低限のミニマムな学習は求めています。これが、早稲田と慶応の違いです。合格して、どちらを選ぶのかは、受験生のキャラとのマッチングの問題です。

 福澤さんは、高1で落第します。幼稚舎のクラスメートの半分が、高1で落第したそうです。同じタイミングで、普通部にいた弟さんも落第したらしく、福澤関係者の中では、バカ兄弟で通っていたそうです。こう言ったエピソードも、ここまで生粋の慶応ボーイだと、ある種のブランド力を放ちます。

 普通部の2年生の時「スターウォーズ」を見て、映画監督を目指します。が、日々の生活は、基本、ラグビー漬け。高校と大学は、ラグビー以外の文化は、ほぼ存在してない生活だったと思われます。大学に入ると合宿生活です。プライベートは、一切なくて、24時間、ラグビーのことだけを考えて過ごします(おそらく寝ている時でも考えています)。

 大学卒業後は、映画監督になろうと云う意志は固かったんですが、学生時代、専門的な映像の勉強は、一切してません。それだったらテレビ局がいいと周囲に勧められて、TBSに入ります。

 AD時代は、体力勝負だったので、問題なしです。小5から、大学まで、きっちりと鍛え抜いて来たので、体力はあり余っています。勉強の貯金ができるように、体力だって貯金は可能です。若い頃に、徹底的に自己を鍛えておけば、40歳くらいまでは、楽にやって行けると思います。不惑を超えると、体力は落ちます。が、40歳を超えれば、会社員の場合、基本、デスクワークです(もっともテレビのディレクターはデスクワークとは、言えませんが)。

 福澤さんは、(ラグビーで言うと)オールブラックス級の名画を見て、映像の研究をします。ちなみに、「半澤直樹」の基礎は、黒澤明の「用心棒」だそうです。愛とか死とか、一切言わなくて、用心棒が暴れるだけです。一人の浪人が、宿場町にやって来て、こっちのヤクザの味方をしたり、あっちのヤクザについたりして、ドタバタを繰り広げたあと、あばよと去って行く。エンタメとして、単純に面白ければ、それでいいんです。黒澤映画は、哲学ではありません。映画は、映像の美学です。映像を通して、楽しませ、感銘を与えます。

「TBSを辞めて、映画監督になると云う将来はないんですか?」と質問されて
「それは難しい問題で・・・。誤魔化すわけではないんですが、僕の実感としてテレビ局の物の作り方は、すごくまともなんですよ。大学で教養やコネクションを培った連中が集まって、物をつくると云うルールがしっかりある。一方、組織に所属しない映画監督は、一握りの才能がある人でなんとか回っていて、確固としたキャリアパスがないように見えるんですよね。それじゃ、いずれ担い手が先細って行くばかりで、長続きしないんじゃないかと」と、本音で語っています。

 テレビ局のディレクターに較べると、映画監督は、孤独で、リスクが大きくて、自己責任で、キャリアパスが回せなければ、たちどころに、行き詰まります。映画監督には、選ばれた人しか、なれません。成りたくてなったと云うよりは、成らざるを得なかったと云う宿命の人達です。観客は、お金を払って、わざわざ映画館まで出向いて、時間をこしらえて、映画を観ます。テレビのスイッチをつけると、無料で、さくっと見れてしまうテレビドラマと映画とでは、やはりアートのレベルが違うとsimpleに言えると思います。

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