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自#088|やり切った感がないと云うことにも、人間は、いつしか慣れてしまう(自由note)

(前回の「監視」いや「見守り」の続きを少しだけ補足しておきます)

 オムツ交換が必要な被介護者には、眠りSCANとともに、膀胱の大きさを測定して、排尿のタイミングを知らせる装着型の機器(DFree)を組み合わせます。尿がたまり、かつ覚醒状態にあるタイミングで、トイレ誘導できれば、入居者の睡眠の質を改善でき、オムツの費用も節約できます。

 もっとも、こういった機器を利用する流れには消極的な、介護施設の代表もいます。福岡市で「よりあいの森」を営む村瀬孝生さんは、自分の施設にはセンサーを導入しないと云う選択をしています。
「相手の呼吸の深さ、歯ぎしりの強弱、おしっこのにおいなどに、感覚を研ぎ澄まして向き合うからこそ、介護職のなかに第六感が育まれる。お年寄りにとって、おしっこをするかどうかは、数少ない自らの主体的が残った営みだ。そこまで予測されてしまったとき、こんなことまで気づかれてしまうのかと、切なさを感じる。結局、機械で監視するシステムになる。システムによって得られた安全とケアは、お年寄りの自由や尊厳を奪う可能性をはらむのではないか」と云った風なことを、村瀬さんは語っています。が、人手が常に足りない福祉の現場で、人手を厚くすることは、物理的に不可能だと想像できます。
「ニーズに誠実に応えようとするなら、現在の人員配置では難しい」とも、村瀬さんは仰っています。

 結局、歳を取っても、被介護者にはならず、現役で身体を動かし続け、ある日、ぽっくり死ねると云うのが、bestな生きざまだと云う理想論になってしまいそうです。

 89歳の現役タンゴ歌手の前田はるみさんのインタビュー記事を読みました。ピアノの前で、猫を抱いた前田さんのスナップ写真が掲載されています。CDが並んだラックが後ろに見えています。CDは、亡くなった御主人のコレクションです。
「だいぶ処分したのですが、まだ倉庫に5万枚くらいあるんです」と仰っています。私は、現在、CDを1800枚くらい持っています。1800枚でも、結構、もて余しています。が、5万枚に較べたら、1800枚なんて、わずかな数かなと思ってしまいました。

 歌の道を目指していた前田さんは、女学生の頃、劇場の楽屋に出入りしていたそうです。ある日、急病で倒れた歌手の代役を頼まれて、ステージデビューを飾ります。プロになるためには、才能、実力だけでなく、人の縁、運も必要です。群馬の桐生に住んでいたんですが、女学校を卒業して上京します。典型的なアプレゲールだったと回顧されています。歌の上手いバリバリのギャルだったと云うことです。

 銀座のナイトクラブで歌っていた時、浅草のロック座の歌手兼女優としてスカウトされます。その後、浅草から有楽町の日劇に移籍。26、7歳の時、アルゼンチンのタンゴ歌手、ビルヒニア・ルーケのレコードを聴いて、心の底まで響く、強烈なリズムと歌で物語りを紡ぐタンゴの世界に魅了されて、タンゴ歌手になる決心をされたそうです。タンゴは、スペイン語で歌います。スペイン語歌唱を習得して、タンゴ歌手として、29歳でデビューします。アルゼンチンのブエノスアイレスで歌ったこともあり、憧れのタンゴ歌手、ルーケにも、お会いになったそうです。

 練馬文化センター(小ホール)で実施するコンサートの案内も掲載されています。「ジーラジーラ」「夜のタンゴ」「ラ・クンパルシータ」など、私でも知っている人口に膾炙(かいしゃ)した名曲が、曲目としてリストアップされています。伴奏は、バンドネオン、バイオリン、ピアノ、コントラバスの4つの楽器です。全体のサウンドの雰囲気は、だいたい予測できます。が、予測をはるかに上回る声量で、前田さんがお歌いになると、やはり感動してしまいそうです。

 歌手ですから当然ですが、前田さんは、毎日、発声練習をされています。
「私は才能がないので、努力をするしかなかったですし、今もその延長です。ただし、努力をすることを、つらいと思ったことは一度もありません」と、仰っています。

 前田さんは、89歳ですから、私より二回り歳上です。そんな歳上の方が、毎日、何事もないかのように努力されているんです。毎日、たかだか30分走るくらいの努力しかしてないのに、それが辛いとかと言ってしまつている自分が、ちょっと恥ずかしいかなと、思ってしまいました。

 もっとも、私は、発声練習の方は、もうまったくしてません。マスクをしてるからです。自宅で発声練習をすることは、周囲に迷惑をかけるので、できません。毎朝You Tubeの収録をしていますが、声のボリュームは、かなり抑えています。2月くらいまでは、自転車で駅に行くまでの間、洋楽を1、2曲歌っていました。つまり、それが声出しだったんです。マスクをして歌う気にはなれません。授業で喋っていれば、それがすなわち声出しにつながっていたんですが、今はマスク着用ですから、声出しにはなってません。大きな声を出す必要は、なくなったのかもしれませんが、万一、小学生のボランティアとかを頼まれたら、時には大きな声も必要です。このまま声出しをしなくて、本当に大丈夫なんだろうかと云う危機感も、前田さんの記事を読んで抱いてしまいました。昼間のライブとかだったら、時間の都合がつけば、見に行くつもりですが、マスク着用だと、声が出せません。

 かつての同僚が、マスク着用で授業を実施するのは、本当に辛いと、メールに書いていました。マスクをしていると、対面授業のレベルは、どうしたった下がってしまいます。熱中症の危険性ありと云うことで、マスクなしの喋りを、早く許可して欲しいと云うのが本音です。マスクをしてると、やり切った感がないんです。やり切った感がないと云うことにも、人間は、いつしか慣れてしまいます。まあ、さすがにそうはなりたくないです。 

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