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ライク・ア・ヘル・エッジ・ロード(6)

 セントラルパークを出ると、アドは自分のスカートがドロドロになってしまっているのに気がついた。
 着替えたい。車で行くつもりだったから、このメイド服は恐らく目立つ。
 少年は人通りの多さと摩天楼の高さに圧倒されたのか、目をきらきらさせながらあちこちに視線を向けている。
 とにかく時間がない。

「キョロキョロすんなよ。ついてこい」

 前向きに考えるべきだ。メイドが子供の手を引いて移動する。それ自体は何らおかしくないはずだ。
 死ぬほど嫌だが──本当に嫌だが、手段は選んでいられない。
 ええい、ままよ──。
 アドは少年の手を握った。ぞわ、と肌が粟立ったが、仕事だから仕方ないのだ、と納得させた。

「離れんなよ」

「う!」

 少年は手を握って貰ったのが嬉しかったのか、ブランコを揺らすように手を振った。
 思わず舌打ちしそうになるが、道行くビジネスマンが眉を潜めてこちらを見ているのが見え──アドは筋肉で笑顔を無理やり作った。

「地下鉄に乗る。おとなしくしてろよ」

 切符を買うのには多少手間取った──何年も地下鉄なんて乗ってないのだ──が、ぬるい風が行き交うホームにたどり着いてしまえば、こちらのものだった。
 銀色に光る車体が滑り込んでくるのに、少年はひどく興奮したようだった。嬉しそうにその場でジャンプしていたが、アドは肩を叩いて──誤解のないように言っておけば、ほんの軽くだ──それをたしなめた。ぶん殴れば目立つからだ。
 車両の中はエアコンが効いていて、満員まではいかないが、それなりに人が乗っていた。ビジネスに急ぐ男が電話をかけている。若い黒人の男が、女と一緒にスマホで動画を見ている。その奥では、分厚い本を読んでいる女。
 シスターの姿はない。とにかく、中央区から出て、車を調達すればこちらのものだ。スマホでマップを呼び出し、地理感を叩き込む。もうこれ以上、こんな仕事で命を張っていられない。
 アドはそんなことを考えながら、路線図を見ようと視線を上に向けた。
 車両の人々がいなくなっているのに気づくには、十分すぎる時間だった。
 何が起こった?
 アドはブローニングを腰のベルトから抜けるように手を添えた。
 その瞬間、となりの車両の扉を開ける者が現れた。

「よォよォ……メイドさん。子連れでどこいくんだァ?」

 どこか小馬鹿にしたような、軽薄な物言いだった。その実、首からロザリオをさげ、カソックコートを着ているところから見て神職にいる人間だろうということは分かる。
 その顔は恐ろしいほど美しく作られていた。美系というやつだろう。栗色のウェーブがかった髪を緩く後ろで縛った色男である。

「誰? あんた」

「それ聞く前に、こっちも聞かせてくれよ。……そっちの坊やをこっちに渡してもらえねェか? 悪いようにはしねえ」

「マイナス二十点」

「あ?」

 男は虚を突かれたようにその場で立ち止まった。

「交渉の基本を知らないの? 名乗れよ。それともあんた名無しか? 」

「余裕だねェ……ま、いいや。俺は神父のイオ。あんたみたいないい女を相手にするときは、もっとマシな手順を踏むんだがよォ。悪いがこっちもあんまり手段選んでらんねェんだ。時間がねェ。で、メイドさん。あんた、どうする? ガキを渡すか? それとも──」

「お断りだ、くそ野郎」

 ブローニングを抜いて、神父の眉間にごり、と押し付ける。人払いが済んでるなら話が早い。邪魔者は全部バラしてやれば良い。

「う……」

 少年がこわばった顔でこちらを見る。神父は違った。手をまるで舞台役者のように大きく広げ、笑みさえ見せている。

「俺をバラすのは勝手だ。だがあんたにとってはよォ……自殺行為だぜ」

「何が言いたい」

「あんたは詰んでるんだよ。俺は背中を押しに来たってわけさァ」

 地下鉄のモーター音だけが、不気味に響いている。次の駅まであと何分かかるのか──もしかしたら増援だって乗ってくるかもしれない。
 予想がつかない。死ぬかもしれない。インクを水に落としたように不安だけが広がっていく。

「話を聞くなら態度ってもんがあるだろォ?」

 神父の言葉に従うように、アドはブローニングを下ろした。奥歯がギリギリ鳴ったような気がした。

「さてと──じゃ、取引といこうかァ? 俺にとって一番都合がいいのは、その坊やをこっちに寄越すことだが──それは納得が行かねえってツラしてるな。プランBを教えてやる──つまりは、あんたが持ってる画像データが欲しい」

「画像データ?」

 思い通りに運んだのが嬉しかったのか、神父はニヤリと笑った。

「そうだ。その坊やと一緒にあんたが手に入れた画像データ。言っとくが、誤魔化しても無駄だ。データのサイズと拡張子の種類までこっちにゃ割れてる。あんたの行動はだいたい筒抜けなんだよ」

 アドの中で、不安が渦巻く。神父の言うとおり、データを渡すのは簡単だ。しかし、その後はどうなる。
 チーズバーガーも、組織も──当然その裏切りに気づくはずだ。そうなれば、アドはこれまで自分がそうしてきたように、人間の姿をとどめない肉塊になるまで拷問されることは想像に固くない。裏切りの対価は必ず支払うことになる。
 スカートの下の両足がかすかに震えだす。アドは太ももを叩いてそれをごまかした。
 ビビっているのがバレたら、この稼業は負けだ。

「で、その画像データとやらを渡したら、わたしにどんなメリットが?」

「あれ見ろ」

 神父は親指で、となりの車両との境目──ガラス戸を指した。その巨躯を忘れようはずがない。
 シスターがそこにはいた。着ている修道服の脇腹には血が滲んでいる。足元──ローブの裾の部分には銃痕が痛々しく残り、焦げた血がこびり付いている。
 まだ生きていたのだ。あれから一時間も立っていないのに、こうやって追ってこれるのか。

「シスター・アリエッタは己の信仰に忠実だ。──逆に言えば、己の信仰以外何も信じない。あんたのことは、教会の教えに背き、悪しき『教え』をばら撒く邪教徒だと思ってる。あながち間違っちゃいねェとは思うけどな──ともかく、あんたがこの取引を蹴るなら、俺は神父として彼女に邪教を滅ぼすよう諭さなきゃならねェ。言ってる意味は分かるよな?」

 神父はゆっくりと後ろに下がり、引き戸に手をかけた。

「俺が少しでもここを開ければ、アリエッタはあんたにむかって飛びかかってくぜェ。この狭い空間の中で無事でいられるとは思わねェ。悪いことは言わねェから、取引に応じとくべきだぜ」

 うっとおしいくらい美しい笑顔で、神父のイオは『説教』を終えた。
 毒づいてこの場を切り抜けられるなら、喉が枯れるまでそうしてやりたい気分だった。
 だが泣き言を言ってもどうにもならない。
 わたしはストライカーだ。ナメられるくらいなら、死を選ぶ。できるならば、他人の死を。
 ブローニングを抜いたのと、引き戸が開いてシスターが入り込んで来たのは、ほぼ同時だった。神父の目の前に立ったシスターは、彼の壁にならんと、アドの撃ち込んだ銃弾を体で受け止める!
 銃声の中に、金属音が混じっているのに気づいたのは、気のせいではなかった。
 顔をカバーしている腕に弾痕が残ったが──そこから血が出ない。それどころか、9ミリ弾がその場にひしゃげて転がっている。
 破れた袖の間から、鉄の色が覗いている。まるで西洋鎧のブレーサーのように、腕を保護しているのだ。
 装甲と化した腕の先──堅く固めた拳には、十字架型のカバーがついたブラスナックル──ふっと彼女の巨体が視界から消える。姿勢を低くして、アドの視界から一瞬だけ消えたのだ。次の瞬間、十字架が目の前に現れる。アドはなんとかそれを体をひねって回避。車両の強化ガラスが十字架型の傷を残したかと思うと、直後ダメージに耐えきれず爆散!
 アドは少年に覆いかぶさり、ガラスの雨から彼を守った。気持ちが悪い、などと言っていられない。コイツらは、わたしがもっている画像データがあればいいと言った。この少年は必要ないということは、彼の命もそうだということだ。
 わたしと同じく、生きて返す気がないに違いない。

「殺す気なんだろ、シスターさんよぉ」

 ブローニングの銃口が、ボクシングの構えを取るシスターを捉える。何発で死ぬのかわからない。アドは素早く、次で最後であることを願いながら──マガジンを交換した。

「決まっています。邪教は滅ぼさねばなりません。聖なる拳を受けて滅し──悔い改めよ、邪教徒」

 アドは笑っていた。何を言っても無駄じゃないか。ならば、こちらだってやりようがある。

「代わりにてめえを滅ぼしてやるよ。死に損ないがよぉ!」


続く