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渡米22日目 恐れていたことが発覚!?

朝9時前に妻と家を出て、クーリッジコーナーにあるEmergency Care(緊急治療クリニック)に向かった。渡米前後から妻が体調を崩していて咳が続いており、咳をするたびに血の味がするというので、その原因を探るためだ。

車がないため歩くしかなく、30−40分ほどかかってブルックラインの中心部にあるMass General Brigham Urgent Careに辿り着いた。アメリカではかかりつけ医のところでは、予約をとって診察を受けることしかできず、緊急の場合にはUrgent Careに行くしかない。そのことがわかり、ここまで歩いてやってきたのだが、すでにクリニックの入り口の外で人が待っているほど長蛇の列ができていた。

「今日の受付はここで終了します!」

ようやく建物の中に入ると、受付のおばさんがやってきて僕たちを含めて入り口にいる患者に伝えた。

「え、まだ受付時間、始まったばかりですよね。それに車もなくて、チェスナットプレイスからはるばる歩いてやってきたんですよ」

ドクターが二人しかいなくて、キャパオーバーだという。

「僕たちは一体どうすれば・・・」
「ボストン市内の病院に行ってください。それか2時間すれば空きが出るかもしれません」

ここで2時間待って、空きが出ることはあまり期待できそうにない。かといって、他の病院も同じような状況ではないか。提示されたボストン市内の病院に電話をしてみると現時点ではまだ新規の患者を受け付けているという。調べてみるとエマーソン大学のすぐ近くの病院で地下鉄に乗れば30分ぐらいで行けそうだ。僕たちはクーリッジコーナーからトラムに乗り、ボストン市内に移動することにした。

とても天気のいい一日。トラムはブルックライン地区では地上を走っているため、窓の外には19世紀の趣を残したレトロな建築物が見える。今日は午前中、何の締め切りもアポもないし、妻と二人で久しぶりにちょっとした観光をしていると思えば悪いものでもない。

11時過ぎに同じくMass General Brigham Urgent Careのボストン市内の支店のようなものにあたるクリニックに辿り着いた。受付を済ませたものの、やはり順番待ちの患者が多く全く呼ばれる気配がない。

「熱があって、自宅でテストをしたらCovidポジティブ(コロナ陽性)でした」
「え、ポジティブですか?」
「ええ」

目の前の受付からは、そんなやりとりが聞こえてくる。受付の黒人女性も一瞬驚いたような声を発するが、透明のパーティションでしっかり区切られたスペースでマスクをつけて仕事をしているので、その後は落ち着いた対応だった。なんと行ってもここは他に受け入れ先がない患者がやってくる駆け込み寺のような場所だ。よくあることなのだろう。

一時間ほどして妻が呼ばれた。僕も同席して、看護師と重わる女性に、妻の症状を説明する。血圧測定などに加えて、コロナの可能性もあるのでということで鼻に綿棒ようなものを差し込んで手際よく検査が行われた。20分ほどして医師がやってきた。

「検査の結果、ポジティブでした」
「ポジティブってつまりコロナですか」
「ええ、ただもう咳が出始めてから数週間経っているので、感染力はほとんどありません。ただ血の味がある咳が出るというのは、ネモニアの可能性もあるので、レントゲンを取りましょう」
「ね、ネモニア?」
「はい、ネモニアです」
「先生、すみません。ちょっと病名のスペルを教えてもらってもいいですか?」

若い女性医師に尋ねるとネモニアとは、Pneumoniaだと教えてくれた。調べると「肺炎」だった。

「他に自覚症状はありますか?」
「少し気管支というか気道が狭くなっているような気がします」
「咳をするたびに鉄分の混ざったような味がするというのは、肺の奥で炎症が広がっている可能性があります。この可能性を見極めるために、私にはX-Rays(レントゲン検査)が必要です」

そして、このクリニックにはレントゲンがないので、また僕たちが最初に訪れたクーリッジコーナーのクリニックに戻って検査を受けてくださいという。すでに満員でこっちに回されたことを伝えると、今回はレントゲン検査を受けるだけだから大丈夫だという。その検査結果が彼女の元に送られてくる仕組みになっていて、その後夕方、医師が直接電話をくれるとのことだ。

「あなたの名前は?」
「ホープよ」
「ホープって、Hope (希望)?」
「ええ」

早口ではあるが、説明を求めるしっかり話をしてくれる白人女性の医師。とても信頼感があって、彼女の名前も何だか「名は体を表す」感じがしてしっくりきた。

検査が終わるとすでに13時を過ぎていた。朝からまだ子ども達を家に残したままだ。大学の近くで最近見つけたビックサイズの大きなピザ屋さんで二人昼食を済ませた後で、僕は子ども達のためにピザを抱えて帰宅し、妻は再びクーリッジコーナーのクリニックにレントゲンをとりに向かうことにした。

「ここに来たことを後悔している」

昨日、妻はそう口にした。慣れない生活の不便さに加えて、体調の不具合も加わりストレスがピークに達していたのだと思う。クリニックに来てその原因もわかり、また二人で解決に向けて動いたことで何かが少し前進したのを感じていた。今、フルブライトからの奨学金はあるものの無収入だし、物価は高いし、円は安いし、トリプル苦のような状態で生活が苦しいのは仕方がない。でもそれで緊縮財政を続けていろんなことを我慢して、家族が全く楽しい思い出もなく帰国することになったとしたら、一体何のためにわざわざ家族を連れてきたのだろう。

「それで早めにお金がなくなったら、私たちだけでも先に帰国すればいいと思う」

もちろん家族で一緒に過ごせるのが一番のベストな選択だが、それを押し通すために必要以上にお金のことに過敏になってこちらでの生活を充実したものにできないとしたら、本末転倒だろう。ボストン近郊ならクルマなしでも生活できるのではと考えていたが、やっぱりあったほうがいいねと妻と話していたら、段々クルマがある生活にふたりでワクワクしてきた。

帰宅途中のトラムでリンカーン小中学校からメールが届いていることに気づいた。「ぜひ明日学校見学に訪問してほしい」との招待だった。

「やった!」

ついにこれで子ども達を学校に通わせることができる。だが、長男の予防接種の記録が更新されていないので、その接種が終わるまでは受け入れられないとのメールがスクールナースから届いてもいた。

やれやれ、一難去ってまた一難。神様はすぐにゴールを決めさせてはくれない。何度もゴール前で溢れたボールを粘り強く体全身で押し込むような日々が続く。

追加の摂取記録を写真に撮りメールしたところ、夕方前に全ての必要な記録が揃ったことを伝えるメールが届いた。そして明日、「ぜひお子さん達も一緒に明日学校に来てください」とのメールも別の先生から届いていた。さらに帰宅した妻のもとに、女医のホープ先生から電話があったのは6時過ぎだった。

「レントゲンの結果、肺炎の心配はありません。まだ12週間、しつこい咳が続くかもしれませんが、次第に良くなります。万が一、3週間経っても状況が変わらなければ、さらに検査をすることもできますので、またクリニックに来てください」
「妻が肺炎じゃなくて本当によかった。ホープ先生、あなたはまさに私たちの希望です」

そう冗談まじりに伝えると彼女は電話の向こうで笑った。よかった。本当によかった。空に広がった薄黒い雲がスゆっくりすーっと晴れ渡って行くような感覚がして、僕は心からほっとした。

渡米22日目DAY22 20230913水2D+0645-0934


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