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『14日目』7月29日の日記

寝起きだ。と言っても12時を過ぎている。所謂昼夜逆転現状だ。久々に起きている。昼間は鬱になりやすいから寝過ごして、マシな夜を長く起きていたい。それこそが抑うつを加速させるの知っているのに。まったく、もう7年にもなるのに治る気配が一向にしない。「あ、ダメだ」と思うと薬を飲んでブランケットに包まり、耳栓をしないといけない。世界の全てが怖いのだ。
そう、思い出したら。耳栓だ。loopというとても快適な耳栓を買ったのだが、多分これが快適すぎて昼夜逆転の助長をしている。本当に静かで自分の意思なしでは取れにくい構造をしているので、とても便利だ。今は売り切れ中だが、睡眠時ではなく日常で使えるものもあるらしいからいつか買いたい。
閑話休題。私はちょっとした聴覚過敏だ。雨の音も、鳥の声も、蝉の鳴き声も、鈴の音も、全て鬱陶しく感じる。すべて部屋の中に篭っている私を責め立てているように聞こえるからだ。静かでいたいのだ。だからヘッドホンを付けて、また自分の世界に引きこもる。外に出る時は必ずイヤホンをして好きな音楽を聴いている。暑い時は嫌だが、その時間は好きでただ目的もなく歩いたりしたくなる。急に不安に駆られたしゃがみ込みたくなったり、この前はヤバめの熱中症になって意地で自己解決したりとトラブルはあるが、世界が怖いのではなくて、私が怖がりなだけなことは分かっている。世界は美しいものだ。私が適応できないだけで。
高校時代、友人に「生まれる時代を間違えたようだ」とこぼした事がある。そのときはうつは殆どないほど楽しい、まさに青春だったのに、希死念慮はもう11年、当時は3年ほどの付き合いだったから、本当につい、だ。人斬りで、飢餓で、未知の病で、苦しくても仕方ないで流さ切り捨てられ個人なんて忘れられるほど死が近かった過去の時代。自我も理性も一等強くて死にきれない私にはとても魅力的だったのだが、他人からしたらそうではないだろう、そう思ったときには遅かった。しかし、予想外の言葉が返ってきた。
「本当にね」。彼女は死にたいわけじゃない、生きたい人間な筈なのに、息苦しさは感じているんだ、と何かが許されたような気がした。最悪最低限の勝手な同族意識だとは思うが、私はそれがとても嬉しかった。仕える誰かのために、理想を掲げる誰かの為の死になれたら幸福なのに。それは、思ってもいいんだな、と、勝手に嬉しくなって、今でも覚えている。相手からすれば気持ち悪いし、そんなこと、覚えていないのだろうが、私にとっては少しだけ息がしやすくなった思い出だ。ちなみに伝えたら覚えていなかったので、本当に私だけが勝手に感じている恩義だ。一生忘れてやらないが。

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