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『1日目』7月14日の日記

廣井きくりの真似をして黒いマニキュアで爪を隠し、夜にぼっち・ざ・ろっく! を観に行った。
逆張りの人間はいつだって流行りに乗ることをダサいと考えている、一番ダサいやつだ。
見るきっかけは音楽番組でアニメが取り上げられていたとき、最終回のぼっちちゃんのボトルネック奏法のところだった。流石の私のYouTubeで流れてきた公式切り抜きくらいは知ってるし、流行りというのは見なくても目に入る。だから、すごいんだろうなとしか思わなかったが、私はボーカルギターの子のソロに惹かれた。
それがきっかけである。
そこから暫くして、アニメを観た。タイムラグはオタクあるあるだ。
ぼっちちゃんは超絶テクを持つギターヒーローだ。一方で喜多ちゃんもボーカルギターで陽キャ、そして努力家。普段だったらテンプレ乙〜と思っていた。だが、彼女のギターソロは"繋ぎ"だったのだ。ギターを始めたばかりの子が、不安を見せずにそれをやった。本来ならソロは全てぼっちちゃんだろうに、彼女も彼女に出来るだけの練習をしていたんだと、分かって、尚更かっこいいと思った。
正直なところ、好きな人を近付きたくてギターを弾けると嘘をついて本番でバックれるというダメな方のアグレッシブさはあったが、それはそれとしてギター(まあ6弦ベースだったが)は買っていたし、練習もしていた。合わせの際に本当のことを言っていれば虹夏ちゃんも困りながらも許してくれたと思う。それでも、好きな人に見せるくらいには至らなかったんだろう。6弦ベースだし。
ぼざろにはスピンオフの「廣井きくりの深酒日記」というものがある。アル中の天才ベーシストのクズ話が8割を占めているんだが、アル中たる所以は現実逃避の行き着く先であり、「いつまで」である。有名ベーシストは27歳で死ぬという。カリスマ性があって、今も未来も見たくないが彼女を観たい人達は大勢いて、それでもインディーズで。おそらく、インディーズからも出られない。酒を飲まないとやっていけない、何をしでかすか分からない存在を抱えるようなデメリットを受け入れる会社は無いのだろう。今でもなあなあに生きることは出来てはいて、次の瞬間死んでいるかもしれない。今からでも酒をやめて大切な人と暮らせば、廣井きくりは生きられるかもしれない。でも、そんなベーシストとして死んだ廣井きくりを誰が観るんだ?
私はZeppという箱をVtuberがやるはじめの小さい箱だと思っていた。それがいかに残酷かをその日思い知った。

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