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なやむ。

この内容で文章を書こうとしたのは、実は2回目です。
1回目を執筆しようとした時、自分の言葉がどうも変に思えて、
あまりにも言っていることが支離滅裂で、伝えることをやめました。
でも、この内容で文章を書かないと、将来の自分の糧にならないと思い、
書くことにしました。

ただ優しくていいのか。

「優しいね」
たまに言われますが、納得いかない言葉の一つです。
なぜなら、芯のブレブレな心持ちのまま、人に尽くしてばかりでどうしても
うまいこと「利用されている」だけにしか思えないから。
確かに僕自身は自分のことを後回しにして、人に対して「何かをしたい」とか「声をかけたい」みたいな気持ちが自分の気持ちを追い越してしまうことがよくあります。
自分を客観的に見た時、人に対して「受容する」とか「奉仕する」とかの気持ちが強く見えたら、それは確かに「やさしいひと」にしかならないんだと思います。
人に尽くすこととか、人を受け入れることをするだけで「優しい」って言われていいのか。
いまだに僕はそれが嫌だし、じゃあどうしたいのって言われても言葉にできないのがもどかしいです。
損得勘定にとらわれない形で人に何かをしたい。でも人に”利用される”ことによって得た「優しい」という見え方だけはされたくない。
エゴの塊みたいな感情かもしれませんが、僕自身これが嫌で仕方ありません。

自己肯定感と他者の”しあわせ”。

僕は、何度かこのnoteにも記してきましたが、自己肯定感が限りなく低いです。
改善したくて、アドバイスを聞いても「そんなことできたら誰も苦労しないじゃん」みたいなことが多くありました。
でも、一つ、僕の幸せに直結していることがあります。
それは、「他の人が幸せそうにしていて、それを分けてもらえた時」。

ここで一つ、エピソードを紹介させてください。
僕のシェアメイト、Mくんの話です。
彼の趣味は旅をすること。一人で冒険することにも喜びを感じることができる人です。
そして、彼は僕と同じく島根県海士町の「大人の島留学」という制度を利用してこの島にいるわけですが、”心の底から好きなこと”を仕事にできています。
それは、地域の歴史を後世に伝える教育を、この海士町に広めること。
旅好きの彼にとって、その土地に眠る歴史を発信することは得意だし、好きなことなんだと思います。
そんな彼に、何の深い理由もなくこんなことを聞くことがあります。
「今、しあわせ?」
一見、カルトの勧誘みたいで変な質問ですが
彼に聞くたびに、「うん!!!幸せ😀(ほんとにこんな顔)」って答えてくれます。
自己肯定感が低い僕にとって、すごく生きる指標になる言葉でした。
元気よく”幸せ”って答えられることって本当に素敵だと思うし、元気をもらえます。
なんだか、人の幸せのお裾分けってなんぼあってもいいですね。笑

自分の能力が憎い。

この島に来て、もうすぐ2ヶ月が経ちます。
正直、馴染めた感はまだないです。
でもその一方で、島の人は少しだけ、僕らがいる環境になれたのかなって思ったりします。

それは、僕が今働いている事業所にお客様として来ていただいた同じ地区に住む方に声をかけられた時です。
「おう!!元気にやってるか!!!」
愛想笑いしかできませんでした。
「〇〇(自分の住む地区)に住んどるやろ!」
それでも愛想笑いしかできませんでした。
僕の記憶力がないせいで。
小さいまちで、人口も少なく、でも顔を合わせる機会は何度もあったはずなのに。
失礼だった。無礼だった。
何よりそれへの答えが「そうでしたっけ」って言ってしまったこと。
すごく嫌でした。

相手は自分を覚えてくれているのに、自分が相手を忘れている。
記憶力が乏しいのにやっていけるのか。

幸先悪い気がしますが、
何とか前向きにやっていきたいです。


取り止めもなく書きましたが
結論、なんとか生きています。

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