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あらためて「友達」について考えてみる。

この頃、あまりにコミュニティに馴染めなさすぎて自己内省に当てる時間が多くなった気がします。
このnoteもそのひとつです。
僕にとって言語化のリハビリになっている側面もあります。

そんな中で、改めて”友達”について考えた瞬間がありました。
そもそも僕は友達が少ない方です。
でも、今から話すようなことを考えてしまうから友達少ないのかなぁと思ったり。
それでも、僕はこの考えを大切にしたいし、守り抜きたいと思っています。

(これから書くことは、あくまでも友達同士の関係でのお話です。コミュニティマネジメントを学び、場づくりをしてきた人らしからぬ文章かもしれないですが、ご了承ください。)

アクセルとブレーキ

これは私がずっとずっとお世話になり、哲学的対話をずっと一緒にしていきたいと思えた唯一の大人の方から聞いたおはなしです。
ひととずっと付き合っていると、どうしても”パッションに押されたい、ハイテンションな時を共にしたい(アクセルを踏みたい、交感神経を優位にしたい)”時と、”一緒に深層心理を共感したい。深い対話を重ねることで共鳴しあい、その中で穏やかな心をたもちつづけたい(ブレーキを踏みたい、副交感神経を優位にしたい)”という大きく分けて2つの種類の瞬間があるそうです。
これって、当然人によってタイミングみたいなものがあると思うんです。

最近の僕は、心をちゃんと元気にしたい。でもこれはただ元気な人やハイテンションの人のそばにずっといることや一緒に行動することで元気を取り戻すのではないんです。深く対話ができる間柄のひととともに、対話し、呼吸のペースを合わせて共鳴することで初めて豊かな心になれる=元気になれる気がするんです。
要するに、前述した例えでいくとブレーキを踏みたいのかな、と。
今僕がほしい友達は、副交感神経を共に優位にできる友達かな、と思っています。
当然、交感神経を優位にしてくれる友達と一緒にいたい時だってあります。
ただ今だけは、ざわついて疲れ果てた心を穏やかにしたい。

わかる人にはわかって欲しいですが、ざっくり言うとこんな感じです。

やっぱり2人が心地いい。

僕って、3人以上の中にいると居心地が良くないな、と思うことが多々あります。
3人以上になると、会話のテンポに乗れなかったり、言いたいことが言えずモヤモヤする。
(そんなテンポに乗れてない僕に話を振ってくれる人がたまにいるんですよね。本当に神です。いつもありがとうございます。)
上辺だけで楽しんでいる気になって、結局相手のことを深く知ることができず、後々後悔も残る。それが大人数になると心も疲れてもっといやになる。

だから、2人がちょうどいい。そして心地がいい。
呼吸を整えて、互いの心の動きを感じ取りながら話にのめり込める。
深くお互いを知れるし、素直に「好き」とか「イヤかも」を伝えられる。

みんなでワイワイするのも時にはいいかもしれないけれど、それはちゃんと記憶に残らず、一過性のものになってしまったりする。

会話のテンポのリズム感覚がない僕にとっては2人がやっぱりちょうどいいんですよね。

呼吸を整えて、穏やかな時間の流れを2人でシェアしたいものです。

だらだら書きましたが、プライベートで友達と遊ぶ・過ごすときに、僕が大切にしている感覚を言葉にしてみました。
1年後の感覚が楽しみだな〜。ワクワクします。


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