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061 胸が張り裂ける程の

膀胱炎になってもいいからこの人の隣を今は離れたくない
柴田瞳

今朝、家を出る際に、ふと手に取った穂村弘さんのエッセイ「もしもし、運命の人ですか。」で紹介されていた短歌である。

膀胱炎というリアルな響きでありながら、それでいて、なんとも愛らしい女性の気持ちが伝わってくるいい短歌だなと、Instagramで紹介したところ、間髪入れず呑み友達である女性からメッセージが届いた。

そこには「たぶんこの人はガチ膀胱炎になってないから言えるし、実際になると、その隣の人に影響を及ぼす」という、なんとも現実的なメッセージが書いてあった。

きっと彼女は、こんなにも愛らしい乙女心を失う程の、苦しい膀胱炎を体験したのだろう。

膀胱炎を患う彼女に寄り添う気持ちで、短歌もじって返信をした。

膀胱炎になってもいいから居たいのと言ってる彼女を振りほどき

「君の気持ちは伝わっているから、トイレに行ってきなよ」という、優しさに溢れた返答をしたつもりが、返ってきたのは「柴田瞳さんが実際に膀胱炎になって苦労した」という衝撃のスクリーンショットと「やっぱりそうでしたわ(爆笑)膀胱炎を笑うものは膀胱炎に泣くんすよ」という強烈なメッセージだった。

時折、私たちのまわりで繰り広げられる会話の中には、大袈裟すぎる比喩が登場する。

「胸が張り裂ける程の恋」であったり「目の中に入れても痛くない孫」であったりと。

想像しただけでも恐怖が伝わる情景なのに、多くの人がむしろ積極的にこういった比喩を使う。

毎夜毎夜「今日は吐くまで呑むぞ!」と表明する友人がいるが、実際に吐くまで呑まれるなら一緒にいたくない訳で。

みんな大袈裟な表現を通して、自分の心の大きさを表明したいのだろう。

しかし、今やりとりをしている膀胱炎女には、その気持ちを推し量るだけの余裕はないようだ。

優しさの溢れる僕は、彼女の立場にたって、改めてアンサー短歌を書いた。

ドバッと漏らしていいからこの人の隣を今は離れたくない

本当にごめんなさい柴田さん。

一拍間を置いて、彼女からは返答があった。

隣の人、それでも微笑んでくれたらいいな

なんとも健気な言葉。

きっと苦労してきたのだろう。

ただね、本当にごめんなさい。

隣で漏らされたら間違いなく引くし、一生ネタにすると思うんだ。

どれだけ一緒にいたくても、漏らす前にトイレだけにはちゃんと行こうぜ。

それがきっと「愛」なんだ。


***

-もの-

Iga art link /お香立て 

陶芸家の宮本 俊さんという方が焼いた伊賀焼のお香立て。
我が家では、トイレの消臭にはケミカルな消臭スプレーではなく、無印のお香を使っているんだけど、それに合うお香立てがなかなか見つからなくて長らくお皿を代用していた。先日、たまたま友人であり尊敬するディレクターの児島 永作さんが関わる伊賀イベントでこのお香立てと出会っって一目惚れ。それ以来、白くて丸いフォルムは我が家の暗いトイレを明るくしてくれてるだよね。

トイレって音や匂いや、人の恥ずかしさが全て詰まったような場所だけど、そこを共有できるだけの愛ってほんまに素敵やん。一人暮らしが長くてそのあたりの恥ずかしさは大きくなっている気がする。

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