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若いうちに苦労したほうが良いとか言うけど、そんなことないと思う。

つい最近、なんとなく自分のTwitterアカウントを遡って過去ツイートを見ていたら、

マジか自分、こんな働いていたのか。。。

とびっくりしたので記録しておこうと思います。


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他にもエクストリーム出社とか言って、6時台の電車に乗り7時出社、終電ダッシュを週2回くらいしてて、なんなら終電間に合わんかったとかも普通にあった。

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ねぇ本当いつ寝てるの?この頃のわたし???



細かくどんな仕事内容だったか、実は思い出せないことの方が多い。

ただとにかく、仕事のやり方がわからなかったなりに手探りで一生懸命だったと言うことは思い出せる。

上司も先輩も頼りにできなくて、他の部署の人たちに助けを乞うてたし、大変だね、かわいそうだねって憐憫の目を向けられていたこともある。

たくさん助けてくれた他部署の人たちは、わたしの若手時代を知ってるので、8年目とかになっても心強い味方になってくれている。


職種は営業です。

だけどわたしは売上目標を気にした事がなかった。

そんな余裕は1mmもなかった。

半期に2回くらい社内レビューしなきゃいけなくて、その時だけ考えたかなぁ。

2年目の私に言われた年間売上目標は7億。

同期が1〜3億と言われてる中、7億と聞いてクラクラした。倍以上やん。

しかし10年赤字続きだった案件を、2年目の私が担当して初めて年間黒字にもした。

利益目標達成率は150%超えてた記憶。(すごい)(今考えたらすごい)


4年目の4月には売上目標が18億になった。

遂に部内で1番大きい数字を持つことになってしまった。うちの会社じゃ課長並みの数字持たされる女営業になってしまっていた。


地味に毎年数字は達成できてたみたいなので、本当よく頑張ってたと思う。


何かしら厄介を抱えている案件ばかりで、役職無しのわたしが直接役員のところ行って意見を求めたことも、よくあった。頻繁にあった。

(普通は上司が行くところだからなぁと思って、役員のところ行ってくださいって上申したら、その件俺わかんないから話しといてと一蹴されたこともあった。今でも解せぬ。)

(おかげで体調崩したら役員2人から直接LINEで大丈夫か?って連絡もらえるくらいには仲良くなった。)


しかし毎年ほとんど評価はしてもらえてなくて、給料は上がらなかった。なんなら目標達成してない同期のほうが評価されてて意味がわからなかった。

(直談判したら、わたしの課にいた先輩を昇格させるために私の評価点が何度か下がったらしい。これは怒ったほうが良かった。かわいそうすぎるだろわたし。。。)



この経験が自分に何をもたらしたかと言うと、

何もない。



マジで何もない。

ただ社畜武勇伝ができあがっただけでした。


強いて言うのであれば、「売る」営業ではなく、

「聞く」「調整する」営業だったので、問題解決の提案力はついたかな。


しっかり実績は残したけど、数字や時間を意識して仕事してなかったから、転職するタイミングを逃してしまった。


わたしが精神すり減らしている間に、地元の友達はほとんどみんな結婚していた。

人一倍結婚願望はあるのに、なんでかなぁ。


2年目の12月に友達にTwitterで指摘されて、はっきりおかしいと自覚したのに、まだこの会社を辞めてない。

本当は入社2週目で騙されたと思ってたから、なんで辞めてないのか本当に不思議だけど、最初のうちに働きすぎて洗脳されてしまってたんだろうなと思う。

5年目でようやく名古屋に転勤になって、仕事がかなり楽になったのに、給料はなぜか上がって辞めづらくなったのもある。


若いうちに苦労して得たものは、

本当に

何もない。


我慢は自分が苦しくなるだけ。

自分が自分じゃなくなると思ったら、その環境は変えて良い。

我慢強い自分の性格が仇となって苦しい思いばかりだった。


今は感染症の影響でどうなるかわからないから、まだこの会社に所属しているけど、

32歳までに、絶対に、私はこの会社を辞める。


そんな決意表明でした。


おわり。



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