自己肯定感の穴を埋める自己向定感のススメ
自己向定感・・・?
あれ?誤字?と思われた方・・・。
誤字じゃないですよ。
ちゃんと意図があってこの漢字にしています。
今日はなんぞ?この「自己向定感」とは?という事と
なぜこの「自己向定感」が重要なのかという話をしたいと思います。
【まず自己肯定感って何よ?】
その前に自己肯定感についてですが、この言葉って、「ありのままの自分を肯定する感覚」っていう風に言われています。今はもうこの言葉も市民権を得て、色々なところで耳にする機会も増えていますよね。
親にしろ、子どもにしろ、自分に中々自信が持てない時代。
ですが、何も今に限った事ではないのではないかもしれません。
どの時代でも・・・
✅環境に恵まれない
✅慣れない事で失敗続き
✅親から抑圧されて育ってきた
✅今までうまく行った試しがない
✅理屈でわかっていても自信が持てない
✅いざという時に不安になる自分が嫌になる
✅やりたいことがあってもできない。諦めなければならない
等のような葛藤の中で生きてきた人も沢山います。
今の時代は自己肯定感を持ちやすい時代なのでしょうかね?
その点をちょっと考えてみました。
少なくとも、過去の日本にあった、
✅古い慣習
✅身分制度
✅極度の貧困
✅理不尽な差別
✅病気や命の危険
等は確実に減ってきてはいます。
比較するものではないですが、過去よりかは自己肯定感が得られ易いのでは・・・?と感じてしまう事がありますね。
特に私も、子育て支援系の事業に携わっていると、子どもの自己肯定感を高める必要性は重々理解しているけど、なんで今の時代は自由が容認され、自己肯定感が低いから高めなきゃ!っていう状況になってるのか?
理由は色々あるけれど、いろいろな角度で考察してみました。
【自己肯定感が下がる理由①】環境が良すぎるから下がっちゃう?
先ほど述べたように、「理不尽な環境」が減り、今の時代はこの「良い環境」がベースになっちゃった訳だから、現代人の「今が恵まれている」という感覚が薄れ、「今の基準と比べて・・」という事を考えやすいのかもしれません。「他者との比較」がこの自己肯定感を下げる理由になっているのやもしれませんね。比較をするからこそ、自分の足りない部分に目が行き勝ちになってしまい、そのGAPに不公平感ややるせない気持ちを持ってしまうのかもしれません。
【自己肯定感が下がる理由②】SNSのきらびやかな世界
昭和より前には存在し得なかったSNS(ソーシャルネットワークサービス)。このSNSの存在で他者のキラキラした世界を目の当たりにした人々は「こんな煌びやかな投稿をしている人に比べて私は・・・」と感じやすくなったのかも。
そりゃそうですよね。基本的にヒトの目を引くためには「きらびやかな面」を見せて視聴者の気を引かねばならない。それを目にした人は、「憧れ」を抱く一方で、その憧れに至れない自分に劣等感を感じてしまう。そりゃ「きらびやかな面」だけを見ていると私でも自己肯定感は下がりますよ💦
【自己肯定感が下がる理由③】強い光は強い「陰」を産み出す
先ほどの「煌びやかな世界」に暴露される機会が増えてきたらどうなるか?強い光をモロに浴びているわけですから、自分の後ろを振り返ったら色濃い陰が落ちてしまうのは当たり前。実際に北米でも話題になっていますが、グラマー美人(死後)のinstagramやTikToKなどを見てしまい、その姿に近づきたいという女性が増え、過度なダイエットのあまり「神経性やせ症」という心身症にまで発展するケースも増えているとの事。
さらには日本でも同じ現象が指摘されているわけなので、SNSがもたらした強烈な光は確実に自己肯定感に影響を及ぼしていると言えそう。さらに直近ではコロナ禍という抑制された環境下でこの影響は拡大していたという報告も多い。
というように、大人も子どもも、この世界を見続けると次第に自己肯定感は落ちていってしまうだろうなと感じるわけで・・・。
【自己肯定感が下がる理由④】一過性の自己肯定感の高まりは持続しにくい
色々と自己肯定感を上げるためのプログラムが存在していますよね。今の時代は昔に比べて恵まれているなぁと感じる点でもあります(むやみに比較するものではないですけど、昔はほぼこんなプログラム皆無だったのでは?)。
しかし自己肯定感を高めるプログラムを受けた人々にお話を聞くと、「理屈はわかるが持続は難しい」という意見を多く聞く。例えば、「資格試験を勉強していて、全く理解できない自分に嫌気が差した。自己肯定感を上げるプログラムを受けたが、初日はやる気が合ったけど数日経つと続かなくなった・・・」といったケースも実際にありました。
中には、自己肯定感を上げるプログラムは「一種のカンフル剤」とまでいう方も。カンフル剤という事は瞬間的な力は発揮されるが、その後効果が持続せずに減衰していってしまうことを指しています。
「話を聞いたときには、理屈もわかるし取り組む必要性はよくわかるが、日々現実に向き合わされると中々持続しない。」と述べている人も多くいらっしゃるようです。(私も同じパターンかもしれない💦)
確かに自己肯定感を上げる事は良いことで、物事に向き合う機会を創るためには非常に重要だと思います。だが、ヒトはそこまで強くはない。日々激務や育児の大変さに晒されると「理屈」を「感情」が上回り、また辛い気持ちの浮き沈みに苛まれることもある。
【結論】それならどーしろというのか?
そこで冒頭に述べていた「自己向定感」なんです。
この言葉を分解すると、「自己」「向き」「感覚」となります。
つまり自己に方向性を向けて、「自己受容」と「内省」をする。
ポジティブな自分もネガティブな自分も自分自身なんだ!という折り合いをつけることで自己肯定をするというもの。
自己肯定感を上げることは間違いなく重要なのですが、様々な環境やその人の個性や気質などによって持続するのはなかなか困難。常に自分を鼓舞し続けるように向き合ってしまうと息切れを起こしてしまう。
四苦八苦している自分も・・・、ネガティブに考えてしまう自分も・・・、
他者に嫉妬してしまう自分も・・・、人からの言葉に傷つく自分も・・・。
自己を織りなす色々な「自分の顔」であり「自分を構成する要素」。
自己肯定感ももともとの語源は「自分と向き合う」事が大前提であると述べています。なので、意識を自分に向けて、自分と語り合い、自分を許容することから初めて行くことが大事かもしれません。
決して「自己肯定感」の本来の意味を忘れることなく、
💡あの子に嫉妬する私も自分
💡人からの言葉に敏感になるのも自分
💡こんなことでしょげてるお茶目名私も自分
💡ついつい周りから出遅れてないか気にするのも自分
💡うっかり失敗するけれど、おっちょこちょいなのも自分
どれも自分を形作る重要な要素。これらをかき消すためにがむしゃらに肯定するのではなく、これらを受容してそういう私だから出来ることもある!
と考えていくことが重要なのかなぁと感じます。
「自己向定感」で自分の向きを定め、内省し受容してあげる。
「自己肯定感」で方向が定まったならありのままの自分でチャレンジ。
この両輪を重ね合わせる事で燃料切れにならない「永久機関」を作ろう!
これを子どものうちに備えることができたなら・・・、その子は社会に出ても心のしなやかさ(レジリエンス)に満ちた挑戦に挑めるでしょうね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?