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昭和の記憶

このところのテレビは何かと、

昭和VS平成!!
昭和世代とZ世代!!
懐かしの昭和史!!

みたいなタイトルで昭和モノを取り上げ、昭和生まれの自分としては
懐かしく楽しく見ています。

コンプライアンスやクレームなどで表現が委縮していった近年のテレビは物静かな印象でどこか笑いが物足りなかった。昭和はあり得ないことばかりでやっぱり面白い。

85年から日テレで放送していた「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の高田純次さん早朝バズーカーのコーナーが好きでしたね。
ゲストのタレントさんが泊まる部屋にマスターキーを使って勝手に忍び込み、男女構わずタレントの歯ブラシや下着でイタズラして最後は轟音のバズーカーを打ち放って叩き起こすという超過激コーナー。
中には裸で寝てる女性タレントもいて、掛け布団を捲った時に興奮した高田純次さんが「これは見せられません!!」小声でカメラに語り掛け、子供ながらにそのアホらしさは腹がよじれる程面白かった。

ザ・ドリフターズの「ドリフの大爆笑」はどのコントもやり過ぎてて面白かった。今の地上波では半分以上放送できないようなコントばかりだろう。
中でも好きなのは、いかりや長介さんと仲本工事さんの「ばか兄弟」のコントで、掛け算の九九の二の段の覚え方は今でも脳裏に焼き付いている。

2×1が2
2×2が4
2×3元気で姉さん死んだ
2×4があっちで東がこっち
2×5は本命で
2×6は大穴
2×7はかぶ(花札の9)で
2×8はぶっつり
2×9は良い肉上カルビ!

これを覚えて言えるようになった時は本当の九九より嬉しかった(笑)

オレたちひょうきん族も面白かったですよね。

主要キャラクター(たけしさんとさんまさん)
・タケちゃんマン
・鬼瓦権造
 片手を差し出し、「冗~談じゃないヨ」はみんなが真似してましたね。
・ブラックデビル
 みごとな攻撃だな、タケちゃんマン!クワッ、クワッ!が口癖で、
 死闘を 繰り広げる。タケちゃんマンとの対戦成績は0勝40敗。
・アミダばばあ
 あみだくじ、あみだくじ、引いて楽しいあみだくじ♪
 テーマ曲「アミダばばあの歌」はみんなが歌ってましたね。
・なんですかマン
・知っとるケ
 さんまが山姥のような格好で「こんなの知っとるケ?」と
 タケちゃんマンを挑発した怪人キャラ。
・パーデンネン
 頭が掌の形のパーハットをかぶり白塗り顔のさんまの当たりキャラ。
 「アホちゃいまんねん、ぱーでんねん」が決め言葉。

さんまさんにストーカする女の島田紳助さんとのシリーズも最高に笑いました。
「さんちゃん、寒い…」と言ってさんまさんの部屋に入ろうとする。


昭和64年が平成元年。昭和53年生まれの自分としては11歳までの11年間が昭和史になる。

昭和は面白いテレビ番組ばかりで、見たい番組が続くゴールデンタイムなんかは家族がテレビ前で釘付けになる。

そんな時に限って親が風呂に入れと言ってくる。

後でね!もう少ししたら入るから!と粘るうちに親の声色でもうこれ以上は無理と悟り、7時58分に見ていたテレビが終わると同時に8時から放送する見たいテレビの間の2分のCMの間にダッシュで風呂に入っていた。

そこで編み出したのが、7時58分の頃にはフルチンになり風呂に入るなり頭からお湯を数回掛けたら目を瞑って無心で頭と体を石鹸でごしごしする。洗う順番も決めてある。それはまるで少林寺木人拳の動きにも見えるくらい規律ある一切の無駄のない動き。そして滝修行のように頭から一気に洗い流す。一歩だけなら世界水準の速さで風呂場から出て、腕の動きが二重に見える速さで体を拭き、脱衣所からテレビのある居間までF1のモナコGPさながら箪笥や襖スレスレの最短ルートで駆けていく。いつも8時に間に合っていたが最速の時で1分30秒だった。
これはめちゃくちゃ早くて家族の誰も真似できなかった。
いや、真似しなかった。
たまに箪笥の角に足の小指がクラッシュして8時に間に合わないこともあった。。。

それだけ昭和のテレビは元気があって面白かった。


刑事ドラマでは刑事が麻薬を指で舐め「シャブだな」と分かったり、聞き込みで怪しい人間はボッコボコに痛めつけ、一般人も容赦なく暴力で片づけていた。


バラエティ番組も刑事ドラマもとにかく過激で理不尽が昭和スタイル。


これは昭和の兄弟あるあると思いますが、
昭和のテレビはリモコンなどは無く、チャンネルを変えたいときは画面横のダイヤルでガチャガチャ回してチャンネルを変えた。小学生に上がるとチャンネルがボタン式に変わり画期的だったが手動は変わらない。
序列が下の末っ子は親兄弟から命令されチャンネル回しに徹さなければならなかった。僕は四人兄弟の三番目といっても末っ子同然の双子だからどちらかがやらされた。
理不尽だよね(笑)

当時夜中の12時以降に放送する局は無く、砂嵐かピーと信号音が鳴りカラーバーの画面になっていた。
「ポルターガイスト」というホラー映画を見たことがありますか?
子供の頃に見たことがあり、砂嵐を見ていた女の子が画面に吸い込まれるシーンがあるのですがそれを見てから砂嵐の画面が超怖くなってしまった。
それからは、砂嵐の画面を見ては5秒から10秒数えてパッ!とチャンネルを変え「あぶね!ギリセーフ!」とほざいて度胸試しをしていました。

何がギリで何がセーフか分かりませんが、今思えば思い込みの強い一人遊びでしたね(笑)

そういえば、小学生の頃に流行ったやつで、椅子に一人座り四人が四方を囲み、浣腸の要領で両手を組み椅子の下に手を当て持ち上げるという遊び。
これも昭和でしょう。

そのままでは当然持ち上がらないため、座る人の頭上に手が重なるように両手を翳していき暫くすると掌に風を感じるようになります。そのタイミングで直ぐに椅子の下に手を添えてせーので持ち上げる。すると異常な軽さでかなりの高さまで持ち上がる現象。胴上げでもこんなに上がらないでしょう。
しかも軽い人で天井すれすれまで飛んだことがあった。指だけで。

未だに謎の現象。(理由を知ってる人がいたら教えてください!)


最後にお話しするのは、やっぱり昭和ものまねシリーズですね。

ただでさえ落ち着きがなく無駄にうるさいのに、ものまねが始まるともっとうるさい。
いつも母親が、近所迷惑だから!と叫んでました(笑)

レパートリーは結構あったと思います。

「おい!鬼太郎」
この一言に全力で挑みます。
ゲゲゲの鬼太郎の目玉のオヤジのものまねです。

アニメだとルパン三世のルパンもよくやりました。
「ルパーーンサーンシェーイ」
「フ――ジコちゃーーん」
この二言に全力で挑みます。

できるかなのゴン太くんも得意でしたね。
あまりにやり過ぎるとゲップが出ますから気を付けてくださいね。

片岡鶴太郎さんのマッチのものまねはすごく感化されました。
「マッッッッチで―――――――す!!!!」
毎日ものまねしてましたね。
朝学校行く前に「マッッ!」と言って、晩御飯が終わりお風呂から上がったくらいで「チでーーーーす!」という凄いタメをよくやってました。
もちろん家族からは「は?なに?」と相手にされませんでしたが。。。

歌手のものまねも色々やりましたが、
特にものまね頻度が高かったのは、

西城秀樹さん

やはり
傷だらけのローラですね。

ローラ!
始めは歌っていても途中から歌わずにただローラ!!と
エンドレスで叫ぶだけなので、ただの悪ふざけです笑

もう一人得意のものまねがありました。

安全地帯で恋の予感。

なぜ……なぜ……あ゛なぁぁ、たあ゛あ゛ぁ……

気持ち込めすぎて何言ってるのか分からなくなりますが、
家族から人気の高かったものまねです。


思い出すとどんどんあの頃が溢れてきます。
たまには昭和を振り返るのも良いですね。
またお話ししますね。


昭和を象徴する一つが、ナンセンス。

昭和の人間はそれぞれに一つはこだわりを持っていた。

人に理解してもらうことではなく、センスが良いとか悪いとかではなく

自分のオタク性であり、アイデンティティ。

何にも縛られない、自由な発想。自由のこだわり。自分らしさへの追及。

芸術も音楽もメディアも社会もナンセンスに溢れていた。

これが自分だ!と元気があった。

そんな力がこれから必要なんじゃないかなと、昭和を振り返りながら
感じたのでした。


昭和生まれの人。45歳。
好きな歌謡曲 来生たかおさん、小椋佳さん


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