見出し画像

母は謎めいた女性です

風鈴の音色が聞こえ夏本番になるころ一大イベントがある。

母の誕生日。

先日母の誕生日だった。
毎年食事に行くけどお互いの都合が合わないからLINEでお祝いのメッセージを送った。
月末は喜寿のお祝いに腹の限界まで美味しいものを食べさせてあげようと思う。

姉にお祝いしてもらったんだって。美人過ぎるので顔をぼかしました笑。
絵文字沢山77歳のLINE。


これを機に母の事を考えてみた。

77歳になった母は今でもバリバリに働いている。
勤め先は近所にあるがキツイ上り坂がある。それをもろともせず自転車のペダルをこいで30年余り。二つ隣駅の新宿で待ち合わせの時も自転車で来るほど体力が衰えていない逞しい母。
食べることも好きだし、酒豪でカラオケ好き。昨年飲んだ時はおいらが眠くなっている横でおいらより酒を飲みご機嫌に歌っていた。
母は歌手になっても良いくらいお世辞抜きに歌がうまく、歌うとハスキーボイスがさらに増しなんともいえない魅惑さが出る。高橋真梨子さん「ごめんね…」は称賛に値するが、中学生の頃に聞いたとき、歌詞の内容が浮気した女心の表現と分かった時どう聞いていいか分からず息子は動揺した笑
元気が取り柄で、自分が健康で元気なのは母譲りなのだと思う。
母は料理を作るのが好きでそこも母譲りかもしれない。


40代半になり自分だけなのか分からないけど、人生について考えることが多い。
過去を振り返り反省を教訓として心掛ける日々。
体の事。
50歳に向けて。
その先に向けて。
日々を大切にしているか。
可能性を丁寧に育てているか。
などなど。

母にも45歳はあったわけで、どんなことをしていたのだろうと想像する。
自分の事を話したがらないから本人に聞いても教えてくれないだろうし、改めて聞くのも恥ずかしいかな。
32年前か……

おいらの32年前となると、小学六年生の12歳。
当時の母は身長165cmで体重が85キロぐらいあった。
おいらは落ち着きがなく悪ふざけで調子に乗ってると、大人しくしろ!と一喝して母はその巨体でお相撲さんのようなぶちかましをし、余裕で彼方に吹っ飛びたんこぶを作って大人しくなる。その繰り返し。
ダンプカーが突っ込んでくるスリルがあった。親子稽古が懐かしい笑。

この頃の母は、人生の事など考える暇もなかっただろうし、我慢に我慢を重ね我武者羅に生きた時期なのだろうと思う。

塗装屋で独立していた父は4人ほどの弟子がいた。多い時は7人くらいいたかもしれない。一軒家も買っているからもっと仕事に精を出す、バブルが弾けたのはそんな時だった。当時10歳だった。
仕事が激減し弟子の給料も払えなくなったのだろう、父は会社を畳んだ。
会社の一室として借りていた家の隣の何とか荘の6畳一間の室内で肩を落とす父を励まそうと傍にいると、初めて聞く力ない声で「お父さん会社を畳むんだ。これからあまりお出かけ出来ないし美味しいものも食べられなくなるけど、少し我慢しててな」そう言っておいらの頭を撫でた。
それを機に父親は変貌し母に対するDVが始まった。日に日にエスカレートしていくDV。
父は追い込まれていたのかもしれない。しかしそのことで全員が傷つき家庭は崩壊した。
中学を卒業すると同時に離婚し、兄弟4人とも母についていった。

12歳の目線では見えないこと気づかないことは多々あり、45歳の頃の母は想像を絶する地獄の日々だったに違いない。母の人生にある過去だとしても母が感じてきた事実を聞くことはできない。

毎夜泣いていた母。ある日真夜中に目が覚め、カーテンが開けっ放しで街頭の明かりが微かに部屋を照らすだけの暗い居間で、むせび泣く母に声をかけた。
「お母さん大丈夫?」
「瑞穂たちがいてくれて良かった……」
いつも明るい母からは考えられない弱弱しい呟きだった。

そんなこともあったからか、兄弟たちが独立していく中一人母のそばにいた。
自分まで出てって一人にするのは心配だったから。
というのが自分の言い分だが、周りからするとお母さん大好き甘えん坊らしい。

20歳半ば、あんたはいつ出ていくんだ?と人の心配を余所にそんなことを言う母。
素直な気持ちを言うのは恥ずかしいけど、一人にするのは心配だからさ、と言うと、「いい加減一人にしてくれ!誰かのために飯を作るのはもう疲れた!一人で伸び伸び暮らしたいんだよ」。母の本音だろうと思って間もなく出ていった。

様々なことから解放された母は習い事を始め、20歳の子と一緒にパン習ってるんだ!と嬉しそうにパン教室に通ったり、姉とバーベキューしに遠出したり、相変わらずラドン温泉に通ったりと一人暮らしを満喫している。

祖父は母が3歳の頃に他界し、祖母は体が弱く母は家計を助けるため小学生の頃から働いていたと聞いたことがあった。
だから70年働き続けているのかもしれない。
そろそろ退職してのんびりしたいよと本人は言うが、退職後は弁当屋でもやりたいねと話している。
結局働くんかい!!
どこかの村で80代90代で形成された職人のお婆ちゃんたちがいて、元気の秘訣を聞くと、仕事があって責任とやりがいがあるからだと言った。
母もそのタイプなんだと思う。

親子だからなのか息子だからなのか、母は己の人生を振り返らないし聞いても教えてくれない。
だから正直なところお母さんとして分かっていても、一人の人間として知らないことが多すぎる。どんな夢を見て、どんな希望を持って、どんな挫折や後悔があってどうやって乗り越えて、どんなことを考えて今日まで生きてきたのか。
母が言いたくないのだから仕方ない。

まあ色々知るより、謎めいているくらいが魅力的ですしね笑

テレビ出演した時に母の事を、母は謎めいた人ですと言うようにしよう。

時々冗談交じりに母に聞くことがある。

再婚しないの?

えーもういいよ。だれかのために飯作るの面倒くさい。

そうなんだ、、、

心の声(弁当屋はいいんかい!!)







ご支援くださりありがとうございます!!これからの様々な活動に活かしていきます☆ これからも応援よろしくお願いいたします!!