メディアやSNSでチヤホヤされることは人間をあっという間に思い上がらせてバカにする。一方で人間は何歳からでも再出発して成功できる。 読書録:幻想の英雄 小野田少尉との三ヶ月 津田信
「Unlimitedに入ってるし、暇つぶしにいい軍記物」だろうと思って読み始めたら大間違い。これはメディアと人間と自意識についてすばらしいドキュメンタリーだ。
戦後30年戦い続けた最後の日本兵、真の軍人
小野田少尉は、太平洋戦争の終戦後30年たってもフィリピン離島の山奥で戦い続けていた人。戦うといってもあまり人が立ち入らない山奥を自分では占領していたつもりになり、衣服などは原住民を銃で襲って入手していた。(敵国だと思っているので襲って構わないと思っていたとのこと)
まさに日本の恥だし、フィリピンからも大迷惑なので、日本からは何回も投降要請をし、山にビラを撒いたり両親からよびかけたりして「戦争は終わったぞ、出てこい」と声がけしていて、1974年にやっと投降した。
戻ってきたときの小野田少尉はパーフェクトな「旧軍の生き残り」で、当時でも充分に繁栄してアメリカナイズされていた日本が「失われた美しいもの」と思われるものをたくさん持っていたので、「真の軍人、最後の日本兵」としてメディアで大ブームになり、手記はベストセラーになった。
しかし大人気の中で小野田少尉は、半年の日本滞在でブラジルへの移民を決意し、手続きが済むと1年余りでブラジルで農園を営む兄のもとに行ってしまった。
虚像を作り、暴くゴーストライター
この本はそのベストセラー手記「わがルバン島の30年戦争」を書いたゴーストライター、津田信が、手記を書く上で数ヶ月小野田さんと一緒に暮らしたことや、出版をめぐるゴタゴタを赤裸々に書いた暴露本だ。
もともと物書きの訓練をせず、30年間も、一緒に山に立てこもった同僚以外と日本語を話さなかった小野田氏の手記をゴーストライターが書くのは理解できる話だ。記事にする上でなるべくウケそうなエピソードから内容や見出しを選ぶのは当たり前の話だ。いくつかのコメントやエピソードを創作したということも書いてあるが、記事にする上で本人の確認をとっていたことまで含めてちゃんと書いてあるのは誠実な態度だ。
出版権確保をめぐるゴタゴタ、接待、無茶なスケジュール、学術部の出してきたライターがぜんぜん締め切りを意識してないことなども、出版業界の雰囲気を伝えていて面白い。
コンプライアンスも景気の良さも50年前の大昔のものだが、一部は今も残っている気もする。
褒められることで「勘違いしたわがままでヤバイ人」が生まれるプロセス
本書の最大の魅力は、津田さんがゴーストライターとして小野田さんと付き合っていくなかで暴かれるいくつものエピソードだ。
原住民から確保したラジオで東京オリンピック(今やってるやつじゃなくて1964年のやつ)やプロ野球、ジェット旅客機が世界を結んでいることなどについて知っていた小野田さんが、戦争に負けたことだけ知らなかったのはどうも整合性が合わない話だ。小野田さんは一緒に立てこもった同僚たちと検討する中で、そうした変わった世界観を構築し強固にしていったようだ。そうした人間の思想や認識が歪んでいく様子がまず面白い。事実は小説より奇なり、ホンモノのヤバい人はやはりちがう。親戚や肉親のヤバさ、まともさ、それぞれにリアリティがある。
また、「実は終戦についても知っていたのだが、同僚と山奥にこもって自給自足と略奪の生活を送ることはけっこう悪くなかったし、島民の復讐もこわいのでそのまま続けていたのではないか?同僚が現地民に討伐され、一人になってしまったので気弱になってでてきたのでは?」と指摘しているのも、ミステリー小説を読むようなワクワク感がある。
それらに加えて、ぼくが一番面白かったのは、最初は謙虚の塊だったらしい小野田さんが、帰国直後からメディアでチヤホヤされつづけてどんどん「勘違いしたわがままでヤバイ人」になっていく様子だ。ファンレターを送ってくるようなファンの純真さ、チヤホヤしながら内心バカにするメディア商売の皆さん、それぞれ「カイジ」「なにわ金融道」「ウシジマくん」の登場人物のような、しかも事実なのでそれらを超えたリアリティで迫ってくる。
似た種類のヤバさから、専門外のことで浅い見識を堂々と開陳するヤバイ人はいくらでも今インターネットで見ることができる。
日本社会と異文化の相性の悪さ
もともと30年前の大日本帝国軍人としての常識を持ったまま当時の日本で生きていくのは難しい。本の中でも小野田さんは誇らしげに原住民を撃ち殺した武勇伝を語るし、「あいつはぶん殴る」としょっちゅう口走る。(実際に殴った話は出てこない)。こういう父権的で暴力的な態度にいくつかの美しさはあるし、2021年の今よりも1974年当時のほうがさらに支持する人は多かっただろう。
しかし、当時でさえこういう常識を持ちながら生きていくのはつらい。「オレのほうが正しい」と思ったことでさらに難易度は上がる。僕は1974年生まれなので当時の記憶はないが、今よりもさらに「変わりもの」は生きづらかったのではないだろうか。
津田さんは暴露本は書いても小野田さんに対して感じていた義理をちゃんと果たそうとし、マネージャー的に行動していた次兄に「早くブラジルに連れて行ったほうがいいですよ」とアドバイスする。
実際に小野田さんは、次兄が移住していたブラジルでの生活を選んだ。日本滞在をごく短期間にし、ブラジルでの再出発を選んだ小野田さんと兄弟の選択は正しかったのだと思う。
50ちかくになってから、初めての国で成功
この暴露本は1977年に出版されたが、その後小野田さんはブラジルで何年も苦労した上、最終的には牧場経営を見事に成功させたようだ。当時すでに50近かった小野田さんが、初めてのブラジルで、何年も目が出ない逆境にもめげずに、農場経営を成功させるのは並大抵のことではない。
少尉はエリートだ。彼が頑張りが効いて能力がある人であることも、本書からは伝わってくる。
暇つぶしで肩の凝らない読み物を読みたかったのだけど、めちゃめちゃ面白かった。Kindle Unlimitedじゃなければ手に取らなかっただろう。僕ももう何年もずっと外国にいるので、日本人世界はかなり狭くなっているだろう。どこかで小野田少尉みたいになっている部分はあるだろうし、それは自分で気づけないだろう。
書いたのはプロのライターなので読みづらくてストレスがたまるようなこともない。教育や行動経済学的にも面白い知見がある。おすすめ。
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