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撮影を終えて

最新作『野球どアホウ未亡人』の撮影が先日クランク・アップしたので、とりとめのない雑文を。

今回が最後の自主制作映画ということで、スタッフ、キャストの皆さんに無理を言って(もう二度と会うこともないだろうからと開き直って)好きにやらせていただいた。この場を借りてお詫びします。申し訳ございません。

最終日に現場を手伝ってくれたスタッフから、「なんでこの映画を撮ろうと思ったんだろうって疑問に思うような映画って最近無いよなぁ〜って話を友人としてたんですけど、この映画(『野球どアホウ未亡人』)がそうでした」というお言葉を頂戴し、大笑いした。
出来上がりがどうなるか分からないが、見終わった後に「なんでこの映画を撮ろうと思ったんだろう」と疑問に思わせたら、こちらの勝利だろうな。

誰も喜ばない映画を撮りたいと常々考えつつ、上映されたらされたで観客の反応に一喜一憂してしまうのだから、我ながら頭がおかしい。
難解な映画を撮るつもりは毛頭無いし、分かりやすく物語を伝えようと努力しているつもりだが、そうならなかったらこちらの実力不足と諦めるつもりだ。

コメディというジャンルを、「近くで見たら悲劇、遠くから見たら喜劇」などとチャップリン的に定義するとしたら、この映画はコメディということになるが、一方でナンセンスギャグというものがあり、そういった描写もこの映画には散見される。レベルや質の違う「笑い」が渾然一体、あるいは支離滅裂と並べられることになるわけで、観た人はどう思うだろうか。

撮影に入る前に、スタッフ、キャストを集合させ、監督である私から「本作はこういう映画にしたいと思う」という大号令をかけた覚えは全く無いので、各々が各々の勝手な目標や野望を抱いて撮影に臨み、私はただそれを見守った(勿論、私にもやりたいことはあって、それは伝えるわけだが)。集団で作業するのだから、こちらが一方的に思想を統制して事にあたるより、その方が余程民主的であると私は思う。その結果しっちゃかめっちゃかな映画になったとしても、それはそれでいいではないか。自主映画だしね。

「この映画が少しでも良くなるように」とスタッフが努力したり、工夫を凝らしたりする姿を見るのが何より好きだ。こんなくだらない映画の為にこんなにも頑張ってくれている、どんなに頑張ってもそれが「くだらない」という評価にしか繋がらないのに。あらゆる「努力」や「工夫」が「くだらない」に奉仕される瞬間に、私は涙する。本当にありがたいと思う。

俳優陣には、オーバーな演技や、演技で笑わせようとするのはやめてもらい、真面目な演技を要求した。だが、重たくなりすぎても困るとも伝えた。俳優は相当苦労したのではないか。思うような演技が出来ない人もいたであろう。
私は下品な演技が嫌いで、感情を顔や台詞に思いっきり乗っけるぐらいなら、無表情でいいし棒読みで構わないとすら思っているが、それが今回どこまで徹底出来たかは不明だ。

数多いる監督の中には、撮影中に俳優の演技力を飛躍的に上昇させてしまう人や、新しい才能に目覚めさせてしまう人もいるみたいだが、私にはそんな大した才能は無いので、彼らが今持っている実力を可能な限り発揮してもらうしかなかったのだから、もし映画を観て、「この人、演技が上手だな〜」と思ったら、それは私の力でもなんでもなく、その俳優が上手かったというだけのことである。

撮影2日目が終わる頃、ゴダールの訃報を知る。1月には水島新司が亡くなった。この映画はその2人に捧げられるべき映画になるだろう。捧げられても、2人は怒るかもしれないが。合掌。

これから編集に入る。新たな創意工夫と努力が「くだらない」の犠牲となるだろう。ハンカチの準備は出来ている

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