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2022/5/13 馬上のセクステット〈跳梁〉

「出勤簿の更新をしてください。」
と連絡が来たので、1ヶ月ほど行っていない職場のドライブを開く。しかし、タイムカードを確認しないと勤務時間を記入できない。仕方なく、夜の10時くらいに家を出発して事務所を目指す。
事務所に着くと、入り口の電気がついている。こんな時間に?誰にも会いたくないので、少し離れたところから観察する。車はないので同僚はいないはずだが…。近くの駐車場で車のエンジン音がしていて、その音が「見ているぞ」と言っているような気がする。怖いので裏口から近づくことにする。

暗く細い道を通って事務所の入り口に近づく。ひとの気配はないが、なぜか無性に怖くなってしまい、退却。
真っ暗な道を自転車で帰りながら、俺はなにしてんだろう、とひとりごち、情けなくて涙が出てくる。

また、KAIRUIさんの「海の名前」をすこし大きな音で聴いている。聴きながらこれを書いている。「幽霊」という曲が頭から離れない。

自転車を漕ぎながら、中学の頃によく読んでいた中村航の『リレキショ』という小説を思い出した。主人公は姉と二人暮らし、だが、どうやら(一般に言う)「実の姉」ではないらしい。あらすじに「姉さんに拾われた」とあるが、彼の過去はほとんど明かされない。適当なプロフィールをでっちあげて履歴書を書き、近所のガソリンスタンドでバイトをはじめて、物語ははじまる。

バおわ

僕の感覚のルーツは中村航なんだろうな、と思う。彼の書く、生活の手触りのようなもの。何も起こらない生活のなんでもない細部を、歌いながら楽しむようなリズム。跳躍、反復。身体の軽さ。鮮やかな無意味。無根拠な確信。

重い腰を上げてホームページを作りはじめた。まったく何もわからない。

「きなこねじり」という駄菓子を突然食べたくなった。コンビニ2件とセイユー2件、ついでにドン・キホーテを廻ったものの、どこにも売ってなかった。食べたい。

食べたい!!!食べたいよぉ!!きなこねじり食べたいぃぃ!!!!

きなこねじりを、売れよ、売るんだよ、バカ者共。

売れーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

濁氵っ酉(どぶろっく)

人は皆、ことばの発信者でもあり受信者でもある。受信者としての人がそれぞれ自分の世界に閉じこもり、自分の認識枠組みの中でのみことばを受け取り、聞きたくない情報に耳を貸さなくなったとき、特に戦争という究極の状況や、社会的弱者の閉塞状況にある発信者は自分の語りの空しさや孤独を感じる。自分の切羽詰った思いを相手の胸倉を揺さぶってでも伝え届けたいという願いで語っても、その訴えが相手に聞き届けられないとわかったとき、発信者はことばへの信頼を失い、相手へ怒りさえ感じる。怒りは容易に社会全体への怒りに転化し、時に無差別のテロや暴力事件に発展したりする(例えば中東の若者の訴えについては児玉 2008:20、秋葉原殺傷事件については大澤 2008 参照)。 背景にいかなる事情があるにしても、(17b)で Said が主張しているように、テロや暴力事件は免罪 されるべきではない。問題は人間の交流過程においてことばが本来の機能をはたしていないため矛盾・理不尽・孤独・不安・怒り・暴力などが増幅していることである。

『概念化と言語化』(児玉徳美)

おしっこが止まらん…。

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