「幸せになって見返してやる」と駆けていった男の話
「僕ね、安里屋ユンタが好きなんですよ」
と言われたら、あなたの反応はどれですか。
① 何それ。お菓子?
② 民謡‥‥でしたっけ?
③ へぇ、どっちのバージョンが好き?
③と答えたあなたはかなりの沖縄通。
『安里屋ユンタ』は大きく分けて新旧2種類あります。では夏川りみさん、お願いします。
聴いたことあるでしょう。
伝統楽器・三線の伴奏で彼女が歌うのは1934年にリメイクされた『新・安里屋ユンタ』。のどかな男女のラブソングで「沖縄良いとこ一度はおいで」としめくくられます。
このユンタも美しいですが、私が好きなのは八重山諸島の古謡に近い旧バージョン。メロディほぼ同じなのに歌詞が全っっ然別物なんですよ。りみさんの歌はいったん停めて、ここから先は次の歌を聴きながらお読みください。ケルティックハープ弾きながら私が歌ってます。
動画撮影は2010年秋、西表島で泊まったペンションの中庭。小雨の朝、銀色のイリオモテイエネコがのんびり歩いています。
サー 安里屋ぬクヤマにヨ
あん美らさ 生りばしヨ
マタハーリヌ ツンダラ カヌシャマヨ
本当はものすご〜く長い歌なんですが私はそのごく一部を歌ってます。
かいつまんで言うと、こんな物語。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
竹富島の安里屋さんの家にクヤマという美しい少女がいました。当時、琉球王国から八重山諸島へ派遣された徴税役人は3年間の単身赴任中に島で現地妻をめとることができましたが、目差主(ミザシシュ)と呼ばれる役人がクヤマに一目惚れしたのです。
しかし16歳のクヤマは「あなたの現地妻になるのはイヤ」ときっぱり断ってしまった。厳しい身分制度の時代にクヤマの行動は皆を驚かせました。誰より動転したのは目差主です。しつこく言い寄る彼に少女はこう言います。
「あたし、あなたに仕えるくらいなら与人親に仕える。あなたは無理」
与人親(アタリョヤ)は目差主の上司ですから手が出せません。クヤマは目差主がよほど嫌いだったんでしょう。悔しがる目差主。自分を袖にした島の小娘の鼻っ柱をへし折ってやりたい。彼はこう誓います。
「見てろよぉ、お前よりも器量の良いおなごを必ず見つけて幸せになってやる」
島中を探し回った目差主はある村でイシケマという美しい娘を見つけ、彼女の親に会い、今度はみごと交渉成立。当時、現地妻を差し出した家は重税を免除されたのです。
美女をゲットして夢見心地の目差主はそのままイシケマを抱きかかえ、飛ぶように駆けて帰りました。それから寝床でいちゃいちゃ、大らかな性描写へ。良い子が産まれますように。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
‥‥とまぁこんな歌です。
おもしろいでしょ。
実話なんです。
安里屋クヤマ(1722年〜1799年)のお墓は今も竹富島にあり、目差主がイシケマを抱えて駆け上った坂道も残っているそうです。
「幸せになってアイツを見返してやる」というと現代は女性目線の歌や物語が多い印象ですが、こちらは男性版。そこがまたおもしろくて200年以上歌い継がれてきたんでしょうね。
さて、目差主も与人親もやがて3年の任期を終え、島を去りました。美少女クヤマはその後どうなったと思います?
任期を終えて島を去る時、与人親はよく奉公してくれたクヤマに村の一等地の畑を与えたといいます。
与人親がいなくなり、自由の身になったクヤマはその後誰とも結婚せず、島の人々に慕われながら長生きしました。聖女とも呼ばれていたそうです。
聖女‥‥?
クヤマの弟の子孫がこんな伝承を語っています。
畑を耕しながら他人の赤子を育て上げたクヤマ。照りつける太陽の下、彼女のきりりとしたまなざしが目に浮かぶようです。
美しいひとだったんでしょうね。
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