見出し画像

留学日記#04:ミュージアム・レポート

こちらについてから3週間が経ちました。まだまだ寒い日は続いていますが、来たときよりはだいぶ暖かくなってきました。それでも季節柄、晴れの日は少なく、雨の日、良くても曇りの日が多いです。そんな日は、気温は東京と同じくらいでも、風がとても冷たく、体感気温では0℃くらいです。先週は大嵐に襲われました。コノサムサ、ナントカナッテホシイ。ホントニ。

流石に雨の日には外に出るのも億劫になりますが、曇りの日、晴れの日は、あったかい格好をして、外へ出かけるようにしています。最初の2週間くらいは、街を散歩するだけでも十分だったのですが、ここ数日はミュージアムを巡っています。日本にいた時も、小さい頃は博物館は割と好んで行っていましたが、美術館はほとんど自分の意思で行ったことはありませんし、絵についても全く素養がありません。なので、ヨーロッパにいる間に、できるだけ美術館をたくさんみて回ろうと思っています。

オランダのMuseumのまわりかた

オランダには、というかヨーロッパ全体に言えることですが、美術館や博物館がたくさんあります。数が多いのかどうかはきちんと調べていないのでなんとも言えませんが、規模はかなり大きいです。

日本との大きな違いは、値段です。そもそも物価が高いのもあると思いますが、Museum1つ入るだけで€15〜20くらいはします(だいたい2000円から3000円くらい)。日本の感覚で行くと、高すぎる!って思っちゃいますね。規模とクオリティからしたら仕方ないのかもしれませんが、これでは少し敷居が高い。

そこでオランダでは、Museum Cardというものが発行されています。これは€64.90(およそ8400円)で1年間、ほぼ全てのオランダのMuseumを周遊できるフリーパスです。これがあればだいぶ安心。というか、これを買ってしまった以上はたくさん回らないと損です。幸いなことに、オランダには、いやアムステルダムにも、Museumが非常に多くあるので、1つ1つ回っていこうと思っています。そして、今回回ってきたのが、「レジスタンス博物館(Dutch Resistance Museum; Verzetsmuseum)」です。

Dutch Resistance Museum(Verzetsmuseum)

画像2

これは、第二次世界大戦において、1940年にナチス・ドイツがオランダに侵攻してきてから、1945年に解放されるまでのオランダの歴史を描いたものです。主としてナチスによるオランダの占領政策、ユダヤ人迫害と、それに対するオランダでの抵抗運動について展示したものです。

画像2

1933年に政権をたて、徐々に独裁体制を確立していったナチス・ドイツですが、1939年のポーランド侵攻に始まって、ヨーロッパ全土への拡大と侵攻を開始します。隣国であるオランダもその例外ではありませんでした。1940年5月にドイツ軍はオランダに侵攻し、わずか1週間でオランダは降伏という決断をします。その後、ドイツの占領が始まりますが、アムステルダムをはじめ、直接爆撃を受けなかった都市では、それまでとさほど変わらぬ、平穏な生活が続いていました。その後ナチスによる占領政策、ユダヤ人への迫害が深刻になるのは、もう少し後のことです。

画像3

ナチス・ドイツの時代の特徴の1つといえば、政治的プロパガンダです。こういうポスターを利用して、ナチス讃美、ユダヤ人迫害、連合国批判をしていきました。これはオランダ語ですが、「National socialism is concern for the people and their future(国家社会主義は国民とその未来への配慮だ)」と書いてあります。

1941年ごろから、ユダヤ人への迫害が先鋭化していきます。ユダヤ人向けの身分証明書が作られたり、移住を強制されたり、お店や公園、動物園といった公共の施設に立ち入りが禁止されたり。

オランダに住んでいたユダヤ人は、まずオランダ北部にあるヴェステルボルク(Westerbolk)通過収容所に収容されました。そこはオランダ国内であって、ドイツやポーランド、チェコスロヴァキアといった強制収容所に移送するための一時的な収容場所として位置付けられたことから、そこまでひどい待遇は受けていなかったようです。収容所の中に学校もあり、遊戯施設もあり、どうやらユダヤ人に必要以上に警戒感を持たせないようにすることが目的だったようです。博物館の中には、ヴェステルボルク収容所でのユダヤ人たちの映像も見ることができます。ただ、胸にJoodと書かれた「ダビデの星」のマークを縫い付けられているのが、なんとも生々しいというか、胸に迫るものがあります。

画像9

こちらは「ユダヤ人歴史博物館(Jewish History Museum)」での写真になります(実際にユダヤ人が着用していたものです)が、思ったよりも大きい。歴史の中の出来事と思っていたものが、急に現実味を帯びてきます。

それはさておき、収容所からは手紙を出すことが禁じられていました。理由はいくつかありますが、そのうちの1つは収容所内の情報が外に漏れることを恐れたと言われています。しかし、そんな中でもユダヤ人たちは最後の希望を託して、紙片にメッセージと名前と住所を残して、列車の中から外へと放ちました。下の写真は、まさにヴェステルボルク通過収容所からポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所へ出発する貨物列車の写真ですが、実際にそこから投げられたと思われる手紙が(おそらく実物と思われます)展示されています。

画像12

画像4

今、「貨物列車」と言いました。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、ユダヤ人の移送に使われた「列車」とは、決して今のわたしたちが想像するような「列車」ではなくて、家畜の移送に使われた列車だったのです。大勢の人が1つの貨車に押し込められました。中に乗せられた人たちはスペースが狭すぎて腰を落ち着けることもできず、せいぜい呼吸をするのがやっと。あまりに過酷な環境で、数日間も、場合によっては1週間も立ちっぱなしで移送され、その列車の中で息を引き取った人もいたそうです。

情報が漏洩しないようにされていたとはいえ、列車が東に向かっていたことは誰もがなんとなく気づいたはず。「もう助からないかもしれない」と悟った人々は、貨車の小窓から手紙を放ったのです。心ある誰かがその手紙を拾って、家族や友人、恋人、大切な人のもとに届けてくれるのではないかという希望を託して。

画像5

この後の話はまたいずれ機会があればしますが、その頃オランダ国内では何が起こっていたのかというと、ナチスに対する抵抗運動がいろいろな形で展開されていました。しかし、ナチスによる迫害が激化するにつれ、彼らは身を隠さざるを得なくなりました。かの有名なアンネ・フランクがそうであったように、彼らは隠れ家を探して、そこでひっそりと暮らすようになったのです。

画像6

この写真は、偽造した身分証明書です。ユダヤ人にはユダヤ人専用の身分証明証を携帯することが義務付けられていました。ユダヤ人である、あるいは抵抗運動の担い手であるということを隠すようになっていきます。それでも、潜伏先での生活は決して容易ではありません。何しろ怪しまれないように生活しなければなりません。食べ物は簡単には手に入りませんし、足音で気づかれるかもしれない。トイレだって簡単に流すことはできません。そして、そうしたちょっとしたことが原因で、潜伏していることが誰かに勘付かれ、警察に通報され、何人ものが逮捕されていったのです。

画像7

さて、ナチスの占領も終焉を迎えます。当初はドイツに有利に進んだヨーロッパ戦線でしたが、連合国のノルマンディー作戦によって戦局は一気に連合国有利になり、フランス、オランダ、ベルギーの解放が目指されます。オランダは1945年5月に解放されますが、そこに至るまでには厳しい冬がありました。

戦争により街の中心部は爆撃にさらされ、市民たちは戦線を離れて疎開しますが、戦時中を通じて問題になっていたのが食糧不足でした。ここにきて食糧不足の問題が深刻になります。映像では、人々がゴミ捨て場を漁り、食糧をなんとかして手に入れようとする様子が生々しく描かれています。この冬を超えて、1945年5月についに解放されます。


画像8

余談になりますが、企画展として、オランダ領東インド(インドネシア)での日本の占領政策についての展示がありました。まさかこのタイミングで日本が出てくるとは思っても見ませんでしたし、日本にいた時にはほとんど意識したこともなかったのですが、日本によるアジア支配も、第二次世界大戦をオランダの目線から描くと1つの重要な出来事として位置づけられるのですね。こういう形で、日本の歴史を新たな視点から捉え直すのは私にとって大きな発見ですし、それをきっかけにいつも、もっと色々なことを知らなければいけないな、と身を引き締めています。

思っていた以上に長くなってしまいましたが、オランダには非常に多くのミュージアムがあります。また少しずつではありますが、興味のあるミュージアムを訪れて、気が向けばレポートも書いてみたいと思っています。美術館については、あまり良いレポートができないかもしれませんが。

また、私が特に興味があるのが、ホロコーストの歴史です。小学生の頃にアンネ・フランクの伝記に出会って以来、ユダヤ人の迫害、ホロコーストに興味がありました(なぜ興味を持ったのかは自分でもわかりません)。そこで、3月に同じく日本から留学している友人と、ポーランドのアウシュヴィッツ収容所の博物館に訪れる予定です。このことについては、また機会を改めてお話ししたいと思います。

画像10

画像11

帰り道に見つけたハンバーガー屋さんで。外食は高いのでほとんどしないんですが、たまにはいいかと思ってよってみました。このハンバーガーとフライドポテトで、€7.90(高い!!)。ハンバーガーは日本の方が美味しいかも知れませんが、ポテトは美味しいですね。ジャガイモが美味しい。道端の屋台で売っているような安いフライドポテトでも十分美味しいです。ジャガイモを主食にしてもいいかも。

締まりのない終わり方になってしまって恐縮ですが、できるだけ週に1回は投稿していけるようにしたいと思っています(既に達成できていない)。いつも投稿を読んでくれる方や、反応してくださる方もいて、嬉しいです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?