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【渡なべ】 〜 20周年ラーメン 〜 (2002年編①)

~ 20周年を迎える意義 ~

2002年創業。今年で20周年。数年前から20周年を迎える店をコツコツと回っている。

さて、中小企業の起業1年後5年後10年後の廃業率のデータをみてみると

・1年:20%
・5年:50%
・10年:36% 
引用:中小企業白書

となっている。指標や対象企業の選別などによって出てくる数字は様々だが、個人事業主に絞り込んでみると

・1年37.7%
・3年62.4%
・10年88.4%
引用:中小企業白書

となってくる。更にこれを飲食業に絞り込んでいくとその数値は更に悪化する。

・1年 30%
・2年 50%
・5年 60%
・10年 95%

数字の信憑性には議論の余地があるが、単純に20年飲食店を(同じ店で)継続していくことはかなり難しいことが分かる。逆に事業が継続できる理由は様々あるだろうが、単純に美味しいからだ、という理屈は前提としてあると思っているが、その他の気付きを含めて改めて楽しむ食べ歩きの記録である。

~ 時代背景 ~

2000年前後に起きたラーメンの情報トランスフォーメーションは食べ手にも作り手にも大きな影響を与えた。食べ手でいえば、欲しい情報にすぐアクセスでき、また、逆に発信側にまわれば無料で多くの人にリーチできるようになった。発信側にまわるというのはSNSの普及でその後爆発的に広まっていくが、メディアにも出ていない名もなきマニアが次々にコアな情報を発信することにより、発信側と受け手側は常に表裏の関係になりシームレス化していく。この功罪はまた別に語りたいところだが、最先端の情報を常時得られ、また過去の謎に包まれていたファクトが表に出ることで、ファンは大きなメリットを享受したことになる。

逆に作り手は、技術や知識の共有が容易くなり、横のつながりが増え、同時に食べ手としての経験も積めるというメリットがあった。ラーメン自体の平均点が上がり、他の業態も含めて競争が激化するようになる未来は予想できたことであり、2022年時点でそれは現実的になっている。

~ センセーショナルな登場 ~

その作り手の中に、あらゆる側面でコンセプチュアルな者が出てきた。ただ美味しいラーメンを作るというだけではなく、「インパクトがあって」「話題になりつつ」「店作りもラーメンらしからぬシックなテイストで」「顧客層の間口を広げ」「他との決定的な味の差別化があって」「かつどこか伝統的で長く愛されそうな」美味しいラーメンを意図的に作り出した店、渡なべである。店主渡辺樹庵さんが開業支援的なコンサルティング業も手掛ているくらいであるから開店前の準備もそれなりにされたと思うし、濃厚な魚介豚骨という時代に求められた味という側面もあったと思うが、それは現在だから言えることで、当時はかなりセンセーショナルな登場だったと記憶している。

ラーメンの見せ方を新たに提言した

~ 渡なべ 魅力の源泉 ~

そこから20年後の2022年の世界は、すでに渡なべが描いたコンセプトだけでなく、もっと多様化したコンセプトが選択肢としてあって、その中でしのぎを削っているわけだが、渡なべは変わらず古臭くならず支持を受けて続けている。当然コンセプトそれぞれのエレメントがキチッと考えて抜かれたものではあるという単純なクオリティの歴然とした差はあると思うが、僕は、これらのコンセプトの裏側に走る、「最終的に人を引き寄せる魅力」が渡なべにはあったと考えている。それが長く20年愛される秘訣なのだと。

くたびれた暖簾はコンセプトではなく歴史

それは、

・自分の好きな味ではなく、ウケる味に徹したこと
・ラーメンマニアを唸らせ、同時に幅広い顧客を取り込む汎用性をもたせたこと
・継続的に飽きさせない仕掛けがあること。
・それが表のコンセプトとは逆の自分の好きな味の発信であることで多面性が出ていること
・インパクトはあるが、元は伝統的に愛されたラーメンがモチーフになっていること。

だ。プロデューサーの部分と純粋なラーメン好きの要素をきちんと整理し、使い分けて演出した、と言えるが、根底にある誰にも負けないくらいラーメンが好きという部分は核になっていることは間違いないと思う。

味の分類でいえば濃厚な豚骨魚介ラーメンということになる。当時味の点でもオリジナリティ溢れるであったわけだが、実はその根底にあったのは上記の要素であり、拡散性ではなく様式美ともいうべきラーメン好きに愛される仕掛けが施されていた。

濃厚=くどいという印象を払拭させた

最近の限定メニューで面白かったのが、『僕の』と題した醤油も塩ラーメンというシリーズ。創業時、今のラーメンとどちらを出そうか迷ったという幻の看板メニュー。醤油はどことなく遠くに永福町大勝軒があったり、塩は当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった神奈川の淡麗なラーメンも顔を覗かせつつな一杯だったが、果たしてこれがメインメニューだったらその後の時代はどうなっていたのだろうか。その後の豚骨魚介ブーム、つけ麺ブームを考えると樹庵氏の次を読む力が長けていたとも言えるし、上記のコンセプトがはじき出した答えだったとも言えるかもしれない。

看板メニューもうひとつの候補
僕の塩ラーメン

※上記2点より以降の画像はすべて「FILEのラーメンファイル」より

2022年4月。20周年を記念した限定ラーメンが振る舞われた。通常のラーメンの材料を増やした濃いラーメンだ。多彩な限定を提供する渡なべの切り札はやはり20年前に設計したラーメンなのだ。氏が訴え続ける「他と違う個性とそれを志す姿勢」をいまだ現役で提供している。OBが口うるさく言うのではなく、横一線で競おうよ、という現役同士の激励なのである。

20周年限定ラーメン

~ 多彩な限定メニュー ~

渡なべはその限定メニューにつくファンも多い。最近は(東京も一地域とした)地方のラーメンやより具体的な名店を再現するものがシリーズ化されているが、開店当初は『お遊び』ラーメンと題して遊び心ある、ときには実験的なラーメンを出していた。また、その後に同じ高田馬場に「TOKYO NOODLE 六坊」を展開し、お遊びメニューも含めて溢れるアイディアの受け皿として機能した。

六坊で当時出していたラーメンの再現も限定で登場

これは、先の裏のコンセプトにあるように、樹庵氏の食べ歩き、ラーメン好きとしての趣味が大爆発する。万人受けするかどうかは、ほとんど考えられていない。これって美味しいですよね、面白いですよね、という独り言に近いものだが、オンラインサロンに集まる人のようにファンは喜々としてその限定を食べる。

2018年以降地方土着のラーメンの再現が増える
北海道から九州まで
地域、時代を縦横無尽に再現する

ラーメンに限らず情報が飽和状態になったときに、ハートに一番訴えるのは、美味しいという体験の発信なのだ、ということを意識しているのか、それとも単なる趣味なのか。いずれにせよ、豪華で華やかな限定メニューというものに一石を投じる見事な仕掛けだなと思う。

~ 渡なべの功績 ~

渡なべの20年の功績は見る角度によっていろいろあるだろうと思う。しかし、ラーメン史の中での最も価値があったことを考えると、2つあるのではないかと私は思う。ひとつは、味を言語化したこと。そして、もうひとつは、その言語化が、マニアの目線をふんだんに取り込みながら、わからない人にもわかりやすく伝えられたこと。だと思う。マニアが陥りがちな内輪受けを一般化する顧客目線が常にあることが、20年来客が絶えない店を作り上げたのだ。

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