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ラーメンアーカイブ人形町大勝軒13 終

■本家は威厳を保ちつつも静かに

~ 珈琲大勝軒 2020年2月29日閉店 ~

人形町大勝軒が姿を変えた珈琲大勝軒には、現在4代目の渡辺千恵子さんがいる。朗らかな笑顔で、わずかな憩いの時間を求めてくる客を迎える看板娘だが、昭和61年(1986年)12月31日に人形町大勝軒を閉店させた当人でもある。ご主人の武文さんは昭和44年4月27日44歳の若さで亡くなっているが、その渦中で大勝軒を仕切り直し、再興させ、そして、歴史的なお店を閉店させる決断を下した覚悟は相当なものだっただろう。想像に難くない。

淹れたての珈琲と乃木希典による「大勝軒」の書

女性に年齢のことを触れるのは大変失礼だが、90代とは思えぬシャッキっとした出で立ちとハッキリとした滑舌、そして聡明さを裏付ける記憶の確かさに毎回驚く。100年も前の大勝軒の歴史に瑞々しく触れることができるのは、この確かな記憶によるところが大きい。半分くらいしか生きていない僕にも対等に接してくれ、ファンの戯れ言にも真剣に付き合ってくれる。その息子祐太郎さんも店に立ち、静かに珈琲を入れている。朴訥とした人柄だが、時折お母さんの話に割って、重要なエピソードを挿入するのだが、話の内容に先入観がまったくなく、聞いているほうも素直にわくわくとさせられるような話が多かった。

毎年親しい人たちに年賀を配る

~ 人形町大勝軒の店作り ~

中華料理大勝軒という看板を下ろしたのには葛藤もあったというが、この二人でやっていくための選択として喫茶店を始めたという。二人で珈琲教室に通い、この店を出し、それから36年が経った。大勝軒という屋号は一般にはすっかりラーメン屋を表すものになったが、喫茶店の屋号になったこの店がすべてのルーツであることを知っておかねばならない。大勝軒は屋号であり、ラーメンそのものではなくマインドであることを。

総本店の様子を伝える雑誌記事
「大勝軒」の書や調度品は喫茶店に飾られることになった
本店にあったステンドグラス

本店で使用されていた様々な調度品は珈琲大勝軒では継承されなかったが、大勝軒という屋号のルーツとなった書や、お店の中央にあるステンドグラスは貴重な歴史の証人として引き継がれた。

当時の本店は数寄屋造りであったことなどを伝える雑誌記事がある。それを引用し、当時の雰囲気を想像し、追体験してみる。

「下町人形町に本格的な中華料理店が現われたという驚きよりも、そのモダンな店構えに人々は目を瞠(みは)るばかりだった。現在の建物に残るステンドグラスは唯一のその名残り。が、「中華料理屋だからといって中華風の店構えはたくさんだ」という初代の意志は、戦後の建て直しのときも受け継がれて、ご覧のような数寄屋造りの趣きが盛り込まれた。」

「2階の大広間。天井の意匠は椹(さわら)の板で組んだ本格的な網代。窓の外には備州檜の1枚いたがはめ込んである植木棚。三味線のバチを模した柱頭も面白い。大理石のテーブルもかなりの値打ちもの」

~ 人形町大勝軒系の今後 ~

かつて次々と独立したお店たちが時代の流れの中、高齢化や後継者の不在によって店を閉めていく。人形町大勝軒の正統的後継店は浅草橋だけとなってしまった。このお二人が語る人形町大勝軒は過去の歴史ではなく、目の前でゆらゆら湯気を立ち上らせるコーヒーのようにまだ温かく生きている歴史でもあった。しかし、本町も閉め、Hale willowsも楢山さんもすでに店をやっていない。人形町大勝軒を開いたのは遡ること5代前、初代の渡辺半之助。彼がすなわち『大勝軒』の始祖ということになる。そこから108年。ついにその歴史の幕を閉じようとしている。

珈琲大勝軒閉店を知らせる張り紙
初代渡辺半之助さんの写真

わざわざ私の会社にまでそれを知らせようと電話してきてくれた千恵子さんに、閉店は残念だ、と軽々しく言う気にはなれなかった。2020年の東京オリンピックまでは続けたいわ、と語っていたことを思い出す。

出前の様子を伝える写真
回収した丼の数!

ただ、実はね、と、話をそこで終わらなかった。閉店を感傷的なものにさせてくれなかった。本流のお店が復活することを含んだ内容だったのだ。その具体的な内容はもう少し、時間が経ってから知ることになるだろう。どんな形かはまだ分からないが、ここ人形町、そして、本町(三越前)と人形町大勝軒の歴史はまだ生き続ける。まさにそのときが大勝軒が決して途切れることのない文化なのだと証明されるときなのかもしない。

支店の開店を祝う写真

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~ 最後に ~

実はごく最近知った話だが、5代目の祐太郎さんは僕がすごくお世話になっている方の同級生だった。その方と僕はは浅草で知り合うわけだが、そのストーリーを、初代の渡辺半之助が浅草で飲み歩いているときに乃木希典と出会い、大勝軒という屋号を授かるエピソードと重ねてみる。

そして、僕が浅草で飲み歩きようになり、この方々と出会うことになるのは、天神下大喜の武川さんに誘われてのことだ。武川さんは若き修行時代に若旦那によく人形町大勝軒に連れてこられ、そこでその美味しさの虜となり、店を開く際、自家製麺の相談をすることになる。この日はその不思議な縁がもたらした。感無量である。

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