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【季織亭】~ 20周年ラーメン ~(2000年編②)

季織亭のパパさんこと川名秀則さんは生前、半ば冗談、半ば本気でこんなことをよく言ってお客さんを楽しませていた。

「俺はさ、ラーメン作れないから」

小麦蕎麦というありそうでなかった立ち位置で、ラーメンのような、そうでないような、ただ、ラーメン好きや食を愛する人たちを十二分に満足させる美味しい料理を提供し続けた季織亭。ジャンルや定義を超えた季織亭の魅力は、いみじくもラーメンというジャンルが素材や製法を研磨しクオリティが上がってくる以前から一部の熱狂的なファンによって語られ、また、時代が追いつくようにして再評価されていったと言えるだろう。

経堂時代にすでに小麦蕎麦と呼んでいた

~ 季織亭の歴史 ~

季織亭の歴史を簡単に振り返ろう。

1991年7月世田谷宮坂で仕出弁当店季織亭を開業。1993年6月に築地仲買の山三秋山に惣菜卸、1995年6月世田谷経堂に移転、1999年4月玉川高島屋に直営店開業。 2000年11月夜営業でラーメンを提供するようになった。二階を酒席処にしたが、2014年に店舗が老朽化したため閉店となる。 

しかし、その後クラウドファンディングを利用し資金調達を行い、2017年に代々木上原の自宅を改装、居職としてお店を再開させる。 食材をオーガニックにこだわり、ラーメンは小麦蕎麦を標榜し、ラーメンの価値を引き上げる。現在は小麦蕎麦を中心としたコースを展開。
経堂の店舗を閉めたときの張り紙


~ 季織亭のコンセプト ~

転機は2000年ということになるだろうか。ラーメンを提供し始めて季織亭を知るようになった方も多いだろう。ただ、コンセプトはずっと一貫して、安心安全の食材と正しい調理、そして、それが一番美味しい、である。それは食の生命力を喚起させる。話題を得るためのギミックではなく、古典的であり普遍的な「正しい材料と正しい調理法こそが美味しい」という考え方は、ラーメンというジャンルにも通ずるというポリシーを貫き通した。

経堂時代の店舗
一階は小麦蕎麦、二階は酒席処とした

ところで、季織亭がお弁当(お惣菜)屋だったということを体験している、もしくは知っている人はどれだけいるだろうか。料理の心得があったママさんと保険会社を経てステーキハウスで肉を焼いていたパパさん。そもそも出発時点でラーメンではなかったというところに、その後の独自性の萌芽を見る。

年末になるとおでんの会などが催された

このコロナ禍で、テイクアウトが中心となるや、素早くお弁当の提供を行うなど、その強みを大いに発揮したが、やはり、下地に季織亭初期のキャリアがあることは間違いないだろう。

新型コロナウイルスが流行した際に
テイクアウト用として“復活”したお弁当
お弁当の販売は継続している


以下、公式より。

【季織亭のお弁当の特徴】
無添加
無化調
特別栽培米
有機野菜や産地直送
平飼い卵
木桶仕込醤油のカネモリ醤油
洗双糖
白砂糖不使用
無農薬小麦
国産材料
などなど
季織亭のゆるぎないコンセプト

食べ物商売は、お客様から信頼して頂いて「安心して食べられる」お客様の身体の事を本気で考えた食べ物を提供する!人間の身体は口から食べた物でできています。20数年前からこの思いで、商売に取り組んでいます、それは、手打ち小麦蕎麦懐石もお弁当も同じ思いで作っています、そんな思いをのせたお弁当を復活させました。どうぞよろしくお願いいたします。

季織亭 店主

まさにここに書かれている通り、ラーメンを通じてだけではなく、何のメニューを通じてでも食の正しい価値を提供したいというのが季織亭のルーツなのだ。その中で、ラーメン=小麦蕎麦として20年の歩みを刻んでいくことになる。

季織亭のアイドル空(そら)君

~ 小麦蕎麦としての季織亭 ~

ただ、小麦蕎麦の魂は主にパパさんが込めていた。経堂時代、2階の酒席における料理は、ママさんが用意するが、1階、そして、2階で締めなどに提供されるラーメンはパパさんが麺を打ち、スープを炊き、そして、お客さんへそのうんちくをとうとうと説いていた。

小麦そば(醤油)

使っている食材や製法のうんちくをブランディングのために掲示するお店も多いが、季織亭の場合、コンセプトがもっと上流に大義として存在しており、が故に様々なうんちくを必要としているのである。2階でそれらの“口上”を飲みながら聞く、もしくは、聞きながら食べるというのは恒例であり、楽しみの一部であった。

冗談を交えて語るのがパパさん流
だが、食の話になると熱を帯びる

その独自なスタイルを通して、ラーメン界との交流も生まれていた。当時町田で一部のマニアを熱狂させた「勇次」の田中さんとは食材を通じて交流があった。後の「圓」である。また、「地雷源」の鯉谷さんも長い付き合いがあった。「凪」もいろいろな方が店を訪れ交流を重ねていた。貫かれたポリシーとはまた別の、人懐こいパパさんの人となりがまた人を惹きつけたのだろう。

夜は多くの愛好家が集まるサロンとなった
食を通じて語り合う店

季織亭がクラウドファウンディングの力を借りて、自宅の一部を店舗に改装し、居職の店舗として復活したのが2017年。スタイルとしては、経堂時代の1階と2階の融合であった。また、手打ち麺教室を開催したり、落語の寄席を誘致したり、よりお客さんと近いお店になっていた。クラウドファウンディングを経たことがそうさせたのかもしれない。

手打ち麺教室の一コマ
レシピも公開
生徒たちの作品



~ パパさんの早逝 ~

だが、2020年。まさに小麦蕎麦が20年を迎えた年に、川名秀則さんは亡くなった。大病を患い、闘病生活を続けながらも常に料理のことを考え、麺を打ち厨房に立った人だった。最後に会ったときも、ベッド上で新たなレシピが思い浮かんだと嬉しそうに話してくれた。

実はパパさんは、もともと会社員勤めで、食に関しては特にこだわっていなかったという。それがママさんこと川名信子さんと出会ったこと、また、「正常分子栄養学」の講義を偶然受けたことが転機となり、栄養が身体をつくっていくことに深く関心を抱くようになり、それがその後の季織亭のコンセプトになっていく。

小野式の製麺機は
川名さんにとって最高のおもちゃだった

食材や料理のことを語るときは熱っぽく、それに対して「でましたパパさんのウンチク!」とふざけると、まぁこれがないとオレらしくないでしょ、と笑っていたことが忘れられない。知識やレシピも惜しげもなく教えてくれたが、レシピなどを書き留めた分厚いノートを見せてもらったときは、まさにパパさんの人生そのものが詰まっているような気がした。飾らない人柄で、分け隔てなく接してくれる人だったが、食材や小麦そばにかける熱量はまっすぐで、計り知れないほどだった。

一周忌での献杯

あの熱っぽい語り口が名残惜しい。僕はお店の人とお客さんという以上の関係をもたせてもらった。本当に感謝でいっぱいである。吉田松陰は人生を農事に例え、何歳まで生きようと、その人生は四季のように営まれるものだ、と説いた。果たしてパパさんの季織の紋様はどうだったのだろうか。あちらの世界でもおおいに語りまくっていてもらいたい。まだ先になるが、いつかまた天国でパパさんの小麦そばを食べに行きたいと願う。それまでウンチクを溜め込んでもらおう。

~ 季織亭の料理 ~

季織亭の料理の数々を振り返ろう。

一品料理は実に多彩だった。言ってくれれば、それ作るよ、といったスタンスだった。和食を中心に中華や、パパさんが得意のステーキも焼くことがあった。

お肉にももちろんウンチクを添えて
焼き加減はさすがプロであった
前菜の盛り合わせはコースではなくても注文可能
料理の多彩さは目をみはる


現在は、ママさんと、季織亭最後の弟子、北さんが店を任されている。季織亭の弟子としては、三軒茶屋の臥龍が有名であるが、その臥龍のラーメンは鶏白湯で、季織亭のラーメンとは大きく異なる。季織亭が授けた知恵は、ラーメンの作り方ではなく、もっと大きな意味での食の価値なんだろう。

季織亭の弟子高島さんの臥龍(三軒茶屋)

その季織亭の手打ち小麦蕎麦のバリエーションも多岐に渡った。基本の醤油、塩に加えて、つけ麺、香り高い自家製辣油を使用した香(ファン)辣油のつけあたりが定番だったが、限定品だけでも、

鴨つけめん
イベリコたんめん
イベリコ味噌
せりた煮干し
ゆず塩
冷やし中華
吟醸麺
雉拉麺
ニラつけ

などがあった。手打ちの麺が力強いこともあり、つけ麺や冷やしメニューも非常に人気が高かった。まさに小麦蕎麦と呼ぶに相応しいランナップだった。

コースの小麦蕎麦
つけ麺も人気
名作韮つけ
自然な甘み溢れる味噌
担々麺
マレーシアに出店する際に考案されたハラルラーメン

~ 季織亭がラーメン業界に与えている価値 ~

人類は小麦と出逢って生き延び、今がある。小麦とは切っても切れぬ友達。古代小麦は改良され、洗練された現代の小麦と違い、栄養素を多く残したプリミティブな状態。無垢の友。ただその過程でポストハーベストや強引な品種改良が行われたとも聞く。グルテンフリーよりもそんな過程を見つめ直す機会。改めて、小麦はどんな友だったのか。

麺にするのには向かないスペルトをパパさんが懸命に小麦蕎麦に仕立てる。「どう、拉麺になった?」と笑っていたが、残念ながら拉麺ではなくて、季織亭の小麦蕎麦になっていた。「そうだよね!」更にパパさんは笑った。また、それが良かった。

小麦蕎麦という名前に込められたパパさんの思いは、ラーメンの歴史に一石を投じ影響を与え続けていくだろう。味ではなく、その向き合い方が今後も一つの王道として多くの店や文化に継承されていくことをファンとして切に願う。

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